この人、おかしい
●15 この人、おかしい
「ま、すぐにとは言いませんから、考えておいてくださいな」
そう言って、中島は立ち上がった。
目の前で、でっぷりとした腹が揺れる。
「さあ、富嶽のエンジンを見に行きましょや。そこのお二人も、早く報告したいでしょう?」
中島氏は茶目っ気たっぷりに笑った。
(え? エンジン?)
バヒュ――――――ン!
とんでもなくでかい音が倉庫の中に鳴り響く。架台に乗せられ、鎖で四方に固定されたたロケットのようなものから、白煙が吹き上がり、やがて蒼く透き通った炎になったかと思うと、激しくガスを吹き出しはじめた。
「こ、これは……!」
「軸流式ターボジェットエンジンといいます。実は空技廠と中島飛行機さんでは、ジェットエンジンとそれを使用した航空機の研究をやっておりました」
三木が嬉しそうに大声で叫ぶ。
調子よさそうに吹き上がっていたジェット気流は、すぐに音を小さくし、噴射を停止していった。
「ジェットエンジンの試作品か……」
「ここでは噴進機関と呼んでいます」
「なるほどね……。日本語は聞けば理屈がわかるからいいよね」
おれはロケットのような胴型のかたまりを見あげた。
これはまだ小さいけど、推進力はありそうだ。
(つまり、大型化はこれからってわけか……)
この実験棟の内部では、数人の技術官たちが立ち働き、その中心には見慣れない人物がいて、現場を仕切っていた。
その男は無表情でじっとエンジンを見つめている。
丸くて小さい銀縁メガネ、口の下には立派なヒゲ。頭は薄いが、なかなかのイケメンだ。しかしどこまでもポーカーフェースで、おれを見ても反応はない。どう見ても普通の技術官じゃなかった。
「あの人は?」
小声で近くの太田に尋ねる。
「技術大佐の中口さんです。ちょっと変人で……」
ま、そんな感じだな。おれは笑ってうなずいた。
「みなさん、お邪魔して申しわけありません」
両手を上げ、その場のみんなに声をかける。
「ちょっと拝見させてもらいます。海軍の南雲です。こちらは中島飛行機の中島知久平さん」
おお、みたいな声なき声がして、みんながこちらを見る。
「あ、敬礼はいりません。ここは研究の現場ですから」
中口はようやくこちらを見た。おれはちょっと頭を下げる。
「空技廠技術大佐の中口博です」
「どうも中口先生、お邪魔します」
先生、と呼んだのは別に意味はなかった。ただ、男の風貌がいかにもそんな感じだったからだ。
「……全長四十五メートル、高度一万五千メートルで航続距離二万キロメートル、六発の巨大爆撃機をご所望とか」
いきなりかよ……。
というか、ちゃんとおれが誰で、なにを目的にこれを開発しているか、認識しているんだな。
おれは傍らの中島と顔を見合わせ、苦笑する。べつに憮然としないのは、業者扱いに慣れているからか、それともこういうタイプになじみがあるのか。
「ご苦労おかけしてます」
おれは中口に握手を求めた。彼は無表情のまま応じる。
「中口先生、この大型爆撃機富嶽には帝国の、いや、世界の運命がかかっています。この世界に秩序をとりもどすために、なんとかご尽力いただきたい」
「尽力はもうしております」
やりずれ――――。
中口は神経質そうに眼を泳がせている。
三木、太田は中口の性格をよくわかっているのか、なんだかハラハラしながらおれたちを見守っている。
中島知久平はというと、くすりと一笑したあとは、もう架台に乗せられたエンジンの方に興味が移ったようで、しきりに下からのぞきこんでいた。
「先生、大事なのは完成の時期です。富嶽は九月頭に飛ばしたい。そのために、空技廠と中島飛行機さんで部分ごとに同時開発を行って、大規模な同時進行体制をお願いしています」
「それも、もうやってますぞ―」
「ぐう」
中島がエンジンの内部を覗きこみながら、妙にのんびりした口調で言った。おれって、もしかして心配性なの?
「ところで……」
中口がはじめて自分から口を開いた。
「中将はどこで噴進機関をお知りになったのですか?私も資料を取り寄せたり、ドイツの技術者と無電を三十七本もやりとりして構造研究しましたが、なぜこの機関が高高度爆撃機に有効だとお知りになったんですか」
「いや、まあ、それは、その……」
ロケットの噴射や、近代戦闘機のバックファイアーが頭に浮かぶ。
「中将には神通力があるらしいですぞ」
汚れた手をぱんぱん、とはたきながら、中島がやってくる。
「ま、科学的に言うと、天賦の才でしょうな。わしも燃料タンクの防漏装備について教えてもらいました。海軍技術研究所が電波兵器で圧倒的に進んどるのも、大方はこの南雲さんがあげた報告書に基づいちょるらしい」
「ほう……」
中口の目がちょっと光る。
「では、ひとつお伺いしても?」
「はあ、なんですか?」
「このジェットエンジンですが、どういう燃料が適しているか、ご存じありませんか?エタノール、ガソリン、灯油、色々試しておりますが、決定的な確信がありません」
ははあ、試されてるな、おれ……。
とはいっても、おれだって普通の社会科の先生で、どうしたって知識に限界がある。ジェットエンジンを詳しく知ってるわけでもなかったし、現代人として知っていることを話すしかない。
「なんかね―、おれもよく知らないんだけど、ジェット燃料って、そんなに揮発性のいいもの使わないんじゃなかったっけ。粘り気と揮発性のバランスが大事で、安定したものがいいはずなんだけど、えーと、なんてったっけ……ケロヨン」
「ケロヨン?」
「いや、違うな。たしか、よく似た名前なんだけど、そうだ、ケロシン?」
「……」
中口が、手に持っていた鉛筆を、ぽとりと落とした。
コロコロと転がって、それを三木が拾う。
じっとおれを見る。
いつのまにか、みんなが集まっていた。
「ケロシン……」
「あ、違ってたら、ごめんなさい。なんか、そんな名前を聞いた覚えがあったもんで」
「中将……」
中口がようやくうっすらと笑った。
「なに?」
「試してみます」
頭を下げている。なんか、ぴんと来るなにかがあったのかな?
「ホーレ、この人、おかしいでしょ」
中島知久平がひょいと顔を出して笑った。
人を変人みたいに言うなよ……。
戦闘機隊のあとで、艦攻機が離陸する。名残りを惜しむように上空を何度か舞い、群馬県の自工場へと進路をとる。その新型艦攻機、天山の大きな機体の中に、中島知久平の姿があった。
若いころから飛行機にあこがれ、飛行機に乗るのは慣れていた。危険と隣り合わせの試作機を、自分で操縦したこともある。しかし近年になって立場が許さず、肥満もあって、めっきり乗らなくなったが、今回は思わぬ空の旅となった。それもこれも、南雲に逢いたい一心からだった。そして、今回もわずかな邂逅であったが、中島は大いに満足を得たのである。
大きく傾いた太陽を左に見て、中島は目を細める。
高度があがり、気圧が下がって、鼓膜が痛む。中島は何度もツバを飲みこんだ。寒気が窓から侵入してくる。
(この機内が気密なら、どれだけ快適なことか……)
中島はこの戦争が終わるころ、自分がなにをしているか考えてみた。議員も飽きたし、大臣や政治家もつまらない。それなら、いっそ世界一周でもやってみるのも面白い。自分の作った、快適な旅客機でだ。
中島は年老いてもなお、飛行機を作り続ける自分を想像して、苦笑いを浮かべた。悪くない。ジェットエンジン、高高度、長距離旅客機、そんな飛行機があったら、世界はもっと狭くなることだろう。
『ねえ中島さん、もしも気密が達成できないなら、窓もいらないし爆弾の投下口もなくていいです。ただ魚雷の発射が一発できればいい』
ふいに、人懐こい南雲の顔が浮かんだ。
その時の、からかうような表情で、中島は瞬時にその言葉の意味を理解した。南雲が投下したい爆弾はたった一発。だから機体に収容されていることは必要なく、雷撃のように機体の外にぶら下げてもいいですよと、南雲はそう言っていたのだ。たしかにそのほうが機内を気密に保つのはたやすい。
(ふん!ワシを誰だと思っとる)
笑いながら、中島はポケットに手を突っこんだ。
もちろん、中島が担当している富嶽の機体制作は成功して見せる。それができなくては、あのジェットエンジンも、無用の長物になってしまう。そのためにも、中島は全力を挙げて、富嶽の完成に取り組まねばならない。
ポケットからメモを取りだす。
南雲が別れ際に手渡してくれたものだ。
(別れ際の覚え書きなどと、女じゃあるまいし……)
苦笑しながら開く。もちろん、内容はその時開いて見ていた。
だが、その内容は、女からの逢引きよりも、ずっと中島をドキドキさせるものだった。
そこには一言、こう書かれてあったのだ。
「「
疾風
」」
それは、あの新型戦闘機の名前であった。
いつもお読みいただきありがとうございます。しばらく面白くないシーンばかりですみませんでした。いよいよ、次回から舞台は太平洋へと移ります。 ブクマ推奨 ご感想、ご指摘よろしくお願いいたします。




