太陽がいっぱい
●45 太陽がいっぱい
分厚いステーキのランチが終わり、ジョセフィンはアインシュタイン博士を散歩にさそった。
カリフォルニアの住宅街を、ラルフと三人で歩く。
小さな遊具だけの公園にさしかかり、ベンチに腰をかける。
「いい街ですな。私の住むニュージャージー、プリンストンも美しいが、こちらは明るくて実に陽気、おまけに太陽がいっぱいだ」
アインシュタイン博士が、遊具で遊ぶ親子づれを見ながら言った。
老犬のラルフは、直射日光を避け、ごそごそとベンチの下にもぐりこむ。
「時に、ミス・マイヤーズは軍の仕事をしておられるのでしたね」
老博士がまずは口火を切った。
ジョセフィンは博士を見て、そっと目を落とす。
「これはすでに軍の上層部へ報告をすませたところだが……」
「……」
「……博士が1939年に署名した核分裂反応の軍事利用に関するルーズベルト大統領あての書簡は、日本もこれを把握している。それだけでなく、彼らはすでに原子爆弾の開発に入っている」
「……!」
「原子爆弾はあなたがた科学者が考えているよりずっと恐ろしい威力を持っているのだ。しかも、そのことを知っているのは、残念ながらわれわれではなく、南雲という日本人だ」
「その人は……民間人ですか?」
「いや、海軍の軍人だ。しかし本当はなにものかは誰にもわからん」
「ミス・マイヤーズとは親しいのですね?」
「ワタシはアメリカ海軍航空隊の少佐だ。艦載機による攻撃を行い、被弾して日本軍に救助された。そのまま、一か月前まで南雲が指揮する艦隊に随行していたのだ。通訳としてな」
「なかなか柔軟な思考をお持ちの方のようですな。その、ナグモという軍人は」
「真の知性のしるしは知識ではなく、想像力である」
「おお!……ほっほっほ」
博士が笑った。これは博士の著書にある言葉なのだ。
「南雲によれば、原子爆弾一発の威力は、通常爆弾一万五千発分のエネルギー、四千度の高熱、爆風は半径七キロに被害が及び、その後何年も放射能毒性が残留するという」
「それはなんの計算から出た数字なのですか」
「知らんが少なくとも1905年に若い天才物理学者が提唱した計算式が基本になっているのは間違いない」
「ほっほ! E=mc2(二乗)」
無論、彼のことだった。
彼――すなわちドイツの若い電気技師だったアインシュタインは、1905年に特殊相対論と後年よばれる論文を発表し、その中で質量が持つエネルギーについて予言した。そしてそれが元となって、やがて核エネルギー発見へとつながっていったのだった。
ジョセフィンはつづける。
「原子核の中の陽子は不安定で中性子へと変化する。それによってエネルギーが放出されるとすれば、その変化を連続的におこせば、人工的な核分裂や核融合によって莫大なエネルギーを放出させることが可能となる。南雲らはそのことを理解し、ウラニウム235の分離を前提に、かなり具体的な原爆設計を行っている」
「で、ミスマイヤーズは私にその研究をしろと? それならばご心配にはおよびません。すでに政府内では原子爆弾開発の計画が徐々に進んでおると言うことですよ。私は政治思想に疑念があるため、参加させず、となったようですが……」
少し自嘲気味に笑う。
明言は避けたが、どうやら政府の中枢に近い人間から、研究の現状と彼が参加できない理由について説明を受けている様子だ。
「博士、あなたへの頼みが二つある」
「ふむ」
ジョセフィンはまっすぐアインシュタイン博士の顔を見つめた。
金色の長い睫毛が、かすかに震えている。
「この核関連兵器はいずれどの国家も開発して所持するだろう。あるいはドイツが持つアグリガットのようなロケットに搭載できる日がくるかもしれない。その先に来る未来の戦争と人間の生活は、いったいどのようなものだろうか」
間髪入れず、老科学者が答える。
「核爆発により荒廃した都市、地下壕に住む人々、水や食料がなくなり、疫病がまん延する。……その結果、人口は減る」
「そのような未来を、いったい誰が望む?」
「誰も……しかし核分裂兵器がもたらす世界戦争は、誰も望まなくとも、必ずやそうなるでしょう」
「ワタシもそう思う。したがって博士へのお願いの一つは、アメリカでの核開発を加速させてほしいということだ。今のままでは一方的に日本が原子爆弾を投下するだろう。それでは困る」
「なるほど」
「もうひとつは、今博士が予見した未来を、世界の共通認識とする手助けをしてほしいということ。核は人類の管理下におくべきだ。核が抑止力として互いに持つが、使用は許されない最終兵器との認識を広めたいのだ」
「……ふーむ」
アインシュタインはその灰色の脳細胞で、核を持ち、核を使わない人類の未来を考え始めていた。
「今あるこの戦争をまずは収めないことには間に合いますまい」
「思うに……」
ジョセフィンはラルフの手綱をひっぱった。
「ここから先は三つの選択肢がある。まずA、日本がアメリカに原爆を投下してアメリカが降伏する未来。つぎにB(ビー、)アメリカも原爆を開発し、互いに国土をめちゃくちゃにしたあと、ヨーロッパ戦線の覇者が優位に立つ世界。そしてC、日本とアメリカが開発し、その脅威にお互いが気づき、戦争を終結せざるを得なくなる世界」
ラルフがのっそりと起き出て、身体をブルブルとふるわせた。
ジョセフィンがラルフの頭を撫でる。
博士はそれを見ながらうなずいた。
「なるほどなるほど。それで二つ、なのですね。私がアメリカの核開発推進に失敗すればAになり、核分裂兵器の恐ろしさを世界に啓蒙できなければBとなる。……しかし、この老人に、ちょっと荷が重すぎやしませんか」
二人して思わず笑ってしまう。確かに老齢の物理学者には荷が重い話だ。
「ではBに関しては別の方法を考えるとしよう。だが、どのみち、アメリカは日本よりは核開発が遅れるだろう。なぜなら、半年後には日本は太平洋のビキニ環礁で原爆実験を行うからだ」
「おお、もうそこまで」
「いずれにせよ急がねばならない。なぜなら南雲はこうも言っていた。日本が原爆を持ち、その真の恐ろしさを知らなければ、日本は躊躇なくアメリカに原爆を落とすだろう、と」
「逆も真なりということわざがありますよ。アメリカが核を先に持ち、かつ不理解ならば、この国の軍部は間違いなく使用するでしょう。リメンバーパールハーバーの名の下に」
博士は軽くため息を吐いた。
「戦いの最中に銃を持てば、先に撃つのが必然です」
「だが、いいニュースもある博士。南雲の望む本当の世界はこうだ。日本の原爆を認めたアメリカが日本と停戦講和したあと、日本は三国同盟を破棄して欧米連合に加わり、ドイツに宣戦を布告する。しかしすべてが終わるまでには、日本だけでなくアメリカも核を開発することが必要だとワタシは考える。でなければ、いかに南雲といえど、その後の日米対立において、増長した日本軍部を抑えることはできないだろう」
風が強くなってきた。
ジョセフィンのポニーテールが揺れている。
ラルフがまだか、というように、おすわりをして二人を見あげた。
彼らは立ち上がり、公園を出て、家に向かった。
あいかわらず、この町は明るく、人々には笑顔があふれていた。ともすれば今が戦争中であることなど、つい忘れてしまいそうだった。
家に着き、ジョセフィンは玄関の扉を開けた。
「さあ博士、今日はどうぞゆっくりお泊りを。明日からは忙しくなる。さしあたっては大統領への書簡をもう一度お書きいただこう。 中身はワタシも手伝う」
いつもお読みいただきありがとうございます。相対論の本を一冊読破しましたが、なんだかすごい、で終わりそうですw 不定期更新にしようかと考え中、ブクマをおすすめいたします。ご指摘、感想も大歓迎です




