NYタイムズの男
●42 NYタイムズの男
ロサンゼルスの大通り。
その書店は、間口は狭いが奥行きがあり、中はけっこう広かった。
入ってすぐの場所に、椅子が二十脚ほども置かれ大勢が座っている。中には立ち見している客もあった。
みんなが見つめる先には、ジョセフィン・マイヤーズがいた。
軍服に身を包んだ小さな身体を、ちょっと高いバー用のストゥールにおさめて、分厚い書籍を朗読している。
「……ヒトラーをどう思うか、と尋ねたワタシにナグモは言った。ヒトラーを肯定するやつなんかいない。全てを否定する。その眼に嘘はなかった。私はさらに訊いた。ではキサマの国はどうなんだ。他国を侵略したり略奪するのは、同じじゃないのか?彼は黙ってワタシを見つめ、やがてようやくその重い口を開いた。ポーランドを侵略したのはドイツだが、ソ連も同じことをやっている。日本は……」
一節を読み終わり、拍手につつまれる。
やれやれ、こういうのは得意じゃないんだがな、とジョシーは思った。しかしこれは処女作だし、今日はその発売日だ。たった一週間で書き上げたのに、前評判はすこぶるいい。きっと原爆についての、アインシュタイン博士との対談がよかったのだろう。
本のタイトルだって自分で決めた。
『NAGUMOとワタシ 17歳女性パイロットの手記』
いかにも際物風で気に食わないが、世間の耳目をあつめるには仕方がない。それが今は大型の本になり、表紙には白黒だがすましたポオトレイトも載っている。われながらなかなかの美人だ。
朗読が終わると、本を購入した客たちへのサイン会がはじまる。
ようやく終えて、店から出たとき、一人の男に声をかけられた。
「ミス・マイヤーズ?」
背が高い。年は五十くらいか。金髪でやや頭頂部が薄くなっているが、身なりの良い紳士だ。
たしか、ずっと後ろの方で立ち見をしていた。
男は優しげな笑顔を向けてくる。
歩道のない舗装路には、車が行きかっていた。
「なんだ? サインなら……」
「いえ、そうじゃありません。ちょっとお願いがございまして。私はニューヨークタイムズのザルツバーガーと申します」
「……」
男は背広をきちんと着て、ネクタイをきちんと締めている。
「アメリカ最大の新聞社主、A・H・ザルツバーガーがこのワタシになんの用だ?」
男は、ニッと口角だけで笑った。
「失礼ですが、ミス・マイヤーズは……」
「少佐だ」
ジョシーは言下に否定する。
「え?」
「ワタシは今も予備役として特殊な任務にある。その内容は言えないがな。だからワタシのことはマイヤーズ少佐と呼んでくれ」
「これは手厳しい……わかりました、マイヤーズ少佐」
手厳しいのは当然だ。人を見た目で判断する人間が多すぎる。特に相手が女の場合、男はたいてい敬意よりも、馴れ馴れしい甘えを先に出す。だが相手が軍人だと知り、その次に知能がそのへんのカエルより優れているとわかると、やっと初対面にふさわしい口をきくようになる。
「ワタシになんの用だ?」
金髪の髪をかき上げた。
風に目を細める。長い睫毛のおかげで、埃には強い。
「ではマイヤーズ少佐、単刀直入に申し上げます。ニューヨークにお越しいただくことは可能ですか?」
「なぜだ?」
「実は先日、うちの社は合衆国政府に呼ばれましてね」
「……」
新聞と政府はいつも凭れあっている。だとすると戦意高揚の人形にでもするつもりか?
「ま、いわゆる政府のプロパガンダに協力しろってことです。このタイミングでわが合衆国の国力を示す記事を書かせて、今の不利な戦況を糊塗しようとする狙いですな」
「ありそうなことだが、ワタシは協力しないぞ」
「いえ、逆です」
「……」
「先日、私はアインシュタイン博士の講演に招かれました。テーマは……民衆は戦争を知らねばならない。長距離爆撃機と、原子爆弾によって、やがて民衆が被害の主役になる、でしたかな」
確かに逆だ。
しかも、この男はワタシという一風かわった海軍少佐がいることも、アインシュタイン博士から聞いたのに違いない。
だとすると興味の対象は、戦争が継続することで受ける自分たちへの被害か。
「なるほど、大都会を根城にする企業としては、戦争を煽ってばかりはいられない……というわけかミスターザルツバーガー」
「真実を報道するのは新聞の役目だからですよマイヤーズ少佐。あなたはナグモとの日々を本にされた。私は出版社からの献本ですでに読ませていただきましたが、とてつもなく感情の排除されたハードボイルドな文体ですな。しかも内容は非常に興味深い。この本はナグモの捕虜の扱いや、戦争思想、原爆の開発など、アメリカ国民が知っておくべき示唆に富んでいる。できればプロパガンダと同時に、少佐のロングインタビューを掲載することで、報道のバランスをとりたいのです」
「それはいいが、合衆国がそれを許すかな?」
「はっはっは、それは私が心配することでしょう。どうです、来ていただけますかな?」
「ニューヨークは遠いぞ。どうやって行く?」
「おお!それなら車を用意してあります」
そのとき、ロスアンゼルスの上空に大きなプロペラ音がした。
見上げると、銀色に光るSBDドーントレスの編隊が、白い雲間を横ぎっていた。
「ど、どうして軍用機なんですか?」
「アベンジャーだ」
飛行場で待機していた飛行機のプロペラが、キュンキュンと音を立てて回り、ゆっくり動き始める。
大きな身体のザルツバーガーが一番後ろの席に座っている。青ざめた表情で目をキョロつかせ、せっかくの紳士ぶりが台無しだ。おまけに背広姿にゴーグルをつけ、奇妙にアンバランスだ。
「わ、私は飛行機が苦手で……」
ワタシはあのブックストアでの軍服のままだ。
ふだんから無駄な荷物は持ち歩かない。膝の上に置いた黒い海軍バックひとつ、それだけで十分だった。
操縦席の飛行士に声をかける。
「急な任務ですまない大尉」
「いえ、オクラホマ州エニド陸軍飛行基地を経由して、ニューヨーク州ウェストポイント基地までの緊急任務、合衆国ノックス海軍長官直々の依頼とあってはかえって光栄です」
「大尉、腕はたしかか?」
「……この基地では一番です」
「ロサンゼルス基地で一番なら、この機体でも宙返りくらいはできるな?」
「朝飯前です」
三人の声はレシーバーで共有化されている。
「や、やめてくださいよっ!」
「お客さん、嫌がってますね」
「いや、遠慮してるんじゃないか? ……ワタシは飛行機乗りでな。長らく乗ってないからたまには身体を慣らしたい……やってくれ」
「ラジャー」
「ちょ、ま、ひい~~っ!」
ブレーキを外し、スタートする。プロペラを全開にして速度をあげると、軽やかに離陸した。
そのまま宙返り……。
「うわあああああ!」
ザルツバーガーはブン屋のくせに飛行機が苦手なのか?
「ふむ、あと二回ほどやってくれ」
「NOOOOOOOO!」
いつもご覧いただきありがとうございます。久しぶりのジョセフィン・マイヤーズです。三人称が一人称に変化する文体に挑戦してみました。




