一木のラバウル小唄
●44 一木のラバウル小唄
くんくん……。
枕の匂いをかいでみる。
(……べつになんてことはないよな)
首をかしげて、ふたたびベッドに座る。
ここは小笠原諸島、父島にある病院だ。
おれが目覚めて、すでに数日が過ぎていた。
頭のケガはずいぶんよくなったが、まだ少し混乱しているみたいで、なぜか時々、いろんなものの匂いを、くんくん嗅ぎたくなる。
ここでおれはある人物と会う約束をしていた。
アポイントは武蔵の無線から山本さん(山本五十六)にやってもらった。たまには戦況報告もやるもんだね。
――コン、コン。
病室にノックの音がした。
「大佐がおつきになられました」
ドアの向こうから、担当の兵士が言う。
「おお、入ってもらって」
「失礼いたします」
兵士に先導されて一人の男が入ってくる。
「お初にお目にかかります。陸軍大佐、一木清直であります!」
男は陸軍らしい、ビシっとした敬礼をする。
中肉中背、軍服をきちんと着て、いかにも実直そうだが、目は幾多の修羅場をくぐってきたように細い。鼻の下のヒゲだけがご愛敬だ。
「やあ、南雲です」
おれは手を差し出す。
「ははっ!恐縮であります」
陸軍大佐、一木清直。
1892年生まれ、四十九歳。
陸軍士官学校卒。
おれの生前世界線ではミッドウェー島占領のため、一木支隊とよばれる二千四百名の精鋭を率いて上陸戦を敢行する予定だったが、これが失敗に終わり、ガダルカナル、ソロモンの戦いに投入されて、結果的にはそこで命を落とした。
報告の時の無線で、あいかわらず、占領の野望を捨てない山本さんが、ひそかに一木支隊を編成したと聞いて、おれが先手を打って呼んでもらったのだ。
「南雲提督、このたびの大勝利、大慶に存じます」
「あはは、おおげさだな」
「おケガをされたと伺いましたが……」
「いや、もう大丈夫だよ。まあ、すわって」
「はい」
ベッドの反対側にあるテーブルセットをすすめる。
担当の兵士がお茶を淹れてくれた。
「悪いね。こんな寝巻姿で」
「いえ、ご病人ですから」
「そういわれるとくすぐったいよ。みんなは名誉の負傷みたいに扱ってくれてるけど、実はおれが迂闊で海に落ちただけなんだよ」
おれは頭をちょっと掻く。
「まさか、ご謙遜を!」
「でもまあ、君がこの島にいてくれて助かったよ。もうすぐ、本土に帰る途中だったからさ」
「はい。自分は海と船になれるため、駆逐艦に乗船してここに来ました。この島には基地視察の名目でして」
一木はずいぶん恐縮してるな。
おれってそんなに偉そうに見えるのかな……。
「時間とらせてすまん……実は、ちょっと君に相談があってね」
「は、なんでありましょうか」
おれは狙いを正直に話すことにした。
こういう実直なタイプにはまっすぐがいい。
「単刀直入に言おう。おれの次の狙いは、核実験を成功させて、アメリカの軍部と民衆を屈服させることにあるんだ。君は原子爆弾については知ってるかい?」
「はい。提督の報告書を拝読しました。天変地異に匹敵する威力だそうで」
「え、陸軍さんも読んでるの?」
あの報告書が海軍ならともかく。陸軍にも渡るとは意外だ。
「はい。このところ陸と海はずいぶん風通しが良くなりました。週一回、いろんな部署が研究会、技術交流会、情報交換会を開いておりますし、会議もやります。提督のマッカーサー報告書は、情報交流会で配られ、陸軍も中佐以上のものはみんな読んでおります」
「ほーん」
ガリ版がんばって良かったよ。
軍部も、やればできるんじゃん……。
「なら、話が早いよね。さっきも言ったように、おれは九月にも、その核実験をビキニ環礁という太平洋のど真ん中でやりたいと思ってるんだ。なにぶん、強烈無比すぎて、どこでもいいってわけにはいかないからね。それに、あのあたりなら比較的安全が確保できるし、ハワイにも近いのでアメリカに見せつけやすい」
「なるほど、それは痛快ですな」
「ところが、問題がひとつある」
「……」
おれは立ち上がり、引き出しの中から海図をとりだすと、一木の前に広げる。
「ラバウル、ニューギニア、ソロモン諸島だ。このあたりが不安定だと、核実験に影響するし、へたすると敵に反撃の糸口を与えることになりかねない。今のところ、太平洋でのわが軍のアキレス腱ってところだ」
「ソロモン……」
「君はしらないと思うが、実はオーストラリア戦線の膠着を狙って、おれはニューブリテン島のラバウル基地を最前線とし、そこから先には手を出さないという作戦を、大本営に何度も進言してきたんだよ」
「いえ、それは有名な話です」
「マジかよ」
「マジ?」
「ほんとかよって意味だ。……どういうことだよそれ」
「お、おこらないでくださいよ提督。南雲中将のラバウル小唄、なんて歌があるんです。……無敵の南雲があ、言うことにゃー、ラバウルこーえてえは弾撃つなあ、撃てば……」
とつぜん一木が手拍子をしながら変な歌を唄いだした。
「もういい。やめてくれ」
まだ続けたそうな一木を見て、おれは額を抑える。
なんだか、本土じゃヘンなことになってそう……。
ソロモン諸島というのは、おれが前線と決めたラバウルのある、ニューブリテン島、ニューアイルランド島から、さらに東にある島々だ。
史実じゃこの時期、ラバウルから五百キロ南のニューギニア、ポートモレスビーという連合軍基地を空爆したり、ソロモン諸島、ガダルカナル島というラバウルよりも東にある島々で戦ったりと、いろんな騒動が勃発してる。そして、だんだんと大日本帝国が連合国に負けていく起点になった場所でもあるんだ。
ミッドウェーでの敗戦、ガダルカナル島の戦い、第一次、第二次ソロモン沖海戦、ニューギニア島での飢餓とマラリア……。
ここは太平洋戦争での泥沼のはじまりであり、敗北と撤退のはじまりともなった場所なんだな。
「聞けば、ラバウルとカビエンを捕ったわが軍は、ニューブリテン、ニューアイルランドを最前線と決めたのはいいが、ここのところ連日の空襲が激しくなってきて困っているらしい」
「はい、いっそ敵航空機の基地である、ポートモレスビーをやりたいと……」
「だろうな、いや、よく我慢してくれてるよ」
「我慢というより、みんなが提督を慕っているからですよ」
「はい? なんか、きもいぞ」
「むーてきーの南雲があ、ゆうことにゃー、あそーれ」
「やめろって」
こいつ、意外にノリノリだ。あそーれとか、増えてるし。
おれは苦笑する。
「とにかく、空爆したい気持ちはわかるよ。なんたって、わずか五百キロで敵味方の基地があるんだからな。だが、そうすると泥沼になる。これはおれの信念だ。講和や停戦合意には戦線の膠着が必要なんだよ」
「はい」
「そこで一木大佐、君を勇将と見込んでたのみがある」
じっと見つめる。
「君にラバウルを任せたい」
「……」
「やり方はこうだ。ラバウルのあるニューブリテン島に最低でも四か所の要塞をつくり、電探と連動高角砲で武装させる。逆に航空機は森に隠して島全体を秘密基地化するんだ。物資は海軍が責任を持って輸送するから心配いらない。敵の潜水艦が唯一脅威だが、同時に三つのルートと三隻の輸送船で搬送し、最悪でもどれかが着くようにするから大丈夫。しょせん潜水艦の弱点は航行速度だ。それが今回の海戦でよくわかった。どうだい、やってくれるか?」
「……面白そうですね」
すうっと一木の目がさらに細くなる。
さすが、こうなると背筋も凍るような百戦錬磨の迫力がある。
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