ナグモを殺せ!
●7 ナグモを殺せ
真珠湾にはまだ黒焦げた艦船があちこちに放置され、補修しきれない設備やオイルタンクが、その残骸を見せていた。
海岸沿いにある作戦司令部に到着して、事務員のジェシカに薄いコーヒーを淹れてもらうと、ニミッツはこの千載一遇のチャンスについて考えてみた。
硫黄島はあまりにも日本に近く、この真珠湾やアメリカ艦隊からは遠すぎる。飛行機の航続距離は足らないし、作戦行動をするにも時間がない。
しかしなんといっても相手はあのナグモである。
この敵対する日本という国の、まさにこの真珠湾への徹底した攻撃をやりとげ、そのほかの海戦においても大きな痛手をわれわれに与えた海軍司令官であり、張本人なのだ。
――どんな犠牲を払ってもいいから、ナグモを殺せ!
これはアメリカ海軍の、もはや合言葉になっていた。このチャンスを見逃すわけにはいかない。
そのうち、今日が休みの幹部たちが、続々と詰めかけてきた。交代勤務だから、もちろん司令部そのものは祝祭日でも関係なく稼働している。ニミッツは総長としてたまたま日曜日を休日に選択し、その他の幹部たちも今日がその日だったに過ぎない。作戦立案を行う幹部たちは、全部で十名ほどだった。
ニミッツは壁を背にして立った。
「それでは緊急の会議を行う。日本のナグモが五時間ほど前にウェーク島から硫黄島にむかったという連絡が入った。目的はおそらく本土への一時帰国だろう。みんなも知っての通り、ナグモの殺害はアメリカにとって最重要課題だ。そのまたとないチャンスが目の前に転がっている。硫黄島への到着はおそらく四時間後、そこから給油して日本へ向かうとしても、今夜は宿泊になる可能性が高い。もちろん艦隊を派遣したり、航空機を飛ばすことは時間的にも距離的にも不可能だ。さて、われわれに出来ることはなんだと思う?」
副官のアーサー・ラマー大尉が周辺の地図を壁に貼る。
そこにはウェーク島、硫黄島、小笠原諸島、そして日本列島が収められていた。
「手ゴマは、硫黄島付近で哨戒任務についている潜水艦隊だけだ。むろん日本軍も島の警備に駆逐艦などを出しているが、まず見つかりっこないだろう。われわれの潜水艦は東京湾にだって入れる性能があるからな」
ニミッツの言葉に一同がうなずく。
一人の将校が口を開いた。
「なら、決まりじゃないですか。潜水艦から上陸してナグモを暗殺しましょう」
「それはうまくいかんでしょう。以前もトラックで特殊部隊を潜入させたことがあるが、あれは海兵隊員でしかも潜入の訓練をした連中だった。今回は誰を行かせるんです? 潜水艦の乗員ですか?」
「なら砲撃はどうだ? 潜水艦のデッキから三インチ砲で砲撃すれば……」
「なにを撃つんだよ。相手はどこにいるかもわからないんだぞ」
ニミッツが口を開く。
「硫黄島の大きな地図はあるかい?」
「はっ、こちらを……」
海図のとなりに、ごく簡単な、硫黄島の手書きの地図のようなものが張られた。
「一年ほど前にこの島の村民に金をやって作らせたものです。南端の半島に摺鉢山と呼ばれる山があり、そこから一番近い南部平野に千鳥飛行場、島の真ん中あたりには元山飛行場、そして小さいですが北の方にもひとつ、全部で三つの飛行場があります。潜水艦グロウラーからの報告では、護衛編隊はこの一番南の千鳥飛行場から発進していますので、おそらく到着もそこではないかと……」
みんなが、えっという顔をして、一斉にラマー大尉を見る。
「……ど、どうかしましたか」
「いま、村民がどうのと言ったかい?」
ニミッツが尋ねる。
「ええ、この地図の作成にあたっては、東海岸からの潜入調査で村民に接触し、金を与えて協力させました」
「それはいつ?」
「約一年ほど前です。開戦の恐れが出てきたために、小笠原周辺の島には調査を出しました」
「で、その村民は?」
「記録を見ればわかります。おそらくはまだいるでしょう」
一同が顔を見合わせた。
「……決まりだな」
「手引きがいるなら、話は別だ。きっとナグモの宿舎もわかるだろう。あとは誰を行かせるかだが……ただの潜水艦乗りに、暗殺や襲撃なんて出来やしない」
「実は……」
と、海兵隊から派遣されている若い将校が初めて口を開いた。
「海兵隊ではこの夏、ギルバート諸島のマキンにある日本軍基地を奇襲するため、現在その訓練を行っております。これは潜水艦で奇襲部隊が上陸する計画であるため、太平洋に展開する各潜水艦にそれぞれ第二海兵奇襲大隊が分散乗艦しており、硫黄島沖哨戒任務のグロウラー他、四隻の潜水艦隊にも、合計十六名が乗船しているはずです」
「おあつらえむきじゃないか!」
急転直下、すべての歯車が噛み合いだした。
「おそらく宿舎はこの千鳥と元山の間じゃないか? もしもっと北なら最初から元山に降りるはず」
「もしも住民がいなかった場合でも、十六名の上陸部隊なら破壊工作が可能じゃないか?」
「いや、目的はあくまでもナグモの殺害だ。それなら破壊工作班と南雲暗殺班にわけて、陽動すればいい」
作戦や人選など、どんどん話が転がっていく。
「よし、作戦の概略は決まったな」
ニミッツが立ち上がった。
「あとは詳細をまとめて、二時間以内に潜水艦隊に発令してくれ。今夜半、硫黄島に侵入し、なにがなんでもナグモを殺すんだ」
村民の男たち三人を前にして、おれは頭を掻いていた。
「そりゃ海軍が悪いなあ。申しわけない」
「わしら、墓参りしたくても、もう墓がなくて……」
さっきから、村民たちはしきりに文句を言っていた。むろん、この場の酒の勢いも手伝っている。
ここは宿舎の座敷食堂で、おれたちは嶋崎、大高、そして基地にいた若手の安村という兵士を合わせて、七人で晩飯を食べていた。目の前には大きな座卓があって、そこには食堂のおばさんが腕によりをかけて作ってくれた郷土料理がならんでいる。
この三人は近隣の村の住人だった。リーダー格のでかい男が袋沢といい、なんとなく西洋人ぽい顔立ちをしているところを見ると、欧米系の血筋なのかもしれなかった。袋沢の他には小柄だががっしりした体躯の坂東、そしてさっきから文句を言っている鏡味という年配の男もいた。
「だよなあ。墓地を収容するならするで、きちんと代替地の提供と墓地移設の補償はすべきだよなあ。そう思わない嶋崎?」
同意を求めるが、嶋崎はどう答えていいのかわからず、「え、ええ、まあ」などと言っている。
「よしわかったよ。おれがなんとかしましょう」
「本当ですか!」
大高がびくっとしておれの方を見る。おかしいな、この人酒は飲んでないのに、みたいな顔をしている。
「大高くん、そんな顔するなよ。おれだってアテもなく言ってるわけじゃないんだ。この硫黄島にはちょっと思い入れがあってさ、こういう機会がないかと、かねがね思ってたところなんだ」
「中将、それはどういうことですか?」
しばらくおとなしく酒を飲んでいた安村が顔をあげる。
「い、いや、おれは昔から硫黄島が好きなんだ。ただそれだけ」
詳しく話すことはできないから、とりあえずそう言ってごまかす。おれの生前の世界線でこの島が甚大な戦争被害に遭い、村や自治体としての機能が破壊されてしまったことを、教えるわけにはいかなかった。
「とにかく、きちんと補償するように大本営に駆けあってみる。もしも無理なら、なにかいい商売をして金を出させよう……そうだ!」
みんなが不思議そうな顔をしている。おれはなんたって、もと社会科の教師なんだ。
「この硫黄島の特産物といえば、硫黄ですが……」
「?」
みんな、きょとんとしている。
「その他にも、セメントと混ぜて強度を出すのにいい素材があります。さて、なんでしょうか!」
「え、そんなものが?」
「袋沢くん、あるんだよ。正解は溶岩の混ざった黒い火山灰だ」
「へー!」
「てことだ安村。あの土埃のうざい滑走路も、火山灰に少しセメント混ぜれば、最高の滑走路になるよ。うまく使えば要塞も建設できる。火山灰は村民の産業にして軍が買い取ればいい。そうしよう。もうそうにきまった!」
「ははあ、これが南雲長官の、英明ってやつですね?」
大高がおれに関する噂でも聞いたのか、奇妙に感心している。
「なにごとも、創意工夫ってことですよ大高くん」
「うちのおふくろは……」
袋沢がちょっと赤い顔をして言う。
「オヤジが早くに亡くなり、俺と兄弟を育てるためにずいぶん借金をして、働きました。とうとう肺をわずらって、去年なくなりましたが、先祖代々の墓がなくなったので、入れてやることもできません」
「……そうか。すまん」
みんなしんみりしてしまう。
「ですが、お金があれば新しい墓も作れます。オヤジもおふくろも、きっとよろこぶでしょう」
「おお!」
なんとなく、自分の事のように嬉しくなる。
「よし、おれも頑張るから、おまえらも頑張れ」
「わしゃあ踊るっ!」
鏡味が立ち上がり、みんながはやし立てた。
「ほりゃ、南国踊りじゃあ!」
「いいぞお!」
いつもお読みいただきありがとうございます。本土への途上、危険が迫っているとも知らず、ご機嫌の南雲さんですが、はたして南雲ッちに明日は来るのでしょうか…? ブクマ推奨します。ご感想やご指摘も大歓迎です。




