父親ゆずりの悪い癖
●30 父親ゆずりの悪い癖
「よし小野ちゃん」
おれは小野通信参謀を呼んだ。ここはおれがいつも会議室と呼んでいる、戦艦武蔵の司令官公室だ。
「なんでしょう」
「待たせたな。時間を指定するから、無電を平文で打ってくれ」
「わかりました」
小野がメモをとりだして書きとめる準備をする。彼お得意のポーズだ。
「え~と、まずは時間だが……敵の哨戒機が来るのは、日の出の少し前か……草鹿、今日の日の出は何時だ?」
「ちょっとお待ちください」
気象班に艦内電話で問い合わせている。
「四時三十五分、0435です」
「へーそんなに早いのか。じゃあ四時二十分としよう」
「諒解です」
「次は文面だ。……大日本帝国海軍、南雲艦隊各隊は、アメリカ艦隊との決戦に備え、トラック泊地洋上にて待機せよ」
「は? 敵に位置を教えてやるんですか?」
主席参謀の草鹿、特別参謀長の山口、そして参謀長の大石が一斉におれを見た。
「別に教えてはいないぞ。トラック泊地の洋上とだけだ」
もちろん、彼らには説明してやらないといけない。
おれはおもむろに立ち上がった。
「なあ、おれたちの艦隊は、現在バラバラに移動している、だろ?」
山口多聞がうなずく。
「はい。さきほどの命令で、トラック泊地を約五十ロの距離で、各空母艦隊がぐるりと取り囲むような陣を目指して移動しています」
「それがこの島をめぐる陣形では一番強いからな。島は停泊地であると同時に防空要塞だから、それを母艦のようにして、周りを取り囲む陣が一番強くなる」
「たしかに……」 と、大石。
「ところが、そうなると敵の哨戒機は、おれたちを発見できないだろう。そして、相手を見失ったとなれば、やがて離脱し逃走してしまう可能性が高い」
おれは机上の海図を指さす。
「それに、あいつらのもともとの目的はトラック泊地の爆撃だ。それが失敗したなら、さっさと撤退したくなるのが、心理ってもんだろ」
「心理……」
「心の動きってことだよ大石。そこで、ここに釘付けにしてやるのがこの無電なのさ。わざわざこちらの動きを教えてやるんだ。ただし、トラック泊地の洋上とだけな。やつらは怒り狂うしかない」
「なるほど」
「たとえ冷静でも、しばらくは身動きがとれまい。それが目的なんだ。うまくいけば、やけくそになってトラックを爆撃に出たところを、叩くことが出来るかもしれんよ」
「まさか!そこまでは……」
「まあね。おれだってそこまで敵の司令官がバカとは思っちゃいない。だけどこんな風に現場が混乱すると、大きなミスを犯しやすいんだ。こいつは歴史が証明している」
たとえばミッドウェーとか、ミッドウェーとか。
「平文ですしね」
小野がぽつりと言う。暗号のかかっていない平文で打てば、それは敵に見ろ、という意味になる。これ以上ない舐めた挑発だ。
「挑戦状……」
「雀部、そういうことだ」
みんながようやく納得した顔になる。
「よし、整理するぞ」
おれは立ち上がり、あらためて机に置かれた海図を指さした。
「やつらは今、輪形陣でこのトラック泊地の南東方向のどこかにいる。そしておれたちは現在、バラバラの空母艦隊でひそかにトラック泊地を取り囲む陣形を目指している」
机に広げられた海図にあるトラック泊地を差し、その周りに艦隊を配置していく。
「夜明け、お互いが哨戒機を出して相手の位置を確認するころ、おれたちは電文を打ってやつらの出鼻をくじくと同時に、この地に足止めをする。その間におれたちはトラック泊地に陣を張り、一斉に攻撃を開始するんだ。おれたちを見失い、動けなくなっているやつらに、例の戦術でな」
やられた艦戦の乗組員を引き上げ、サッチらの爆撃隊を収容したあと、ようやく哨戒艇を飛ばして敵の位置確認を命じる。日本軍の夜襲は乗組員をかなり疲労させていた。
「レイモンド、ニミッツ司令長官からの指令が届きました」
「読んでくれロバート」
スプルーアンスは一睡もせず、目の下に隈を作っている。彼はこんな時に眠れる性格ではなかった。破産者の父親と優秀な編集者である母親に育てられ、若いころからとにかく働かない恐怖と戦ってきたのだ。
「では読みます。トラック島への攻撃作戦を終了する。敵艦隊との遭遇戦を避け、すみやかに帰投しろ、だそうです」
ちょいと肩をすくめるロバート・オリバーがまた小憎らしい。
「こちらの損失三隻を聞いて、怖気づいたんですかね?」
「三隻が問題じゃないだろうよロバート、提督は南雲艦隊との正面衝突を畏れているんだ」
数字を言われるとひどく堪える。
スプルーアンスは渋面をつくって首をふった。
「くそ、このまま帰れってのか? いいところなしじゃないか」
「命令なら仕方ないでしょう」
司令室の中を忙しく立ち回る若い兵士たちをながめ、ロバートは疲れた様子の上官を気づかった。
「レイモンド、ちょっと休んだ方が……」
「休んでなんておられんっ!」
またかかとでカンカンと床を蹴る。じろりと見る副官に、バツの悪い顔をする。
「……す、すまん」
「いいんですよレイモンド、ところで……」
なにか言おうとした副官に、通信兵が紙を持ってやってくる。
ロバートはそれをちょいと取り上げ、さっそく黒いファイルに挟みながら口を開いた。
「四時二十分、敵の電文を傍受しました。平文ですね」
「平文?」
「内容はこうです。大日本帝国海軍の南雲艦隊各隊は、アメリカ艦隊との戦いにそなえて、トラック島の海上に待機せよ」
「?」
「平文ってことは、こいつは挑戦状ですよ、レイモンド」
さすがに真顔になったロバートが、もういちど繰り返す。
「南雲艦隊は、アメリカ艦隊との戦いにそなえて、トラック島の海上に待機せよ、です」
「あ、あいつら、待ってるから来いってことか?……ば、ば、馬鹿にするなっ」
カンカン!
「くそっくそっ!」
カンカン!
「私なら……」
ロバートがスプルーアンスの靴を見てつぶやいた。
「そのかかとはもっと大事にしますがね……」
「うるさいっ!」
これほど馬鹿にされたことはかつてなかった。
アメリカ海軍に所属する自分や、あるいは率いた艦隊は、常に人々の尊敬と称賛にあふれたまなざしで見られてきたし、最大級の敬意で語られて来た。それがなんだあいつらは? おれが逃げるとでも思って挑戦状だと?
「で、どうするんです? 南へ向かいながら様子を見ますか?」
「……爆撃をやる」
「は?」
血走った目で、スプルーアンスがしぼり出すような声で言う。
「作戦はあくまでもトラック島五つの主要施設破壊だ。艦隊戦は作戦にはないが、トラック空襲だけは成功させねばならん。いまなら連中も手薄になっているはず」
「ですかね?」
「そうとも!」
スプルーアンスは自信たっぷりにうなずいた。
「ナグモがくるならそのあとで戦えばいい。空になった航空機に魚雷を積んで相手になってやる。くそ、くそ、あああああ!」
カンカンカンカン!
「悪い癖ですよそれ」
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