草鹿、敵艦をボコる
●39 草鹿、敵艦をボコる
海に放り出される南雲を、大勢の兵士が目撃した。
「南雲長官~~っ!」
「おい、長官があっ!」
「飛び込めっ!浮き輪投げえ!」
雷撃の衝撃が冷めやらぬ中、強靭な体躯をした何人もの若者が自ら海に飛び込んでいく。騒ぎに気づいた他の兵たちも、甲板に降りてきて、幾本ものロープと浮き輪を投げる。
ぐおおおっと、武蔵の艦本式タービンエンジンのうなり音が聞こえてくる。
甲板の端から垂れ下がったロープが、動き出した船の振動で大きく揺れる。
「船が動くぞ!」
「いかん、長官が巻きこまれる!」
「艦橋へ知らせろ!」
幸い、それほど深く沈んだわけではなかった南雲の身体は、飛びこんだ兵士たちによって抱えられ、差し上げられた。救助した兵士たちはそのままロープを掴み、そのロープは甲板にいる大勢の兵士によって、ぐいぐいと引き上げられていく。
「おい!また水雷が来るぞ!」
「左舷40度雷跡っ!」
「放すなあああああっ!」
ドグアアアアアアアアアアアアン!
甲板から垂れ下がった十本近いロープが激しく揺れ、吃水から五メートルほどの場所に掴まっていた数人と兵士、そして南雲の身体を、激しく船体にたたきつける。
「ぐあっ!」
「手を離すな!」
「あげろあげろ!」
兵士たちは自らも脳震盪をおこしながら、決して南雲の身体を離そうとはしない。鉄の船体に強引に擦られる痛みにも耐え、必死になって抱え続ける。そうして、数人の兵士に抱えられたまま、南雲の身体は徐々に引き上げられていった。
「被害報告!」
「右舷前方被雷!内部損傷なし」
「左舷中央被雷、左二番三番ボイラー損傷」
「航海長、取舵全速、次雷撃に備え」
「機関、右舷全速!」
「駆逐艦入電、敵潜水艦を見ゆ」
「敵を追わせろ」
「砲撃長敵襲に備え」
「一番二番用意」
「機銃掃射準備よし」
南雲との交代で司令をつとめている草鹿が、あわただしく情報の確認と指示を出すなか、若い一人の兵士が駆け込んでくる。
「長官を引きあげました!」
「ご無事か?」
「まだわかりません!」
「よし、あとは救護班に任せてお前たちは持ち場に戻れ」
「はっ!」
戦艦武蔵はいったん左に転回して射線をずらすと、全速で航行をはじめる。駆逐艦が割って入り、すぐさま潜水艦の駆動音を聴音機で探り、爆雷を投下する。
情報の確認によれば、右舷から初弾水中中深度から六発の雷撃がおこなわれ、そのうちの一発が命中、さらに左舷からは四発の雷撃があり、中央に一発が着雷したようだ。
中深度から発射された魚雷は、いったん浮上して海面近くから水平航走するため、直前でないと雷跡が確認されない。しかし、それだけに相手が動いてしまうと、もうそれ以上当てることは難しかった。
草鹿は艦内電話で、急ぎ軍医からの報告を聞く。
「長官のご様子は?」
「目立った外傷はなく、命に別状はありませんが、海に落ちた時、頭を打たれたようで、まだ意識が戻りません」
「先生、なんとしてもお救いしてください」
「わかっております。全力で看護いたします」
溜息まじりに受話機を戻す。
他の参謀たちが集まり、草鹿の顔を見る。
みんな、青ざめ、口数は少ないが、南雲を心配しているのだ。
草鹿は無理に笑う。
「やだなあ、長官になにかあるわけないでしょう。大丈夫です。まだ意識はないけど、命に別状はないそうですよ。……さあ、こっちをしっかりやりましょう。でないと、目が覚めた長官に叱られますよ……」
空母からも索敵機が出て、水中聴音機による敵潜水艦の捜索が行われる。すこしでも音があれば爆雷を大量に投下し、ふたたび探索が行われる。南雲長官の負傷は全軍に伝わっており、乗員たちの怒りすさまじく、執拗かつ徹底的な追撃が行われた……。
おれは歩き出した。
じっとしていても仕方ないし、不安になる。
どこかに行けば、なにかがあると思う。
ああ、だけど……。
自分の足は速いのか遅いのか。
いったい、どれくらい歩いたのか。
さっぱりわからない。
のどが乾いた。
あの建物のそばで水の匂いがするな。
さらさらと音がする。
行ってみよう。
あ、やっぱり水が流れてるぞ。
これはなんだっけ?
そうだ、川だ。
水を飲む。
ごくごく……。
うん、お腹がいっぱいになった。
ちょっとばかり、頭がはっきりしてくる。
とにかく前に進もう。
ずいぶん、車が少なくなってきたな。
地面が土になってきた。
なんとなく、建物も田舎っぽくなってきたぞ。
あ、なんか看板がある。
字が書いてある……。
字?
おれに、読めるのか?
……。
読める。
おれは字が読めるんだ。
頭のどこかがはっきりしてくる。
おれは文字を読んだ。
「「九州、豊後の国」」
九州……日本だ!
豊後……は読めるが、どこかは知らない。
おれはかまわず、また歩き続けた。
いくつかの道をすぎる。
なんとなく山に近づいてる。
長い土塀がある。
塀にも屋根があるんだな。
寺か、大きな家だ。
こんな田舎にめずらしいな。
家だ。家だ。中からいい匂いがするもんな。
まだ塀、どこまで塀だろう。
おや、門があるぞ。
表札……?
読めるかな?
読んでみよう。
「「佐伯」」
……誰?
数時間がたち、あたりには、数隻の潜水艦にあたる、残骸と油が漂っている。
おそらくは潜水機能を破壊されたのだろう。一隻の潜水艦が、武蔵の十キロほど先に浮かんで、海上をむなしく逃走しはじめた。こうなると、ただの遅い船だ。
草鹿はその小さな黒い点を双眼鏡で追っていた。
(敵の潜水艦隊はあれが最後か……)
敵ながら天晴れだった。旗艦武蔵だけを狙い、決死の突撃をした。聴音機をかいくぐり、至近距離まで隠密に待ちかまえ、狙いすまして魚雷を発射した。
そこには敵なりの、覚悟があったんだろうな、と草鹿は思った。
十隻近い駆逐艦に取り囲まれ、魚雷と爆雷に行く手を塞がれることも、想定していたに違いない。自分たちの艦隊がほぼ全滅し、一矢報いなければここで戦争が終わってしまうほどの、諦念がなければ、できることではなかった。
「どうしますかな」
山口が問う。
むろん、それはそれ、許せないものは許せない。
はらわたが煮えくり返っているのは、みんな同じだ。
なんといっても、彼らは旗艦武蔵に雷撃し、あろうことか、艦隊長官の南雲中将を負傷させた。
今、最後の敵は眼前にいて、どんな方法でも攻撃できる。駆逐艦の魚雷でもいいし、砲撃でもいい。せっかくの艦隊決戦に活躍できず、この空域を飛び回る数十機の艦攻たちの、何機かが魚雷を落としてもいい。
だが……。
草鹿が意を決した。
馬鹿なことをやる、とわかっていても、我慢できない。南雲長官に危害を加えた敵を、この手でやらずにおれようか。
「航空機と駆逐艦を退避させましょう。本艦、主砲用意!」
山口がにやりと笑った。
「艦長っ」
「砲撃長、主砲射撃準備」
「目標、左二十度、海上を逃走せる敵潜水艦、測的はじめ!」
主砲が動きはじめる。たしかに馬鹿なことだ。
だが、南雲艦隊の誰もが、その決定を当然のように受けとめた。
すぐさま無線が飛び、逃げる潜水艦を取り囲んでいた駆逐艦たちが、全速で退避しはじめる。航空機も艦隊の後方へと下がる。
「初弾観測斉射、交互打ち方発令発射……測的よし」
一番と二番の主砲が方位角、そして仰角を合わせる。
「主砲方位よし射撃用意よしっ!」
「撃ちぃかあたはじめ~~っ」
鳴り響くブザーのあと、主砲が火を噴く。
ドオオオオオオオオオオオオン!
それはまさに、南雲艦隊怒りの砲撃であった。
みなが固唾を飲んで見守る。二十秒ほどの沈黙が訪れる。
「初弾用意、弾~着っ!」
遠くかすむ潜水艦に、砲弾分の水柱があがる。
ドカ―――ン!
バッシャ――――ン!
戦艦武蔵の主砲弾は、見事その観測斉射初弾で、敵の潜水艦に命中したのであった。
いつもご覧いただきありがとうございます。南雲が不在のなか、草鹿ががんばっております。らしからぬ展開で恐縮です。もうちょっとだけおつきあいくださいませ




