わんっ!
●38 わんっ!
海戦は終わった。
波に揺れる戦艦武蔵の甲板で、おれは当番の兵士たちと談笑していた。目の前には六十口径、十五・五サンチの副砲がその巨大な砲塔を横たえている。
目を少し上にやると、二十五ミリ機銃や、八九式連装高角砲がぼこぼこと突き出ていて、なかなか勇猛な眺めだ。
ここのところの戦闘で、甲板にも艦橋壁にも穴が開き、硝煙がこびりついたりしているが、連日の手入れでずいぶん綺麗にはなった。穴は溶接で塞ぎ、剥がれたペンキはなんとか補修されている。やっぱ何千人もの兵士がいると、こういうのはあっという間だね。
「こうやってると、教師時代を思いだすな」
「兵学校の、ですか?」
「いや、ふつうの教師だよ」
帽子から上下まで、白い装束に身をつつんだ若い水兵が十人くらいおれの前にいて、前の五人ほどは体育すわりをしている。鎖の張られた柵にもたれながら、おれは彼らにうなずく。
「昔、ちょっとばかりやってたのさ」
「本当ですか?」
「うん、中学だ」
「へー」
戦前の教育制度は戦後と違って複雑だが、それでも中学校というのはある。ただ、七年制でその後大学に進学するものや、四年または五年で終了するものなど、それぞれの進路によってかなり選択肢があり、複雑だった。
「長官は、教師と軍人、どちらがお好きですか?」
「ばか、長官は軍人に決まってるだろう。天命、いや、天賦の才をお持ちなんだぞ!」
おれは吹き出した。思わずよろけそうになり、鎖につかまる。おれは甲板の端柵に凭れているから、うっかり海に落ちたら、それこそ命が危ない。
「天才とかじゃないってば。軍人なのはグーゼンだし」
「え、そうなんですか?」
「もしも、おれが軍人として、うまくやってるとしたら、好きだったことの知識を生かしているからかな。歴史の知識、戦争の知識、科学の常識、とか。でもやっぱ、好きが一番さ」
「では……」
真剣な顔でおれを見ていたひとりの兵士が、おずおずと口を開く。
「な、南雲長官は、生まれかわったら、なにをおやりになるのでありましょうか?」
「ん、そうだな……」
おれは考えた。
この時代には七生報國なんて言葉があったりして、なんど生まれかわってもお国に尽くす、と答えるべきなんだろうけど……。
おれはこの世界線をなんとかしたい思いだけで、いままで別の人生を考えたことはなかったな。
「え~と、いろいろあるぞ。おれって柔道強いし総合格闘技の選手とかどうだろ。若い時から練習積んで、でかい外人をぶっ倒すなんていいかもな。それか、企業の社長もいいな。時代を先取りしてゲームやアニメやスマホアプリとか、黎明期のインターネットに乗っかって、世界を変えたりとかさ。んでもって、そういうのに全部飽きたら……」
「?」
ふと気づくと、兵士たちはぽかんとした顔でおれを見ている。
あちゃー、わけわからんことばかり言ってた気がするぞ。
「こほん……」
おれは鎖に寄りかかった。
「犬の訓練士かな」
「え、なんですかそれ?」
「小さいころ、実家で犬を飼ってたんだよ。柴犬だけど賢くてさ、だからこんど生まれかわってなにもかもに飽きたら、犬と触れ合う仕事を……」
立っている兵士たちの顔がこわばる。
おれはそれを見てなにかの異変を感じる。
「どうした?」
「ちょ、長官!」
ドゴオオオオオオオオオオオオン!
特徴のある金属のぶつかる音、爆発音。
激しい衝撃がおれの真下から伝わってくる。
雷撃!?
そうか、彼らは迫る雷跡を目撃したんだ。
(うおおおおおおおおおっ!)
ジャンプでもしたかのように、身体が浮き上がる。あるいは回転してしまったのかもしれない。なにかにぶつかり、自分がどこにいて、どういう姿勢なのかわからなくなる。
そのまま急激な加速感。
ザバアアアアァァァァァァ―――――ン!
ごぼごぼと泡の音がして、目の前が暗くなる。
気が遠くなる。
汐の錆臭い匂い……。
……。
……。
…………。
のろのろと頭をあげる。
おれはいつのまにか、うずくまっていた。
ぼんやりしていた頭がだんだんはっきりしてくる。
……くん、くん。
なんか臭いな。
それに寒い。
ここは、どこだ?
どこかの軒先か?
あ、なにかが走ってる。
寒い、なにか食べたい。
のどが渇いた。
なんか音がやかましい。
……。
…………。
……あれは……そうだ、車だ。
ぶんぶんとやかましい。
車がいくつもいくつも通る。
この臭い匂いは、車が吐き出してるのか?
おれはおそるおそる首を伸ばし、周りを見る。
おれはなぜ、ここにいるんだ?
なにをやってる……?
頭がぼんやりして思いだせない。
なにか、おれにはやらなくちゃいけないことがあったのに……。
立ち上がる。
奇妙な違和感があって、おれは自分の身体を見る。
茶色の毛がまず目に入る。そして前足。
前足!?
おい、おれは……人間だぞ?
おれは……。
おれは、日本人。
キリシマ……いや、違う。
さっきまでは違う名前だった。おれは……。
南雲……。
な、なんだこの感じ、前にも一度……。
ええい、それどころじゃない。
そんなことより、この格好はなんだ?
これじゃ、これじゃ……。
……まるで、犬じゃないか!
怖くなってまわりを見る。
なんか、でかい。
今までうずくまってた店がでかい!
いや、おれの、身体が小さいのか?
あ、身体が軽い!
ぴょん、と跳ねてみる。
軽く跳んだつもりなのに、身体ひとつぶんも高く跳べた。
歩き出す。
四つ足で、器用にスタスタ……。
……スタスタスタスタ。
店のドアがガラス製で、自分が映っている。
……え?
子犬?
なんだこりゃあああ!
「わんっ!」
お、おれは……おれは……。
犬になっちまったああああ!
油断大敵。やりすぎに反省しております・・・




