くそっ!やられた!
●20 くそっ!やられた!
「南洋トーフォール島哨戒艇による索敵に、アメリカ艦隊を見ゆとの報あり。その数すくなくとも空母五隻を含む三十以上、ラバウルからの航空電探においても、多数の艦戦を確認、また南洋諸島の哨戒艇も数機の敵航空機を確認、これらを総合してトラック泊地からの距離は約千五百キロ、八百 海里と思われます」
動揺が走る。
艦橋内のあちこちから、空母五、というつぶやき声が聞こえる。
残念ながら、予測は悪い方に的中したらしい。
敵の狙いは、すくなくとも、ここじゃなかった。
おれが打った手は、一歩遅かったんだ。誘い出す前に、やつらはすでに次の攻撃目標をトラックに据え、慎重に艦隊を南洋から西へと進めていた。わずかに、ナウルの偵察隊がそれを発見したのは、むしろ僥倖だった。そうでなければ、おれたちは誰もいないジョンストン島で馬鹿を見るか、それとも腹いせにミッドウェーを攻撃するしか方法がなかった。
残念ながら、ここまでは、おれの完敗だ。
小野が海図に印をつける。おれはそれを縮尺で目測する。
「トラックまで千五百キロか……近いな」
オーストラリア大陸の北東にあるのがソロモン諸島で、そのさらに北東に広く点在しているのが、日本領のいわゆる南洋諸島、現ミクロネシアである。
そしてこのミクロネシアの西方向、五百キロにトラック泊地があり、北東方向、千キロの距離にあるのがウェーク島なのだ。
「おれたちの艦隊現在地から、トラック泊地まではおよそ……二千キロか。間に合うかな?」
「千五百キロといえば八百マイルですから、敵は二十ノットで四十時間でつきます。一方こっちは二千キロ、つまり千百マイルなので五十五時間かかります。この十五時間は痛いですね。う~ん……」
草鹿が頭を抱える。
「源田、偵察のゼロからはまだ報告ないか」
「ありません。あと一時間はかかるでしょう」
「なら引き返させろ。もうその必要はなくなった」
「え?」
源田がじっとおれの目を見る。
「その通りだ源田。ナウルに空母が五隻いるなら、こっちにはいてもせいぜい駆逐艦と魚雷艇どまり。そのうえ、戦争となったらこっちに分が悪い。海洋調査は名ばかりとの国際的な批判は受けるし、むこうには島からの航空機だってある。さっきのマーチンみたいなわけにはいかない」
最後は独り言のようになってしまった。
「おまけに……馬鹿なことに、海洋調査はやらねばならず、護衛のために応分の戦力も割かなければいけなくなった。くそっ!すべて、おれの失敗だ」
「長官らしくおまへん!」
大石が吐き出すように言う。おれはちょっとびっくりして、静まった艦橋のみんなを見る。参謀たちや、若い兵士たちが、みんなしておれを心配そうに見ていた。
(ああ、こういうときって、トップが弱気なことを言ったら、兵士たちみんなが不安になるんだな)
おれは腹に力を入れた。
おれ以外に、誰が指揮をとるんだ。
「あほう、話は最後まで聞け大石ぃ」
吹きだすように笑う。強がるしかなかった。
でも、効果は絶大だった。みんなはほっとしたように笑顔になる。
「本気にするなよ。おれがこれくらいでへこたれると思うか?ここからが本当の知恵比べだ。そうだろ、草鹿?」
「ええ、その通りです」
草鹿も、ちょっと安心したような薄ら笑いになった。
「いいか、トラックには駆逐艦もあるし、砲台もある。そんなに簡単にやられはしない。むしろ、おれたちはこの海域にいると思われているのを利用するんだ。調査船は予定通り向かわせるし、調査だってやる。鳳翔、瑞鳳の空母だってつける。大高の命がかかってるからな」
おれは胸を張る。
「ところが、おれたちはトラック泊地にいつのまにか現れ、敵艦隊を予定通り撃破するって寸法だ。やつらが二十ノットなら、こっちは三十ノットを出せ。それで同着になる。すぐ艦隊を転進させろ。各戦隊に指示を出せ!」
「わかりました!」
「さて、と……」
おれは歩き出しながら、若い兵士に向かって言う。
「よし、おれは飯を喰うぞ。腹が減った。長官私室にだれか運んでくれ」
おれはみんなを尻目に重い鉄の扉を開け、下に降りた。
鉄の階段を降り、会議室とおなじ廊下の並びに長官私室がある。というか、会議室とはドア一枚でつながっているんだけどね……。
ドアをあけ、中に入ると、カーペットの床にどすんと腰を降ろした。
「うわあああああああ!」
ごろごろと寝転がり、背伸びをして頭を掻きむしる。
くそっ!やられた!
おれとしたことが!
くやしくて仕方がない。
がばっとおきあがり、バスルームでばしゃばしゃと顔を洗って、髪を整えてなんども深呼吸する。
しばらくして、ようやく落ち着いてきた。
口惜しいが、まだ負けたわけじゃない。幸い敵の動きがわかったわけだし、まだ間に合うんだ。
おれはさっき見た太平洋の海図を思いうかべた。ハワイから南下して南洋諸島を通り、トラック泊地に迫る敵艦隊、そしてウェーク島からジョンストン島へと東進したあと、あわてて西へとUターンする帝国軍……。
待てよ?あいつら退路はどうするつもりだ?
ふと疑問が浮かび、気になって本物の海図を探す。
たしか、この部屋の書庫に、太平洋の詳細図書があったはずだ。
書庫を探すと、案の定、海図集があった。
おれはそれを開げる。
(……おれたちがウェークからジョンストンに向かっていると知っている連中は、トラック急襲のあと、まず北上しない。なぜなら、おれたちと会いたくはないはずだからな。よし!)
おれは艦橋になにげなく戻る。
「あ、そうそう、草鹿」
「はい?」
「ミッドウェーあたりに展開させてる潜水艦隊だけどさ。定刻の通信がつながったら、南洋諸島に向かえと伝えてくんない?おれたちに負けて逃げてくるアメリカ艦隊を雷撃してほしいんだ」
「わ、わかりました!」
「じゃあねー」
……ガチャン。
ドアを閉める。
負けないぞ。
マジで、メシ喰おう……。
いつもお読みいただきありがとうございます。ここまでは南雲してやられたの図です。 ブくマ推奨、ご感想をいただけましたら、励みになります。




