つかのまの静寂
●25 つかのまの静寂
荒れる太平洋上に、空母龍驤が停泊している。甲板にはまだ兵士たちが少しいて、ずぶぬれになりながらも、デッキブラシで懸命な排水作業を行っていた。
その上空へと目をやると、どんより垂れこめた厚い雲から、激しい雨つぶが降りそそいでいる。さらにその背後には、おれたちの大艦隊が、数キロもの範囲で停泊していた。
同じころ、もうほとんど視界のきかないトラック泊地の空を、零式水上偵察機が旋回していた。高度は数百メートルにも満たない。被害の著しい夏島の各地をつぶさに見て回る。
偵察員は、見慣れた島の変わりように、思わず顔をこわばらせた。
やはり、被害はかなりあるようだ。重要施設の多い夏島を中心に、あちこちで黒煙があがっているのは、敵か味方の墜落機か。
もちろん、この機体がやってくることは、あらかじめ戦艦武蔵の無線で当地司令部に通達してあったから、間違って撃たれる心配はない。それどころか、地上の砲台に残る兵士たちは、日の丸の翼に懸命に手を振ってくれている。そのけなげさに、思わず泣けてくる。
(待っとれ。つぎは俺たちの番だ)
偵察機は力強くバンクして、母艦への帰投を急いだ。
おれは戦艦武蔵の艦橋にいて、窓に流れる雨の雫を見つめていた。
現在ここにはおれのほか、主席参謀の草鹿と参謀長の大石、そして、いつもは通信指令室にいる特別参謀長の山口多聞が、艦隊陣形指揮のために、あがってきていた。
(ようやく、トラック泊地の北西五百キロ、空母龍驤がいる位置にまで追いついたぞ)
トラック泊地もかなりの雨みたいだ。
報告によると、この天候のせいでこれ以上の戦闘は継続できなくなり、すでに両軍ともにそれぞれの基地や母艦に帰り、傷ついた翼を癒しているという。
おれたちはせっかく到着したというのに、目立った動きが出来ず、悶々と時を過ごさねばならなくなった。
「これじゃ出撃もできんよ……」
おれは窓の内側についた露を指でなぞる。
「仕方ありませんよ」
草鹿がなぐさめるように言う。
「作戦をたてなおすには絶好の機会です」
「ああ、むこうにも……な」
おれはまだ見ぬ米艦隊を見つめる。
トラック泊地への出撃や、南東方面からの航路など、今回の作戦では敵ながら目のつけどころがあっぱれだ。おれはなんとなく、今までの敵とは違う精神性を感じていた。
「で、戦況はどうなの? トラック泊地のようすは?」
「もうすぐ偵察機が帰ってきますが、無線によれば夏島はなんとか持ちこたえているようです。細萱司令官がしっかり準備していただいたようで……それに、攻撃を事前に察知したため、第四艦隊司令部から西部に急遽移転したのが正解でしたね。北東部の第四艦隊司令部はやられてしまいましたから」
「不幸中の幸いってやつか。基地機能がなくなったら、南洋もサイパンも大変なことになるからな」
「そうですね。南雲長官の察知が早かったのと、雨にも助けられましたよ。あとはあの龍驤が頑張ってくれました」
「おお、角田少将だっけか?」
おれは四航戦の角田少将の顔を南雲ッちの記憶から引き出した。なんだか、顔も身体も丸っこい印象だったよな。新潟県の生まれだっけか?
大石が頭を掻く。
「それが、困ったことに……」
「ん、どした?」
「その、四航戦の角田少将が夜襲すると言ってきかんのですわ」
「夜襲?マジで?」
「ええ。見敵必勝、雨は夜半には止む、この機を生かさずしてなにが南雲艦隊かと申されまして……」
「いい! それいいですな!」
山口多聞がとつぜん声をあげた。
「あれ、多聞ちゃんまだいたの?」
「見敵必勝。いいではありませんか。やらせましょう」
そういや、お前と角田って、キャラ被ってないか?
「まあ待て。……その夜襲って、成功するのか? 敵艦隊の位置は航空電探で探るとしても、混戦になったら危険きわまりないぞ」
「そこは必勝の闘志で乗り切るそうです」
と、大石。
「おお角田さんいい!」
「いいわけないだろ多聞」
その後もノリノリな山口をなんとか押し戻し、おれは真剣に夜襲について考えてみる。
たしかに悪くはない。でもそれって敵の奇襲に対する意趣返しのような匂いを感じる。つまりはやられたら、やりかえしたいという感情論が先に立ってる。
「よし、情報を整理して最善手を決めよう、参謀各員は会議室に集合せよ。草鹿、連絡してくれ」
「会議室じゃなく司令官公室です」
なんだよ、頭固いな……。
午後四時になった。
雨は少し小降りになってきている。気象班によればたしかに夜には低気圧が去って、晴れ間が期待できるという。
おれは天気図を持って来させて、自分でもそれを確かめてみる。小さな熱帯性低気圧が時速二十五キロほどで通りすぎ、そのあとには、目立った低気圧はなさそうだった。
「ヘー、南雲長官って、気象図もご覧になるんですね」
草鹿が妙に感心したように言う。
「ラジオが中心のこの時代と違って、テレビでしょっちゅう天気図を見せられてきたからな……」
「……?」
思わず意味不明なことを言っても、もう半年のつきあいだからか、草鹿たちはそれ以上追及してこない。やりやすくなったもんだ。
「さて、諸君」
おれは立ち上がり、みんなを見た。
ひさしぶりの全員集合だ。ジョシーがいないのは淋しい限りだが、あいつも今頃はがんばっているだろう。おれも負けないようにしないとな。
「これからの作戦について説明する。聞いてくれ」
みんながおれを見る。
大きな会議テーブルの真ん中には、このあたりの海図が広げられ、互いの艦隊を模した小さな船がいくつも置かれてあった。味方は青、そして敵は赤だ。図上演習とまではいかないが、ある程度なら戦況を予想することができる。
「おれたちは今、ここにいる。トラック泊地から見て北西五百キロ、対する敵艦隊はちょうど反対側の南東五百キロだ。雨でくわしくはわからなかったが、おそらくは輪形陣、空母はエンタープライズ、ワスプ、エセックス級の新型空母三隻、たぶんこんな感じだろう」
おれは海図を指さした。
「四航戦の角田司令官より、夜襲の進言があった。おれとしてはこれを……」
山口多聞を見ると、顔を紅潮させておれを見ていた。
「受けようと思う」
みんなが、おお、と声なき声をあげる。
山口がよしっとこぶしを叩いた。
「ただしだ」
慌てちゃいけない。やるからには、その目的をきちんと説明しておかないとな……。
「この夜襲の目的はあくまでもトラック泊地の防衛だ。このままだと明日の未明にでも、敵はトラック泊地への攻撃を再開するだろう。ここの工廠、レーダー、燃料タンクや航空基地などがやられたら、ラバウルやサイパンが危うい。絶対国防圏が侵されることになる。それだけは避けたいんだ」
「絶対国防圏……?」
今回から加わった痩せぎす眼鏡の村角機関参謀補がつぶやいた。
しまった。まだこの時代にはなかった概念か?
また、やっちまった……。
いつもご覧いただき感謝です。はからずも雨が両軍に休息をもたらしました。これがどう出るか、次回更新をお楽しみに。 ブクマ推奨いたします。感想とご指摘にはいつも感謝しております。




