武士の情けで首を斬る
●33 武士の情けで首を斬る
ニ十隻以上いたはずの駆逐艦が九隻となったとき、すでにアメリカ艦隊は輪形陣ではなくなっていた。
五隻の空母は、ひとつがエセックス級の三隻、もうひとつが旗艦エンタープライズとワスプという二つのグループに分かれ、それぞれを数隻の駆逐艦が護っている。
旗艦であるエンタープライズには、雷撃を受けたがまだ戦える巡洋艦アトランタがついていた。これがこの時点での、空母を護る最善の陣形なのだ。
日本軍が去り、自軍の攻撃隊が発進すると、油の浮いた海上から、顔も服も真っ黒に汚れた乗組員をあわただしく収容していく。あたりには硝煙と黒煙の匂いが立ちこめていた。
汚れた海に、ワイオミング州生まれの若いアフリカ系兵士が浮かんでいる。冷たい波をかぶり、さっきまで食堂の机だった木の板きれにつかまりながら、不安そうな表情で救助をまっていた。
まったく、おれはついてない、と重油にまみれながら、塩辛いツバを吐く。
憎いジャップを殺すために海軍に志願した。
生まれつき心臓が悪く、長じて健康にはなったが両親の反対もあって、兄弟で最後まで慰留された。それがようやく念願かない、厳しい訓練にも耐えたというのに、たった一か月でこのザマだ。
波が大きく揺れ、気がつけば巨大な船が近づいてくる。
見あげれば、駆逐艦の乗組員が、ロープのついた白い浮き輪を投げようとしていた。しめた!これで助かったぞ。
そう思って手を伸ばしたとき、空のかなたから、腹に響くような重いプロペラ音が聞こえてきた。
(なんだ? まさか、またジャップか?)
音の方へ首を回す。
海上からは見えない。乗組員がなにか叫んでいるのに気づき、ふりかえると、上空を見あげながら、急げ、と手招きしている。
「へい!浮き輪をくれっ!」
板を手放し、バシャバシャとクロールで駆逐艦に近づく。
駆逐艦の甲板でなにかが放送されている。
「おい、こ、こっちだ」
必死で叫ぶが、とうとう乗組員は浮き輪を投げ捨て、消えてしまった。
仕方なくそれに掴まる。
プロペラ音が大きくなる。
空には、もうここからでもはっきりとわかるほどに、日本の大軍が迫って来ていた。小さな翼の数機が、黒々とした無数の編隊になる。そのうちの三分の一ほどが低空に散り、こちらに向かってくる。
(ま、まずいぞ)
本能的に駆逐艦の船底に身を寄せる。
高角砲の発射音が、駆逐艦の上で聞こえる。
うちの一機が、これはもうはっきりと狙いを定めて、こちらに向かってきた。そのまま容赦なく機銃掃射をしてくる。
バリバリバリバリバリバリバリ!
バシャバシャバシャバシャ!
走りくる機銃の水しぶきに身をすくめる。
ガンガンガン!
ごおっという音と、風、そして水しぶき。
首をすくめて、必死に耐える。
敵機は海面から、駆逐艦の横腹をすりあげるように銃撃して飛び去った。
目を開くと、分厚い鉄の外板にはいくつもの穴が開いている。
衝撃で身体がしびれている。
兵士はこの船まで沈んだら、自分はどこへいけばいいのかと、泣きたい気分になった。
ようやく息をつこうとしたアメリカ艦隊を襲ったのは、第二次攻撃隊の爆撃隊、おなじみ、大日本帝国海軍の九七式艦攻、九九式艦爆、そして新鋭機の天山、合計約百二十機であった。
特に九九艦爆は二百五十キロもの爆弾を搭載して、六千メートルもの高高度から急降下爆撃をしかけてくる。空母では対空砲が少なく、駆逐艦がそれを補って応戦するが、中には急降下に移るとき重い爆弾を抱えたまま、ほとんど失速にしか見えない宙返りする猛者もいて、とても迎撃しきれない。
その結果、急降下爆撃の命中率は八十パーセントにも達した。
ヒュ――――――――ッ!
ド――――――――――ン!
空母エセックスは、すでに四発の爆弾を受けていた。
「撃ち落とせ!」
「だめです。真上を砲撃すると水平爆撃に……それに、敵が多すぎるんです!」
急降下爆撃に対抗してほぼ直上に五インチ砲を向けると、こんどはその間隙を縫って、恐るべき八百キロ爆弾を積んだ艦攻機が低空から襲いかかってくる。
砲撃手の声を聞いて、エセックスの艦長ドナルド・D・ダンカンは、不思議なことに気がついた。敵がなぜかエセックス級三隻に攻撃を集中しているのだ。
「おい、司令官に報告しろ。敵の爆撃はエセックス三隻に集中している、とな!」
「アイアイサー!」
「それから、掩護射撃を要請しろ。こちらだけではもたん!」
「アイアイサー!」
すぐにエンタープライズに無線が来る。
しかしこちらも高空への砲撃は極めて命中率が悪かった。南雲艦隊が恐れた四十ミリ砲も、有効射程は四千メートル、それより上空からの急降下にはなすすべがないのだ。
「おい、なぜあいつらエセックスばかりを狙うんだ?」
こちらエンタープライズの司令室では、スプルーアンスが必死の形相で副官のロバートをふりかえる。
「さてね」
ロバートが黒のファイルになにかを書きこみながら答えた。
「日本の本を読んだんですが、やつらには憐れみってものがあるそうですよ」
「……笑えん冗談だぞロバート」
胸倉をつかまんばかりに真っ赤な顔で詰めよるが、つきあいの長いロバート・M・グレイ中尉は平然としている。
「本当ですよ。武士の情け、と言うそうで」
「うむむ、なら目にもの言わせてやる」
「どうするんです?」
「こちらの二隻はエセックスの三隻に並走しろ、そしてエセックスの上空千五百フィートを狙って撃ち続けるんだ」
「なるほど、急降下の相手をこちらの弾が待ちかまえるわけですな」
「早くやれ!」
「イエッサー」
また九九艦爆が被弾した。それまで急降下爆撃では一機も墜とされなかったのに、突然二機が連続して撃墜されたのだ。
「爆撃やめ!」
周囲を注意深く旋回していた嶋崎が、すぐに異変を察知する。見ればエンタープライズとワスプがこちらが攻撃しないのをいいことに、エセックスの掩護射撃に専念しているようだ。
「爆撃隊は待機せよ」
すこし考える。
もう、敵の飛行機は始末しているから、襲われる心配はない。
敵の新型F6Fを警戒してトラック泊地から疾風が半数送られてきたが、いたのはたった一機だけで、あとはF4Fばかりだったのだ。
(さて、どうしたもんか。弾切れを待つのも癪だしな)
無線機をとりあげる。
「嶋崎より第一航空艦隊司令部、エンプラに機銃攻撃の許可を乞う」
二分とせず、返答がある。
「南雲司令官より。嶋崎隊長が判断せよ」
(ま、そうだよな……)
嶋崎は生真面目に許可をもらいにいった自分がバカに思えてきた。
戦争中に撃ってもいいか、とはなんだよ。
目の前の海では、何隻もの船が沈み、白や黒の煙を上げて、さらに敵の高角砲も機関砲も飛び交っている。自分たちだって無傷ではない。駆逐艦攻撃で何機かは犠牲になったし、さっきも爆撃機が二機やられた。
ちょっと敵に情けをかけすぎたようだ。
嶋崎は知らず知らず、油断していた自分に気がつく。
情けなんか知るか! 武士の情け、とはいうが、本当の武士は敵の首を撥ねながらそう言ったもんだぞ?
もう一度、無線をとりあげる。
「戦闘機は全機エンタープライズとワスプを狙え! 機銃で黙らせろ! 爆撃隊は早いとこエセックスを沈めるぞ!」
スロットルを押す。
千八百馬力が吹き上がり、天山は猛然と敵空母へと向かっていった。
いつもご覧いただきありがとうございます。そろそろこちらの攻撃はひと段落しそうです。でも敵の攻撃隊はこれからですね。 ブックマーク推奨します。ご感想、ご指摘をお待ちしています。とても励みになっております。




