ジャップをみなごろしに
●39 ジャップをみなごろしに
「「
四月二十二日 水曜日
北緯三十度二十六分 東経百四十九度四十四分
天候・曇のち雨
波・荒
」」
とにかくこのままでは数的にも作戦的にも決戦艦隊にはほど遠い。インド洋のことは気がかりだが、今はイギリスと停戦中だし、ひと月くらいなら、ひそかに全艦隊が現場を離れても、大丈夫だろう。
ただ問題は距離だ。
おれの主艦隊が停泊基地化しているディエゴ・ガルシア環礁は、インドの南、千八百キロのところにあり、そこからトラック泊地までは九千キロもあるのだ。赤道を一周しても四万キロしかないんだから、ほぼ地球を四分の一周ってことになる。いかに遠いかわかるだろう。
九千キロは四千八百六十海里になる。つまり二十五ノットで約二百時間、八日間はかかる勘定だ。当然、燃料もからっぽになるから補給もいるし、着いても整備も人的休息も必要になる。ま、要するにすぐには使えないわけで、アメリカ艦隊の迎撃に間に合うかどうか、井上中将の南方艦隊との合流を考えても、微妙だよな。
とはいえ、まずは敵空母レンジャーとワスプの二隻だ。こいつらを確実にやってしまいたい。ところが、索敵を南方に変え、扇形往復を二度ほどやったところで、急に天候が悪化して雨になった。
空母翔鶴の飛行甲板に、索敵隊が水しぶきをあげて着艦している。
兵士たちは必死に、モップで床の水を拭きとっていた。
「これ以上は無理でしょうな」
雨の降りしきる中、艦橋にいたおれたちに淵田が言った。
「このまま雨がやまなければ、視界不良で次の着艦はあぶなくなりますよ。特に小型空母の鳳翔、瑞鳳は甲板も短いので危険です」
「ふむ……」
おれたちは約百キロという大きな間隔で、空母三隻が三つの艦隊を形成していた。それぞれに重巡と駆逐艦が護衛をし、さらに潜水艦隊もこちらに急行してる。
おれは同意した。
「仕方ないな。今日はここまでにしよう」
かたわらの草鹿や山口もうなずいている。
時間を見ると、もう午後三時になる。おれは淵田のチョビ髭をみながら、尋ねた。
「直掩機はどうする? やっぱ、この雨だと、降ろしたほうがいいかな?」
「いや、これくらいなら大丈夫です。無線機もようなりましたし、旋回だけですから。なんならワシが飛ばしまひょか」
「と、飛びまっか?」
おれは淵田の大阪弁を真似て笑った。
「……すんまへん。つい」
航空参謀として最近はめっきり方言の減った淵田だったが、今でもたまにお国が出る。でも、おれは別に嫌いじゃなかった。
その時……。
「対空電探に反応あり!」
と、大高が叫んだ。
おれと淵田は、思わず顔を見合わせる。
「まさか。味方機じゃないのか」
「いえ、編隊です。距離百!」
「おい!」
おれは淵田に目で合図する。
「えらいこっちゃ!」
淵田が迎撃の指示を出すべく送話器に走る。
「ふーむ、索敵機がつけられたか……」
艦橋があわただしくなる。
鳳翔、瑞鳳にもただちに連絡がなされる。
飛行中の直掩機が、急ぎ迎撃にむかった。
その少し前。
アメリカ空母ワスプからレンジャーに乗りこんだ司令官マッカーサーは、大きな会議室に本土爆撃を敢行するはずだった、B25の乗組員たちを集めてこう言った。
「私は諸君らに謝らねばならない」
兵たちは机の前にすわったまま、顔を見合わせている。
作戦総司令官であるマッカーサーが直で訓示をするなど、そもそも、考えられないことだった。しかも謝りたいために、この尊大で聞こえる司令官が、わざわざ船を乗りかえてまで、おれたちのためにやって来たというのか?
マッカーサーは腰に手を当て、口にくわえたパイプを手に持った。
「諸君ら陸軍の兵士たちを敵の船から守り、無事に発艦させるのが、空母ワスプと私の任務であった。なぜなら、諸君らは日本を空襲するために長い訓練を経て、ここまでやってきたからだ。しかるに、諸君らも知っての通り、無事に飛べたB25はわずか五機で、その五機も現在は消息不明である。そのことをまずは諸君らに詫びたいのだ」
「……」
いつもは自由に発言し、ざわついている彼らも、あまりの展開にしんと静まり返る。彼ら、最初は百人ほどもいた陸軍ドーリットル隊も、いまや隊長の姿はなく、八十名ほどになっていた。
「単刀直入に言おう。君らはナグモをやりたくないか?」
「やりたいにきまってます!」
中の兵士が叫んだ。
マッカーサーのそばで立ち会っていた、海軍教官のミラー大尉が、発言した兵士を指した。
「発言を許可するローソン中尉」
ローソンが立ち上がる。
「船はやられましたが、甲板の損傷は幸いたいしたことはなく、鉄板を敷く応急処置はすでに完了しています。この船の現在地は日本から離れすぎ、もはや空襲は無理ですが、B25と俺たちが飛べないわけじゃない。ジャップを鏖にできるなら、どこへだって行きますよ司令官」
応急修理は甲板を鉄板で覆っただけだったが、離艦の訓練を繰り返した彼らには十分だった。
マッカーサーはわが意を得たりとばかりにうなずき、室内を見回した。
「では言おう。……今朝、日本軍の索敵機を発見したわが空母ワスプの偵察機は、その索敵機をひそかに追跡した結果、雨と雲にまぎれナグモ空母艦隊の所在を知ることが出来た。なぜなら発見した空母は翔鶴、すなわち現在のナグモ艦隊の旗艦だった」
「おおおお!」
「キルザナグモ!」
「キルザジャップス!」
わっと盛り上がった室内に、マッカーサーの声が響いた。
「諸君、ナグモは狡猾で常に先を読むが、ひとつ読めないものがある。それは君たちの勇気だ」
「イエス!」
「ジャップをころせ!」
「これはナグモがはじめた戦争だが、終わらせるのは誰かね?」
「おれたちだ!」
「アメリカだ!」
「……よろしい。ならば行こうではないか。出発だ!」
「うおおおおおおお!」
八十名の兵士たちの、怒号のような雄叫びのなか、マッカーサーは表情を変えることなく、マドロスパイプをきつく咥えた。
雨が激しくなってきた。
この天候の中、わざわざむこうからやってくる。しかも数的不利をものともせず、だ。
おれはなんとなく、この敵の意志の強さのようなものを感じていた。
(思ってたより、手こずりそうだな……)
おれは草鹿をふり向く。
「敵の機数や速度はわかるか?」
草鹿が電探員とやりとりをする。
「機数約十機、速度四百ですっ!」
距離が百なら十五分ほどで来るだろう。
おれは素早く計算する。
「よし、それだけあれば十機は飛ばせるな。すぐにゼロを追加しろ。それから鳳翔、瑞鳳からも応援を出させ、こっちに向かわせろ!」
「はっ!」
こうしておけば、おれたちの艦隊は空母どうしが距離をとっているため、一時をしのげば、次々に新手が加勢する形になる。
(来るなら来い!)
おれは艦橋の窓に垂れるしずくを見ながら、遠い敵の影を睨んでいた。
いつもお読みいただきありがとうございます。最後の「来るなら来い」は、霧島健人なら絶対言わないセリフで、ここでは思わず覚醒した南雲ッちが出ているという設定です。ご感想やブックマークもありがとうございます。とても励みになっています。




