戦艦『武蔵』登場
●17 戦艦『武蔵』登場
ポンポンポン、とエンジンの音が青空に響いていた。
波はずいぶん穏やかで、小さな船をゆりかごのように揺らしている。漁船を改造した白塗りの二十トン木造船のマストには、『OCEAN RESERCH VESSEL』(海洋調査船)と、格好ばかりは立派な旗が、潮風にはためいていた。
通信参謀補の大高勇治は、なぜ、自分がこんな船に乗っているのだろうと、波をかき分けて進む船の舳先に立って、首をかしげていた。どうも最近不思議なことが多いのだ。
硫黄島での事件しかり、以前の配属である駆逐艦から、南雲直属の参謀たちに列せられてからというもの、なんだか危ない目にあうことが多くなった気がする。むろん帝国軍人として、危険はいつだって顧みないし、出世も単純にうれしいが、ふつう、偉くなると危険からは遠ざかるもんじゃないのか。
この任務だってそうだ。これって、もしかすると、歴史に名前が残るような、とっても奇妙な任務なんじゃないのか? この俺が、太平洋の自然を守るために海洋調査だと……?
「大高船長~っ、そろそろです!」
ガラス窓の船長室から顔を出し、若い二等兵が声をかけてきた。船長と呼ばれても、こんな漁船じゃちっとも嬉しくない。なんだか、からかわれているような気分だ。
「もうすぐ、ジョンストン島までの距離が六百 海里を切りま~す!」
六百マイルは約千百キロにあたる。これはもうすぐ、敵の戦闘機が航空攻撃が可能になる距離ということになる。すなわち、これ以上近づくと、いつ敵の戦闘機がやって来ても、おかしくないのだ。
「諒解。ヨーソロー」
大高は、船の上の装備をひととおり確認する。
一応、今回は海洋調査が目的という建前だから、いろんな計器や、水中での撮影装置、海底までの距離を測るワイヤーなどは積んでいる。それが本当に役立つかどうかはまだわからない。
大高の脳裏に、出発の際の、草鹿参謀長との会話がよみがえる。
『ええ~っ?機銃も砲もなし、ですか?』
『とうぜんだろ。戦争じゃない海洋調査だぞ?』
『は、はあ……』
言われた通り、武器は一切積んでいなかった。それどころか、拳銃以外の銃器すら、彼ら乗組員全員身に着けることは禁じられていたのである。
(ま、あれじゃあ……必要ないか)
大高は後ろを振り返った。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
そこには、聳え立つ巨大な戦艦『武蔵』がその威容を見せ、多数の駆逐艦、巡洋艦たちが、ゆっくりとした速度で、この白いポンポン船についてきていた……。
(ま、コケおどしには、ちょうどいいよな)
小さな調査船が目の前を進んでいる。
ここから見ると、あまりにも頼りなくて、心配になるほどだ。
おれはジョンストン島に敵艦隊をおびき寄せる作戦を、軍令部に打診したときのことを思い出した。長い検討と沈黙のあと、送られてきた司令電文にあったのは、なんと、いかにも、こういうのが好きな山本さんらしい、実に豪快な上乗せ提案だった。
まず空母艦隊を総動員するのは承認する。すなわち、空母は翔鶴、瑞鶴、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鳳、鳳翔、龍驤、の九隻となり、航空戦力の総数は五百機を超える。
特殊電探網の整備も一週間以内に行う。硫黄島、トラック島、ウェーク島、サイパン、グアム、フィリピン、ニューブリテンなど、できるかぎりの島々に新型電探を重配備、ウェーク島とトラック島には分析官をそれぞれ百名以上常駐させる。つまり、常に敵の動きを警戒して、作戦の遂行をバックアップするためだ。
そして、極めつけが、この、武蔵である。
『
太平洋艦隊司令長官 山本五十六発
第一航空艦隊司令長官 南雲忠一宛
大本営及ビ海軍軍令部通達。本作戦ハ国家ノ名誉ト威信ヲ世界ニ示ス意図ナレバ、相応ノ旗艦ニヨル威嚇ト掩護ガ必要ト認メ、戦艦武蔵ヲ急ギ就航シ、随行トス。
』
どうよ……。
このやる気満々すぎな電文(笑)
ま、おかげでおれも、太平洋戦争ヲタク的に、一度は乗ってみたかったこの大和型戦艦に乗船できたわけで、そういう意味じゃありがたいけどね。
とはいえ、無用の長物というイメージもある戦艦に乗って指揮するのは、現代人としてはどうにも不安だ。まあ、各空母にはちゃんと艦長もいるし、それぞれの航空戦隊には、立派な司令官もいるんだから、任せておいても心配いらないんだけどね。
それに……。
おれは武蔵の狭い艦橋を出て、下層にある会議室にむかった。
無骨な廊下には兵士がいて、ドアを開けてくれる。
(こいつらが、いるからな)
その部屋――主会議室は広かった。
天井は低いがクラシックな内装、刺繍が施されたテーブルクロスをかけられた大きな机に、大勢が席についている。若い副官たちが控える窓際には、丸い気密窓がたくさん並び、いかにも船の会議室ぽい。
おれを見た皆は、一斉に笑顔になって、立ち上がる。
「待たせたな」
「お、お疲れさまです」
「おお、来はったで」
「……開口一番」
そこには、久しぶりの参謀連中――、大石や源田、小野、雀部、坂上らが、いよいよ危険海域に入る前の、最終打ち合わせのために集合していた。
「みんな、席についてくれ」
笑顔のみんなを見る。おれは黒板を背に、得意の授業スタイルになった。
「まず最初に言っておく。この作戦にあたって、おれが至上目的とするのは、言うまでもなく敵空母艦隊の撃滅だ。山本さんなんかは、おそらく海洋調査という名目で、相手の面目をつぶして太平洋をわがものと宣言することに目を奪われてそうだが、それはあくまでも敵をおびき出す手段であって、目的じゃない。ましてやジョンストン島の占領などどうでもいい」
おれの目線は常に真珠湾にあって、そこから今頃は太平洋のどこかに進出しておれたちの動向をうかがっている、敵の艦隊を見据えていた。
「さあて、すでに正式に発令されてはいるが、あらためて確認しておきたい。この作戦にあたり、南雲艦隊はつぎのような参謀体制をとる」
若い兵士二人が、墨書きされた大きな紙を、さっと広げた。
艦隊司令長官 南雲忠一
参謀長 草鹿 源之助
特別参謀長 山口 多聞
主席参謀 大石 保
航空参謀長 源田 実
航空参謀 吉岡 忠一
航空参謀 淵田 美津雄
航海参謀 雀部利三郎
電探通信参謀 小野 寛次郎
通信参謀補 大高 勇治
機関参謀 坂上 五郎
機関参謀補 村角大五郎
「……まあずいぶん人が増えたもんだが、これだけの大艦隊を率いるんだから仕方ないだろう。特筆すべきは機関参謀補の村角大五郎」
「は、はいい!」
一人の男が真っ赤な顔をして立ち上がる。
彼は先日の防空戦略会議で、曳光弾を増やせだの、榴散弾を装備しろだの、あげくの果てには航空戦略にまで口を出して仲間にボコられた、あの痩せぎすメガネだ。
「こいつとは一緒に食事したりして、面白いやつだとわかったので、大高と同じようにスカウトして来てもらった。ずいぶんな抜擢に見えるだろうが、そもそも階級は中佐なので、他の参謀連中と変わらない。おっと、坂上」
「は!」
坂上機関参謀が立ち上がった。
「坂上は参謀としては村角の上官になる。ところが坂上は少佐だから、このままでは階級が逆転してしまう。そこで、襟章の星を二つにしてもらうことにした。つまり中佐に昇進だ」
「面目ありません……」
坂上が頭を掻いている。村角はあいかわらず、仏頂面で眉をひそめたままだ。
「でだ、みんなも知っての通り、ここには大高がいない。……いや、いないというより、この作戦ではあいつが主役で、こっちがお供なのか?」
みんながくすくすと笑う。
「さて諸君、ここらで気を引きしめよう。いよいよ敵の射程距離にはいる。作戦はかねて通達の通りだ」
いつもお読みいただきありがとうございます。史実による武蔵の正式就航は昭和17年八月ですが、ある理由で、ちょっと早まりました。 ブクマ推奨 ご感想、ご指摘をよろしくお願いいたします。




