おヘソをグリグリしたい
●27 ヘソをグリグリしたい
「なんですか、その、南雲中将がおっしゃる、やってほしいことって」
将兵の一人が怪訝そうな顔で尋ねた。昼間の激戦を物語る、脂ぎった黒い顔、濡れて汚れた軍服のままだ。
「うむ、夜襲の時間は0000(まるまるまるまる)だが、そのあとの時間、秋島の滑走路を使わせてほしいらしい。夜襲の帰り、一部の艦上機をこちらに着陸させたいと言っておられる」
南雲に対して、なぜかつい、敬語になってしまう。
あいつとは同期なのに、と咳払いでごまかす。
細萱は思いついて、通信内容の書かれた電文をとりだす。
暗い灯りに照らして、苦労して読み上げた。
「聞いてくれ。――我、トラック基地の守護を目的とし、秋島基地滑走路に掩護機十六機を送りて待機させたし。但し、受け入れに支障あらば、この限りにあらず」
「夜中に着陸ですって?」
将兵たちが驚くのも無理はない。
夜襲にまぎれて、空母艦隊から発艦した戦闘機を、ここに着陸待機させようというのか。
しかし、そのためにはこの雨の中、あるいは雨がやんだとしても、それまでに滑走路を整備しておかなければならない。
しかも新月である。たいまつやサーチライトを準備して、受け入れ態勢を整えるのはこちらの仕事なのだ。
やや間がある。やがて……。
「やりましょう!」
一人の陸軍将校が答えた。
「やります。南雲長官はこのトラック泊地を助けようとしておられる。やるのは当然です」
それを聞いた他の将兵たちも、こぶしを作って、口々に叫びだした。
「やりましょう」
「できます!」
「そうか、やってくれるか!」
細萱は、思わず涙ぐむ。
将兵たちは汚れた格好をものともせず、機敏な動作の敬礼をすると、意外にも明るい笑顔で、司令室を出て行った。
ついに、雨は止んだ。
夜のしじまに、航空エンジンの音が鳴り響く。
おれたちは戦艦武蔵の艦橋から、一番近くにいる、空母瑞鶴のシルエットを見つめていた。
翔鶴の甲板では、発艦の合図を待つ艦戦機の黒い影が、所定の位置へとゆっくりと進みはじめていた。
すでに、艦隊は風上に向かって全速で航行している。
飛行甲板の前方へと目をやると、そこには兵士たちが一定の間隔を開けてしゃがみ、大きな箱型の乾電池式電灯を捧げ持っているようだ。ちょうどこの年、単一、単二の乾電池が制定され、実用化されたのを思い出す。
「瑞鶴、準備よし」
「全空母発艦準備よおし!」
「発艦準備よし」
おれは時計を見た。まだ計画の零時には少し早い。
「発艦しよう」
「え?もうでっか?」
航空参謀の源田が意外そうな声をだした。
「まだ五分ありまっせ。よろしいんで?」
「気にするな。もうみんな用意できてるじゃないか。それに空も思ったより晴れた。なら、善は急げ、だろ?」
「わかりました」
おれはもう一度言った。
「発艦せよ!」
「TY作戦攻撃隊、発艦せよ」
「発艦~!」
武蔵から、光信号が発せられる。
無線ですべての航空母艦に命令がただちに伝わる。
旗を揚げ、発艦の合図を出す。
同時に、敵の攻撃を警戒して武蔵の巨大なサーチライトが上空へと照らされると、白い光の筋が、明けた星空にむかって何本も放たれた。
空母翔鶴からも航空機が飛びはじめたようだ。はっきり見えなくとも、影と音でわかる。まずは戦闘機、そして次は艦攻機の順で、つぎつぎに艦載機が発艦していく。
(みんな、たのんだぞ……)
艦隊の最前列にいる、ここ空母龍驤でも、旗艦武蔵からの発艦命令を受け、ただちに戦闘機疾風十六機と、艦攻機天山二十機が宙を舞った。
坂井飛曹長は、その疾風戦闘隊の隊長機に搭乗していた。
甲板を飛び出た坂井機は、ゆっくりと機首をあげると、車輪を格納していく。
空はとにかく暗い。日ごろから星を見て目を鍛えている彼ではあったが、これほどの暗夜に敵艦隊を攻撃するのははじめてだ。
坂井はキャノピーを開け、星明かりを確認すると、羅針盤灯スイッチを入れた。方向を確かめ、口にくわえた電灯で膝の地図を見る。
飛行進路を決定する役目は、今回三人乗りの天山に任せてある。その黄色の尾灯をつけた一番機のあとを追いながら、しかし、自分で確認せねば気が済まない坂井であった。
坂井機は上昇を続ける。すぐに空気が冷え、首筋のマフラーから冷気が忍び込んでくる。
今回、飛行高度については、各空母攻撃隊ごとに細かく決められていた。旋回する場合も、その高度より上空五百メートルの範囲で行わなければならず、あまり自由がきかない。龍驤攻撃隊は、高度三千メートルから三千五百メートルの間とされていた。
疾風と天山は最新鋭機のため、電探や無線もすぐれており、各攻撃隊よりも割り当てられた役割が多かった。敵艦隊の位置を電探で確認し、無線で各隊に連絡することや、最初の照明弾をいち早く現場に到着して撃つことも、そのひとつだ。
坂井は操縦席の右側に置かれた信号拳銃に目をやる。
いずれにしても、使うのはまだだいぶ先になるだろう。
坂井はようやく水平飛行に移った。
そのしばらくのち……。
ここ、米海軍の空母エンタープライズでは、ジョン・スミス・サッチ少佐ひきいるトラック泊地への夜間爆撃隊が、食堂で最後のブリーフィングを行っていた。
「……手はずは説明の通りだ。今夜は計器飛行と思ってくれ。島までは俺が先導する。そこからは決められた通りの操縦でひとまわりして、それぞれの担当空域にさしかかったら爆撃するんだ。いいか、迷わず墜とせよ。それで帰ったらぐっすりお休みだ」
と、言って、ジミーは肩をすくめた。
百人は入ろうかという大きな食堂に、わずか三十人ほどの兵士たちだ。これは爆撃機の数にして十五機ほど。しかし、他の空母からも参加するため、総勢は三十機を予定していた。
「ジャップどもの寝込みを襲うなんて、最高じゃないですか。あいつら、きっと一晩中眠れませんよ」
最前列にすわるベテランの飛行士が、落ち着いた声で言う。
「そうさクインシー、やつら、またいつ来るかわからない恐怖に、眠れない夜を過ごすだろう。……さて諸君、提督からもお話がある。耳をかっぽじってよく聞くんだ」
みんなが緊張して背筋を伸ばすと、スプルーアンスが椅子から立ち上がり、みんなの前に立った。
「ジャップどもは、あのトラック島を日本の真珠湾と呼んでるそうだ……」
その言葉に、みんながパールハーバーアタックを思いだす。
大勢の同胞が死んだ敵の攻撃を、憎んでいない兵士はいなかった。
「ずいぶんチンケな真珠湾があったものだが、それだけ日本にとって、トラック島は重要ってことだろう。言わばヘソみたいなものだな。だから……」
スプルーアンスは兵士たちを見つめる。
「今回の作戦は敵のヘソを抉ることだ」
スプルーアンスは自分の臍を人差し指でぐりぐりと抉った。
「そりゃあ痛い……」
おもわずつぶやくクインシーの声に、みんなが笑う。
「よし、やってこい。やつらの島をぶち壊せ」
「イエッサー!」
全員が勢いよくたちあがった。
坂井は腕時計を見た。
出発してから、すでに三時間がたっている。
そろそろ敵の艦隊が見えてくるころだ。
いや、この闇では、見えないかもしれない。いまごろ、航空電探をあやつる索敵天山機の中では、懸命な索敵がおこなわれているだろう。尾翼下にアンテナを取りつけた奇妙なその姿を、坂井は思い起こしていた。
そしてついに、必死で目を凝らして飛ぶ坂井の受聴器に、無線が入る。
「前方左四十度、二十マイルに空無線電信反応あり!」
(いたか!)
「繰り返す。前方左四十度に十マイルに敵艦隊あり。範囲は十マイル……」
(ん?)
左へと進路を変更しようとしたその時、坂井の目の端になにかが映った。
いつもご覧いただきありがとうございます。夜襲の二乗、ついに始まりました。トラック泊地ははたして守れるんでしょうか。 ブクマ推奨 ご感想、ご指摘にはいつも感謝しております。




