悪い予感
●42 悪い予感
「こっちは連戦で傷だらけだ。百機の新手なんか、とても相手にしてられないぞ!」
「しかし、帰艦させたら、こちらの居場所が知られます」
「かまわん!」
おれはちょっと考え、こうつけ加えた。
「鳳翔、瑞鳳の航空機も、こっちに来るよう言ってくれ。あっちは守りが弱いから。あとで戻そう」
燃料はまだあるはずだし、多少の回遊は問題ない。しかも、こっちには連動高角砲がある。もし敵機がやってきたら、七面鳥撃ちにしてやる。
「わかりました!」
大高がすぐに命令を発している。
「それと淵田、嶋崎に連絡してくれ」
「はい……なんと?」
「なんか悪い予感がするんだ。敵の空母艦隊を確認してほしい。でもいいか、戦闘はするなよ。その必要はないからな。それに確認できなくても、危険なら引き返してもいい。可能ならでいいから、空母がなんなのか、目で見てほしいんだ」
自分で言うのもなんだが、実にわかりにくい命令だ。
「淵田、命令にしてくれるか?」
「は、はい」
淵田は草鹿と相談しつつ、一生懸命メモを書いている。一刻を争ううえに、端的に、正確に命令にしなくちゃならない。おれにはこの時代の命令文を作るのは苦手だから、いつも任せている。こういうのって、才能と修練がいるんだよな。
「できました!」
「どれどれ?」
「翔鶴発令嶋崎隊。敵新空母の艦名を偵察せよ。ただし無事帰艦を最優先とす」
「お、いいね!それでいこう」
「おいおい、無茶いいよんなあ」
嶋崎は無線を聞いて思わず苦笑する。
「電探によれば、新たな艦隊まで距離百 海里ですよ。行きますか?」
「行くのはいいが、三機編隊にしよう。柴崎、八田に連絡をしてくれ」
その両名はゼロ戦の護衛機だ。さっきの申告でその二名が現存とわかっていた。
だが、敵の艦隊に遭遇するわけだから、無事にすむとは思えない。艦名にしても、見たことが無ければ目視してもわかりようもない。
「無事に見てこい……とはね」
嶋崎は南雲の人懐こい顔を思いうかべる。こういうのは決まって南雲の命令だ。兵は消耗品、とする今までの司令官とはあきらかに違う思想だ。
それがいいか悪いかは、嶋崎の考えるところではない。今はただ、命令に忠実に行動するだけだ。
周辺ではあちこちに黒煙があがり、高角砲もあいかわらず激しい攻撃を繰り返している。
味方の航空機がすべて翔鶴へ引き上げるなか、大きく旋回して味方を探す。すぐに二機のゼロ戦が気づき、近よってきた。慎重に空域を離脱する。上昇するにつれ、海上には木の葉のように黒い艦隊が小さく浮かびあがった。
敵を避け、無事に編隊を組めたところで、嶋崎はあらためて命令を出した。
「嶋崎、柴坂、八田、これより新たに現れた敵艦隊を偵察する。目的は空母の目視と無事帰還である」
「柴坂諒解」
「八田諒解」
「よし、行くぞ」
三機はゆっくりを戦闘空域を離れ、大きく旋回していった。
(敵の電探には引っかかりたくない。となると……)
低空飛行をすれば、海面で電波が反射するため、電探が役に立たないと聞いている。ここにいたるB25の本土空襲にしたって、それを狙っての超低空飛行だったらしい。
腕時計を確認する。十六時だ。
雨はあがり、まだ空は十分明るい。
嶋崎は操縦かんを押しこんだ。
「よっしゃ、こっちも低空でいくぞ」
「帰っていきますね」
アメリカ空母ワスプの司令室で、マッカーサーは潮が引くように引き上げていく日本の航空機を見ていた。
B25での日本空襲も、さらに南雲艦隊への攻撃もうまくいかなかった。しかし成果がなかったわけではない。
今までアメリカはやられっぱなしだった。真珠湾に攻撃を受け、アメリカの空母は潜水艦攻撃を受けたし、アジアの各地も獲られた。それだけではない。アメリカ本土にさえも、数多くの砲撃が行われ、国内は厭戦に傾きつつあったのだ。
それが日本本土への空襲を企図し、いくばくかの被害をあたえた。
真珠湾で破壊された艦艇も修理は順調にすすみ、今こうして日本への反抗の狼煙を上げることが出来たのだ。失われた空母や航空機も続々と補充されるだろう。わがアメリカは決して屈しない。それが世界へ発信できただけでも、成功といってよい。
マッカーサーは副官のジョン・D・マクルリーに答えた。
「これ以上の攻撃は南雲にも無理ということか、それとも……」
「罠の可能性もある、ということでしょうか」
「うむ……」
マッカーサーは、B25が一機も帰ってこなかったことが気になっていた。
(おかしい。いくら敵機が優秀でも、あの大きなB25の機体が全て撃墜されるとは思えない。やつらには、まだ、なにか恐ろしい秘密があるのではないか)
長年現場の司令官として軍務を仕切ってきたマッカーサーは、戦争が武器しだいで戦況が一変することを熟知していたし、ゼロファイターや、酸素魚雷、特殊潜航艇、そういう日本の武器開発力を侮ってはいけない、という予感めいたものがあった。
(それに、あの原子爆弾とやらもな……)
マッカーサーは海戦が続く海を見たまま言った。
「ハルゼーを呼んでくれ」
「はっ!」
「……ハルゼーだ」
百マイルのかなたにある、艦隊から無線が入った。
「こちらは空母ワスプ、マッカーサーだ」
「これは司令官、そちらは順調でしょうな?」
ハルゼーのしゃがれた声がした。通信そのものは明瞭で、雨でもこの距離程度なら問題はなさそうだ。
「貴官の増援に感謝する。おかげで敵は退散したようだ」
「それは結構ですな、ではすぐ追撃いたしましょう」
「いや、少し気になることがある」
「ほう、なんでしょうか?」
「敵艦隊に爆撃に出たB25が一機も帰ってこない。おそらくすべて撃墜されたんだろうが、わずかな空母艦隊でありえないことだ。もしかすると敵には隠し玉があるのかもしれん」
「隠し玉……心当たりはおありですか?」
「いや、ない。ないが、悪い予感がする」
「ふむ……」
ハルゼーはマイクのむこうで誰かと相談しているようだ。いや、すでに決断をすませ。単に根回しをしているだけかもしれない。やがて返事がある。
「ではこうしましょう。まずは二十機を先行させ、残る八十機は近辺で待機させる。ナグモに隠し玉がなければ、百機で総攻撃を行う」
「いいね」
無線を置く。
さすがはベテランの提督だ。油断せず、しかも抜け目がない。
いつもお読みいただきありがとうございます。ハルゼーとマッカーサーの仲は、陸軍の作戦を相談しあったり、とくに悪くはなかったようです。ただしハルゼーが二歳年下で、地位も下なんですね。




