ニミッツ提督の孤独
●10 ニミッツ提督の孤独
どれくらいの時間がたったのか、よくわからない。
気を失って、気がついたら部屋は真っ暗で、ざらざらした木の床に頬をくっつけて寝転んでいた。
なんとか身体をおこそうとするが、あちこちの関節が痛んで、うまくいかない。右手もこめかみもズキズキする。目が埃でよく見えず、耳も聞こえなかった。
やがて、キーンという音がして、ゆっくり聴力が戻ってくる。外ではまだ機関銃や爆発音がして喧噪が続いている。
「……お、大高っ!大丈夫か?」
土煙のむこうに、ようやく人影が見える。
「嶋崎!おい!」
バシャァァァァァァァァ――ン
窓ガラスが破られて、誰かが突入してきた。床に転がり、大きな男の影がゆっくりと立ち上がる。
――敵だ!
おれは必死に身体を隠そうともがく。やぶれた窓の前に立つ男とは反対の方向にバリケードがあるが、そっちへは間に合いそうもない。
「くっそ!」
男が手に持った銃をこちらに向けて構える。
やばい、とにかく転がれっ!
タタタタタタタッ!
バシバシバシバシ!
サブマシンガンの銃弾が床を破壊して破片が舞う。
弾がなくなり、腰の弾倉に手をのばす男が見える。
だがどこかで落としたのか、あきらめてマシンガンを捨て、拳銃を抜く。撃たれる!
「ぬおおおおおおおおお!」
誰かの声、だと思ったら、おれの声だった。
重い身体をなんとか引きずって、男につかみかかっていく。
む、無無茶だあああ!
拳銃を持つ男の右手首を両手でつかむ。男がもがく。襟首を左手で捕まれ、ひざ蹴りが来る。しかし右手を放すわけにはいかない。男はおれよりも頭ひとつぶんは大きかった。思わず歯向かってきた驚きに、目を見開いている。髭を生やしていて、まるで熊のようだ。
「うりゃああああああ」
ひざ蹴りで不安定になった足を払って押しこむ。男がよろける。押し返してくる反動を利用して一本背負いを狙う。男に柔道の心得はないようで、見事に引っかかってくれる。
と、思ったら、自分の右手がすっぽ抜け、背中に乗った男の体重が重くてそのまま床に倒れこんでしまった。床に腹ばいになったところへ、男が馬乗りになる。
ドタ―――ッ!
夢中で手は放してしまった。
後頭部に拳銃が押しつけられる。
撃たれるっ……!
おれは思わず目をつむった。
バンバンバン!
銃の音が鳴り響く。
撃たれた!
…いや、おれじゃない。
ゆっくりと男の重心が移動して、おれに覆いかぶさっていく。
おれは必死で男の下から這い出した。
男は死んでいた。
「長官、ご無事ですか!」
木の椅子に腰を降ろし、こめかみを押さえ、ぐったりと肩を落としているおれに、安村が駆け寄る。もう電気は点いていた。
「ああ、なんとか……な。君らに助けられたよ」
「こんなことになってしまって……お怪我は?」
「わからん。見てくれ」
両手を開いて、身体を見せる。
「ご無事のようですね」
ほっと息を吐いている。
まわりでは、陸軍の兵士がおれや嶋崎、大高らを介抱してくれている。こちらもどうやら、みんな無事みたい。運が良かった。
おれはよろよろと立ち上がる。ひじ掛けを支える右手が痛い。
外に出てみる。
事態はもう収拾しはじめている。車両が減り、ライトが屋根にいくつも設置されて周辺がよく見える。宿舎前の地面にはアメリカ兵の死体がいくつか並べられ、その向こうでは、後ろ手で縛られ、ひざまづかされている捕虜の姿もあった。片づけに走るトラックの騒音がやかましい。
「味方の死傷者は?」
「二人が死亡、ケガは八名です」
「そうか……」
とうとう、おれ個人のために部下を死なせてしまった……。
「可哀そうなことをしたな……」
安村がおれを見る。中将らしからぬ言葉を、意外に思ったのかもしれない。
「例の袋沢ですが……」
「ああ、大丈夫?」
「背中から撃たれていますが、肩甲骨を壊して右の肺から肋骨で止まっています」
「それって……」
「なんとか命に別状はないようです。明日には父島に移送して病院に入れます」
「会えるか?」
「今ですか?」
「うん、あいつが警告してくれなければ、間違いなくやられていた」
「少し、休まれた方が……」
「いや、おれは大丈夫だ。ケガの兵士も一緒だろ。行こう」
おれは車へと歩き出した。
海岸に待機していたボートに乗りこめたのは、四名の兵士だけだった。あまり音を立てるわけにはいかず、低速でゆっくり波をかき分ける。
その中に、グレッグもいた。
みんな、疲労の色が濃い。思わぬ警戒行動に遭遇して、やむなく襲撃と突入を試みたが、隊長の死で作戦は終了した。
「いいか、俺が建物に突入するから掩護しろ。二分して出てこなかったら、引き上げて海岸を目指すんだ」
髭面の隊長を思い出す。窓から突入した姿は確認したが、直後に大勢の日本兵が後を追い、結局隊長は戻らなかった。日本兵たちのようすからして、ナグモは無事だったのだろう。結局、作戦は失敗したのだ。
あと、少しだった。あの男さえ……。
やはりあの男は殺しておくべきだった。あのスパイの息子を信じたがために、放送で襲撃を知らされた。
……いや、今はもう、それもどうでもいい。
グレッグは首をふった。
十六人もいた仲間は四人になった。ともかく、その中に俺はいる。
(家に帰るんだ……)
グレッグは揺れるボートの中で、うとうととし始めた。
チェスター・ニミッツはまんじりともせず一夜を明かし、報告を待った。作戦司令室には人が詰めかけ、事の推移を見守っていた。
作戦開始から数時間がたって、潜水艦隊からの報告が入電してきたとき、指令室内には大いに落胆が広がった。時差の関係で、こちらはもう朝だった。
――作戦は失敗。ナグモは無事。
「ありえない」
「どうしてこうなった」
「ヤツは不死身なのか?」
「だからあれほど……」
そんな声が聞こえはじめ、作戦司令室には壁を叩いたり、シガーを折れるほど灰皿にこすりつけたりして、わずかなウサを晴らすものが出てくる。
ニミッツは負けを認めなくてはならなかった。
しめくくりは、自分がやるべきだ。
「聞いての通りだ」
ニミッツは立ち上がって言った。
「硫黄島へのナグモ寄島の情報を得た我々は、十六名の特殊部隊を派遣して殺害計画を立案したが、作戦は失敗に終わった。とても残念だ」
ニミッツは肩を落とす部下たちを見まわした。
「だが、これはひとつの戦いが終わったに過ぎない。敵も多くの犠牲を払ったようだ。これからも戦争は続く。傷兵を手当てして、総括を行なったら、また次の作戦にとりかかろう。ご苦労だった」
そうだ。落胆はしても、闘志をなくしてはいけない。
将官の孤独に耐えながらも、ニミッツは作戦の終了を宣言したのだった……。
いつもお読みいただきありがとうございます。実際に南雲さんは柔道をされたようで、国立国会図書館には南雲さんの初段免状が残されています。戦前の初段ですから、今なら相当なものでしょう。ブックマークありがとうございます。ようやく伸びてきました。ご感想、ご指摘にもいつも励まされています。




