意外に短気
●29 意外に短気
闇夜の海上に、曳光弾が激しく飛びかっている。
数キロにもおよぶアメリカ艦隊輪形陣の各艦船から、無数の火花が上空に向けて発射され、空から見れば、あたかも船の位置を知らせる目印のようだ。
一方、戦闘機の方はほとんど見えなかった。ときおり日本の航空機から照明弾も撃たれるが、範囲は限定的で、基本なにも見えない。
近接した距離からの襲撃の際は、たしかに戦闘機からも曳光弾が放たれている。しかし、飛行機は船と違って飛んでいるから、その灯りが機体の位置を示すことはない。だから、アメリカ艦隊の乗組員たちは、敵機のエンジン音で、敵機の位置を判断するしかなかった。
そのぶん、対空砲火や機銃はむやみやたらと火を噴いた。見えない敵からの攻撃は、受ける側の恐怖がすさまじく、一人が撃ち始めると、もうエンジン音を聞くどころではない。ただただ撃ちまくるしか、その恐怖から逃れるすべはなかった。
「とにかく撃て。敵機を近寄らせるな!」
そもそも、上官からの命令がこれだけである。
航空機で迎え撃つこともままならず、高角砲で迎撃するのも一瞬のチャンスなら、あとは数にものを言わせて槍衾のように機銃掃射を続けるしか、方法はない。
曳光弾がひらめく一瞬、その影を見つめてみても、あるいは高角砲で弾幕を張ってみても、それが当たったかどうかがわからなければ、修正のしようがない。修正できなければ、ただ撃つしかない。
畢竟、その命中率は極めて悪くなった。
しかも、始末の悪いことに敵機は波状攻撃をしかけてくる。ますます敵を狙い定めることは難しくなり、アメリカ艦隊は無駄玉を撃ち続けていく……。
一方、日本の雷撃隊とすれば、敵は曳光弾を撃つ船すべてである。空母を狙えとは命令されておらず、主目的は陽動だから、周りの駆逐艦を削ればそれでよい。
それに、どうせ一発しか雷撃はできないのだから、夜陰にまぎれて近づき、そっと魚雷を発射してただ帰投するだけ。意外にも楽な襲撃になった。このとき、もしもアメリカ艦隊がすべて曳光弾を撤去して見えない弾丸を撃ち続けたら、被害はかなり増えたことだろう。
おれは攻撃隊からの報告を聞き、今後の艦隊戦夜襲に、大きなヒントをもらった気がしていた。
「ふーむ、夜襲ってのも意外に面白いな。レーダー連動砲が標準配備されるまでは、だが……」
おれは参謀たちと一緒に、会議室で報告を聞いている。
「そうですね、昔からわが海軍は夜襲が得意です」
「もうちょっと攻撃を工夫して、陽動や囮を入れれば、滅茶苦茶効果ありそうだぞ」
隣りにいる草鹿を見ながら、おれはアゴに手をやる。
「やだなあ。長官って、ときどき悪い顔になりますよ」
源田が通信兵からの報告を受けとり、おれの傍にやってくる。
「第三攻撃隊、駆逐艦への雷撃に成功しました。敵艦の被害は確認しておりません。夜襲ってのは、どれだけやったか、わからんもんですな。艦種不明の三隻が火を噴いたことまでは見えたのですが……」
「おう、それでいいぞ」
すまなさそうにする源田に、おれはうなずいた。
「今回の目的は、おれたちの艦隊に注意を向けさせることだかんな。とにかく、被害を受けないように帰ってきてくれ」
「ここまでの被害は?」
大石が尋ねる。
「現在第三攻撃隊までの六十機に関しては、行方不明機がわずか四機になります。それも機銃掃射のために近づきすぎた艦戦ばかりですね」
源田航空参謀がメモを読んで答えた。
「四機か……」
おれとしては一機も失ってほしくないのでよしとは言えないが、昼間の戦闘なら、もっと大きな犠牲が出たことだろう。
「とにかく、予定通りに艦隊を移動させよう。あと六時間、全速で移動する。多聞たのむ」
「わかりました」
坂井隊に襲撃されたジョン・スミス・サッチとその爆撃隊は、被害をまぬがれた残存機を率いて、トラック島を目指していた。いったん大きく迂回し、東から北へと移動したあと、そこから南下するコースを選んでいる。
傷ついた戦闘機と爆撃機には帰艦を命じた。しかし母艦からの連絡によると、敵襲があったせいで着艦もできず、離れた海域で旋回待機しているという。どうやら運悪く、敵の夜襲とカチあったのだ。
それでも、サッチ少佐は、まだトラック島への夜襲をあきらめてはいなかった。
(さっきは遅れをとったが、まだチャンスはある。俺は現在地を見失ってはいないし、どこか一つでも島がわかれば、そこを起点にして爆撃できるかもしれない)
サッチは開け放った操縦席から身を乗り出して、なんとか島影を発見できないものかと、星明りで光るかすかな白波に懸命に目を凝らしていた。
……ん?
遠いかなたの海上に、光るなにかが見える。
さらに目を凝らす。本能的にそこへの舵を切ろうとして、サッチは慌ててやめた。
(まずいぞ。行くのはちゃんと確かめてからだ)
無線機のマイクをとり上げる。
「こちらサッチ、各隊は指定旋回高度にて旋回せよ」
その場で大きく旋回を続ける。もともと階段状に飛行高度を変えて隊列を組んでいるのだから、そのまま旋回すれば、ぶつかる心配はない。ただし、今は操縦室のランプは消している。
それにしても、とサッチは考えた。
こんな戦闘中に灯台をつけるなんて聞いたこともない。
しかし、前方の海上に、たしかに明かりがある。あれはなんだ?
海図を確認する。
計器飛行の記録的には、トラック島のどこかだ。
少しだけ近づいてみる。
うん、やはり島になにか光るものがある。
行くべきか、行かざるべきか。
サッチはさらに二周、旋回を繰り返した。
頭脳が激しく回転する。
トラック島は見えた。やはりあれは諸島のどこかに設置されたなにかだ。あとは各島の位置が確認出来たら……。
しばらくして、ふっと肩の力を抜いた。
サッチは操縦かんを戻した。
翼がバンクして、水平飛行に戻る。
「これより帰投する。繰り返す、これより帰投する」
(やめたやめた。夜襲は察知されちまったし、味方機の数も減った。これ以上のリスクは抱えられない……)
夜襲に慣れないアメリカ艦隊も、五度にわたる波状攻撃を受けてだんだんコツがつかめてくる。一回の攻撃はそれほど多くない。せいぜいが二~三十機ほどだ。
しかも、その時に撃っていない艦には攻撃されないようだ。そこで、少し撃っては移動し、多少敵の雷撃精度が落ちたところで、敵の攻撃はなくなった。
「まだ来るかもしれん、警戒行動を維持せよ」
「アイアイサー」
「今のうちにサッチ隊を帰艦させろ」
「旋回中の爆撃隊は帰艦しろ」
「被害はどうだ?」
尋ねるスプルーアンスを前に、副官のロバートは、例の黒いファイルを開いて溜息をついた。
「ずいぶんやられましたよレイモンド」
「ああ、こっちの夜襲は待ち伏せされ、その上艦隊は襲撃されたからな」
「駆逐艦二隻、巡洋艦一隻が沈みました。それに、迎撃に出た艦戦が六機撃墜され、そのほかには救助に出た水上機も一機……まあ、これは味方の機銃に撃たれたんですが……」
スプルーアンスはカツン、と靴のかかとを床にぶつける。
「くそっ!」
思わず悪態をつき、かっとなった自分にはっとする。
自分はいつからこんな短気になったんだ……?
「こほん、遭難した乗組員の救助を急げ。それと……」
激高した顔を見せられない。ポケットに手を入れ、後ろを向く。
「それがすんだら哨戒機を出してくれ。南雲艦隊の位置を確認させるんだ」
いつもご覧いただきありがとうございます。夜が明けるころ、ふたたび南雲ッちの罠がさく裂します。次回をオタノシミに。 ブクマ推奨いたします。ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。




