合衆国は誰と戦うべきか
●43 合衆国は誰と戦うべきか
ニューヨークには、タイムズスクウェアという場所がある。
むろん、新聞社ニューヨークタイムズにちなんでつけられたものだが、その由来は意外に古く、1904年、同社が本社ビルをこの地に移転してきたときに、当時の市長であるジョージ・ブリントン・マクレラン・ジュニアが命名した。
以来、1913年に本社ビルが少し西の四十三番地、タイムズ・アネックスに移転したあとも、同社は時代を代表する大マスコミとして地元に愛され続けている。
ニューヨークタイムスの本社ビルに到着して、這這の体で自宅へと逃げ帰った社主ザルツバーガーに代わってジョシーの相手をしたのは、二十五歳の女性記者、ヘレン・トーマスだった。
ザルツバーガーによれば、彼女はワシントン・デイリーニュースの記者だったらしいが、今は古巣の新聞社が傾いて、フリーランスとして臨時の記者をやっているそうだ。
アラブ系移民で、長い黒髪に、少し褐色の肌のヘレンは、好奇心の強そうなクリクリした大きな眼をしていた。
「ねえ、今度の映画カサブランカ、もうご覧になった? ハンフリーボガードがとってもハンサムなのよ」
第一声がこれだ。
ジョシーはうんざりした。
「映画は見るが、封切りを追いかける趣味はないな」
「あら、それは残念だわあ。とってもいいのよ。あ、そうか、ジョセフィンちゃんは軍人さんだったわね。だったら、スポーツとかどうかしら? 野球のMLBオールスターゲームは? 今回が十回目なんだけどお、七月にニューヨーク・ジャイアンツの本拠地ポロ・グラウンズで試合があるの。ちなみに、私はジョー・ディマジオがあ……」
ほおっておくと、とめどなく喋るタイプのようだ。
かぶせるように口をはさむ。
「メジャーリーグなら知っているぞ」
「……?」
窓をながめる。
ここは十階にある来賓室で、広さも内装も申し分なかった。
「MLBコミッショナーのランディスが、開戦当初、ルーズベルト大統領に親書を送り、野球を続けるべきかと訊いたことも知っているし、大統領が野球は続けて市民の娯楽に貢献すべしと回答したことも知っている。それに、昨年最多勝利ピッチャーのボブ・フェラーが海軍に入隊したことはあまりにも有名だ。他になにかあったか?」
「あら」
ヘレンが黒い目をぱちくりさせる。
「……くわしいのね」
「みんな普通の暮らしをしようとしている。映画もスポーツも新聞もだ。だが戦争は否応なく市民の生活に入りこむ。知らないフリをしても、戦場では殺し合いをしているし、若い兵士は死んでいく。なにごとも正しい認識が重要なのだ」
「そ、それなのよお! ちょっとこれを見てちょうだい」
めげることなく同じ調子で言うと、ヘレンは分厚い資料を開いた。
「……わかるかしら、合衆国と日本の艦船の数を比較したものなの。たとえば開戦前、合衆国は太平洋に、戦艦十一隻、空母五、巡洋艦三十二、駆逐艦八十四、潜水艦は百十一隻よ。対する日本は戦艦十隻、空母十隻、巡洋艦は三十八、駆逐艦百十二、潜水艦は六十五だった。でもこれが今はどうなってると思う?」
そう言って、今度は減った数の資料を見せてくる。
当然、南雲との闘いによって、空母はゼロになり、駆逐艦や巡洋艦も激減している。潜水艦だけはいまだに優位だが、両国の数字には隠しようもない歴然とした差があった。
(なるほど、そういうことか……)
どうやらこの女は、いかにアメリカの艦船が失われ、戦況が不利になっているかを証明したいらしい。
「ね、戦争ってなんだと思う?ミス・ジョセフィン!」
「……」
「そりゃ、戦争行為そのものは外交手段の一部よ。だけど、けっきょくは対話と交渉の放棄だと思うの。……あ、もちろん!」
手をひらひらさせる。
「軍人であるミス・ジョセフィンにはちょっと不満かもしれないけど、インタビューの前に現実をきちんとすり合わせしておきたくて……」
つまり、この女は今の時代にはめずらしい、反戦主義者なのだ。
だとしたら、彼女が書く記事は、そういう色合いのインタビュー記事になるだろう。それを見越して、別に掲載されるプロパガンダのカウンターとして、ザルツバーガーはこの女をワタシの担当につけたのだ。
だが、反戦派のレッテルを貼られたら、記事は説得力を失い、行動にも制限がかかるだろう。それは得策とは言えないし、ワタシがやりたいこととも違う。
そもそも、ワタシはどんな戦争も悪ときめつける反戦派ではない。そう書かせないためには、とにかく、ヘレンの認識を変えなければならない。
「ではさっそく始めましょうか。このインタビューは四日間、記事は二週間にわたって掲載される予定ですのよ。ですから、まずはミス・ジョセフィンの生い立ちから……」
慎重に言葉を選び、誘導を意図した質問ははぐらかす。そうやって、とりあえず一日目の仕事は終わりを告げた……。
新聞社で予約してもらった安ホテルに戻る。
軽くシャワーを浴びた後、真新しい白いブラウスに着がえる。
身体が乾くまで、そのまましばらくベットで新聞を読んだあと、軍服をふたたび着る。
ロビーにいる、黄色い鼈甲の丸メガネをかけた、太っちょの爺さんに鍵をあずけたワタシは、ヘレンと待ち合わせしたデルモニコスというレストランに向かった。
これから世話になるからと、こちらから誘ったのだ。
ヘレンは先に来て待っていた。
「ああら、早かったのね。私も今来たところよ。夜見る軍服もかっこいいわあ。ちょっぴり女らしく見えるのは帽子をかぶってないせいかしら。ああ、金髪がとっても素敵、それにすごく可愛い。よく考えるとジョセフィンちゃんはティーンエージャーですものね。それにしてもどうやってこの店を知ったの? 私も知らなかったのよ。ここ、ちょっと高そうだけど大丈夫? 私も前の会社を辞めちゃって、あまりお金はないんだけど……」
「この店のことは会社の壁に貼ってあった新聞で見て、予約は君が席を外している間に電話交換手につないでもらった。それに心配は無用だヘレン。今夜はワタシのおごりだ」
「まあ!」
とまどっているヘレンを奥へとうながす。
「さあ、行こう」
「なんだか複雑だわ。あなたが彼氏なら最高なのに……」
席に案内され、名物だというエッグベネディクトとステーキのセットを二つ頼む。ヘレンは上機嫌でニューヨークという名の、ピンク色のカクテルを注文した。
あいかわらず一人でしゃべっているヘレンに合わせ、ゆっくりとディナーを楽しむ。思えばこんな豪華なレストランでの食事は久しぶりだ。
ひととおり食事が終わり、世間話も尽きかけたころ、ひと組のカップルがワタシたちの席にやってきた。
「失礼ですが、ジョセフィン・マイヤーズさんでは?」
「ああ、そうだ」
きちんとした背広を着て、ヒゲをたくわえている中年の男性だ。となりにはさっきまで同じテーブルに着いていた女性もにこやかに立っている。
「もしよろしければ、さきほど買ったばかりの著書にサインをいただけませんか?」
「いいとも」
快諾して胸のポケットからペンをとりだす。
「……君たちの名前は?」
「おお!ありがとうございます!」
目を丸くしてるヘレンをよそに、別の席からも数人が立ち上がり、われわれの席にやってくる。たちまち、レストランはちょっとしたサイン会場になりはじめた。
ウェイターを呼ぶ。
チップを渡し、五分ですませるから大目に見てくれ、と頼み、さらにヘレンにはサインのために本の表紙裏を開く助手をたのんだ。
「ワタシの好きな言葉を書いても?」
ヒゲの紳士に問う。
「もちろんですとも」
ワタシはうなずき、相手の名前と自分のサインの下に、ちょっとした言葉を添えた。ヘレンが持つワタシへの偏見を修正し、インタビュー記事がワタシの意図しない方向にズレるのを防ぐために、今日考えてみた言葉だ。
この時間ここに来ることを、出版社に連絡してマンハッタンの書店に知らせてもらったのも、ワタシだった。
「なんと書いてるのミス・ジョセフィン?」
ヘレンがのぞき込む。
「ワタシの言いたいことをひとことで表現してみた。どうだ?」
ワタシは本に書いた言葉を見せる。
「あら、深い言葉ね。……でもちょっと難しいわ」
「戦争は国家がするもっとも難しい外交行為だ。だからこそ考えねばならない。君はそう思わないか?」
「そうだけど……」
「ありがとう」
紳士と握手をして、本を渡した。
彼らはそれを満足そうに見ている。
そこにはこう書かれてあった。
『――合衆国は誰と戦うべきか。』
「素晴らしい!ありがとうございます」
「あ、それとヘレン」
「はい?」
「ワタシはマイヤーズ少佐だ。……これでもアメリカ軍人だからな。名前で呼ばれて嬉しいのは、父と叔父、あとはひとりだけだ」
「え、ええ。……わかったわ」
ワタシは軽く笑って、手を差しだした。
「……さて、次の方」
いつもご覧いただきありがとうございます。罠めいた仕事にもさりげなく先手を打つジョシーなのでした。




