君を迎えに行かないと
●36 君を迎えに行かないと
坂井はスロットルを全開にして、上昇をはじめた。下からは、さすがの二千馬力スーパーチャージャーも加速がきかない。だからわざと一度武蔵の艦橋をかすめ、速度を稼いだ。
ぐんぐんと高度があがる。照準に敵機を捉えるのがきわめて難しい。機体を完璧に制御して機先を合わせにいく。機体が身体の一部のように感じる。上空に黒い影が見える。敵機だ!
はっきり見え、急速に近づいてくる。だが、あせりは禁物だ。照準には絶対の自信がある。おそらくあと数秒で、爆弾が切り離されるだろう。
ここからは狙いを正確にして、なるべく時間を稼ぐ。速度をやや落とし、フラップを少しだけ出す。
ぴたりと照準が合う。
坂井は二十粍機銃と十二・七粍を同時に撃った。
ガガガガガガガガガガ……。
相手からも応射がある。しかし構ってはいられない。相手が爆弾を投下するタイミングには、まだ三秒ほどある。
相手が機先をずらしてくるのを必死に追いかける。撃ち続ける。
ガガガガガガガ……。
ドーントレスが爆弾を切り離した。
あ、早い!
だがこのまま撃つしかない。
両方の機体から機銃が撃たれる。
ガガガガガガガガガガガガ……。
「いけえええええええ!」
ドオォン!!
ドーントレスが黒煙をあげる。破片の衝突を避け、きりもみから進路を変更する。
爆弾はどこへいった?!
坂井が首をまわすと、巨大な爆弾は疾風とすれ違い、落下していく。だがあきらかに武蔵を逸れ、海上へと向かっている。
なにもない海上に落ち、爆発の水しぶきを上げた。
やはり、あわてて切り離したために、狙いが外れたのだ。
他の船には……?
よし、問題ない。
坂井は満足そうにうなずき、水平飛行へと移った。
(南雲長官、今度おごってくださいよ)
敵機ドーントレスの爆弾は、戦艦武蔵からほんの二百メートルほどの海上で爆発した。巨大な水柱があがり、さしもの超弩級戦艦もぐらりと揺れる。
敵機の小さな残骸が、ガチャガチャと音を立てて降り注いだ。坂井がやってくれていなかったなら、代わりにあの爆弾がここへ落ちていただろう。
「……さすが、坂井だな」
「やだなあ長官、体当たりなんて言うもんだから」
「すまん」
おれは頭を掻いた。
「おれが思うより、ずっと坂井は優秀だったよ」
残りの敵機はすべて帰って行った。雷撃機も爆撃機も、弾が無くなれば長居は無用なのだろう。いや、それよりも勝敗はあきらかだ。ほうほうの体で逃げ帰った、と言うべきか。
いずれにせよ、敵機は去り、あとはすべて撃墜した。
攻撃隊の戦果報告によれば、敵の艦隊はエセックス三隻の撃沈をはじめ、壊滅状態のようである。かくして、これ以上の戦闘が無意味だと判断したおれは、情報分析室からの報告を待ち、戦闘の終結を宣言したのだった……。
そして……。
茜色の夕陽がおだやかな太平洋を輝かせている。
戦場となった各地では、それぞれの日暮れを迎えていた。
空母龍驤を護衛する駆逐艦は雷撃で大きな被害を受けた。二十度以上傾いた甲板には今も黒い煙が上がり、必死の応急修理がされている。いく人もの乗員がケガの手当のため、内火艇で空母へ移送されていく。幸い、なんとか沈没は免れそうだ。
空母加賀は爆撃を受け、甲板に大穴を開けたが、修理可能な小破ですんだ。これを母艦とする航空機は、いったんトラック泊地へ降ろすこととし、岡田艦長は本格的なドック入りのため、本土までの航行が可能かどうか、機関参謀らと打ち合わせをしていた。
トラック泊地の青島臨時司令室は、ようやく扉を開け放ち、みなが明るい太陽の下で身体を伸ばしている。細萱中将も、にぎりめしを部下から受け取り、陸海軍の兵士たちと、残務処理を相談しはじめた。守りきった充実感に、みんなの顔が明るい。
おれたちは武蔵の甲板にいた。
新ピカだったこの戦艦も、相手の機銃で穴だらけになって、すっかり歴戦の勇者っぽくなってしまった。兵士を集合させ、おれは労をねぎらうとともに、亡くなった将兵たちに黙とうを捧げた……。
こちらは空母エンタープライズである。
艦隊司令長官をつとめたスプルーアンスは、真っ黒い疲れた顔で、全速でトラック島に向かって航行する、空母の甲板に立っていた。
そこでは、すでに大勢の兵士たちが整列していた。
帰る母艦を失って海上に不時着した飛行士たちや、沈没した空母の乗組員、そして駆逐艦の乗員たちは、できるかぎり航行可能な駆逐艦に分乗して逃げ去った。
しかし、航空魚雷攻撃で動けなくなり自沈した空母ワスプとともに、空母二隻分の乗員たちと、その幹部たちだけは、紫色に沈んだ暮れなずむ海を眺めながら、沈鬱な時を過ごしていた。
「まさか、こんなことになろうとは……」
スプルーアンスが悔しそうに口を開く。
「司令官、胸をお張りください。みんな精いっぱい戦ったんですから」
「う、うむ」
ロバート副官にうながされ、スプルーアンスはようやく姿勢を改めた。
そうだ。みんな精いっぱいやった。
この私にしたって、慣れない艦隊司令官として、できる限りのことしたのだ。数で劣る艦隊を率いて、ジャップの太平洋の要害、トラック島を空襲するという隠密作戦をしかけ、もう少しで成功するところだった。おりしも敵はジョンストン島への出撃を示唆し、その裏をかく形で先制攻撃までやってのけた。
しかし、そのあとは……これはもう、不運としか言いようがなかった。敵の守備は固く、思いのほか対空攻撃が激しかった。基地には新型の戦闘機もいて、てこずっている間に、敵の主力艦隊までやってきた。時の運も、兵器の数も、そして性能さえも劣っていた。これでは勝てるわけがない。そうだ、どうしようもなかったのだ。
そして、最後はこのエンタープライズだ。やつらはわざと攻撃をしなかった。最後は降伏を勧告したうえ、何十機もの爆撃機が回りを旋回しながら爆弾を周囲に落とすという、おそるべき示威攻撃をくりかえし、降伏のやむなくにいたった。
多くの乗員の命を救うためには、降伏は唯一の選択肢だった。それも、アメリカ太平洋艦隊司令部には許可をきちんととった。機密書類や暗号ブックは錘をつけて海に沈めたし、エセックスに帰艦できず、やむなく降り立った新型戦闘機のF6Fは海へ落とした。……いったい、この私に、これ以上どうしろというのか……?
「司令官!」
「!」
ロバートにうながされて、スプルーアンスはわれに帰る。
……私は、疲れている。
それは間違いない。みんなも疲れているだろう。
そう思った瞬間、どっと涙があふれた。
滂沱と涙を流しながら、兵士たちの顔を見る。
どいつもこいつも、汚れた顔をしているぢゃないか。汗にまみれ、潮によごれて、疲労困憊の風情だ。みんな、故郷を遠く離れて、こんなところにまでやって来て、戦ったのだ。
スプルーアンスは呼吸を整え、ようやく、口を開いた。
「諸君、よくやってくれた。負けたことは悔しいが、勝敗は時の運だ。君らは命がけで祖国アメリカと太平洋の平和のために、せいいっぱい戦ったのだ。どうか誇りを胸に、国に帰ってもらいたい。幸い、ナグモは捕虜の扱いがいいらしい。それに日本には武士道というものがある。おそらくはひどい目には合わさないだろう。そのことは私からもよく頼んでおくから、安心してくれ。ご苦労だった」
そう言って、悲運の米司令官は敬礼をした。
乗員たちも、涙を浮かべて返礼する。
上空を舞う日本の戦闘機からは、あいかわらず大きなプロペラ音が聞こえている。やがて、空から新たな機体が現れると、戦闘機たちは旋回する直径を大きくして空間を作った。
その新型機である、山口多聞が乗りこんでいる艦攻天山が着陸態勢に入ると、空母エンタープライズの乗員たちはすでに聞いていたのだろう、帝国海軍機着艦の受け入れのため、粛然と散開しはじめた。
「……終わりましたね」
夜になり、ようやく落ち着きを取り戻した艦内の会議室で、草鹿が溜息まじりに言った。
「まあな。でも、こっちもそれなりの被害は出したから、手放しでは喜べない」
「長官は自分に厳しすぎますよ。これだけの戦果なら、明日の朝刊は、とんでもないことになりますよ」
おれは淹れてもらった茶をすすりながら、坐ったまま首を振る。
「そうかな? そもそもこの戦いって、もっと簡単にすむはずだったんだ。やつらがジョンストン島に来ていればな……」
「それはたしかに」
「さあ、明日は出発だ。今日は早く眠っておけよ」
「え?艦隊はトラック停泊とさっき……」
「そうだよ。だけど武蔵と駆逐艦だけは行くんだよ」
「ど、どこにです」
「バカ、お前は大高を見殺しにするつもりか?」
おれは笑った。
「あ」
「真面目なあいつのことだ。空母二隻を用心棒に、いまごろ律儀に海洋調査してるぞ」
おれは立ち上がる。
「迎えに行ってやらないとな!」
トラック泊地に名残の小雨が降る。サーチライトが設置された小島――現地人がジープ島と呼ぶ小さな岩礁には、その白い光を受けて、美しい七色の虹が浮かんでいた……。
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