アメリカ兵と目が合う
●32 アメリカ兵と目が合う
黒々とした海がつづいている。雲がしだいに厚くなり、その隙間でわずかに見える三日月が、走り去る白波をかすかに照らしている。
高橋赫一は燃料タンクを切りかえた。空戦中に燃料ぎれをおこしてはシャレにならない。こういう時は、早めに切り換えておくに限る。
両翼下に装備した三十粍機銃の威力はおそるべきものだった。おかげで、まさに一瞬で、さっき遭遇したB25は撃墜することができた。
もともと相手は海面すれすれの超低空飛行だから、視認して奇襲できれば、後方上空から狙い撃ちにできる。ただし、どう見つけるか、どう見つからないかが問題なのだ。さっきは僥倖だった。次もそうなるかは、わからない。
(敵さん、どこらまで飛んだんじゃろ?)
もう海図はあまり見ていなかった。むかっているのは日本なのだ。このままだと本土に降りることになるだろう。さしづめ、横須賀の航空基地か。本土ならば、夜であろうとどこにいて、どこへ向かえばなにがあるか、目をつむっていてもわかる。その安心感が高橋を奮い立たせていた。
本土をやらせてなるものか……。
高橋はその決意をあらたにする。
無線が入る。高橋は受聴器に耳をすませた。
『テ26、テ26』
おお、わしあてじゃ!
『NG発、残る敵は四機、一機を撃墜せよ』
なんだこりゃ!めちゃくちゃ聞こえるじゃないか!
高橋はそのあまりに透明感のある音声通話に驚いた。
NGとは海軍軍令部の符牒だ。ということは、この無線は日本の本土から送られてきている。B25が残り四機で、そのうちの一機を高橋に墜とせと言っているのだ。
しかし、あのひどい九六式無線機とは雲泥の差だ。
実戦でも、これほどの明瞭さがあるとは。
もちろん、試験飛行のときからその性能にはおどろいていたし、さっきも撃墜後に戦果を送信した。
が、本土からの受信ははじめてだった。
いや、あの技師ですら、
『FMなので長距離だと聞こえないかもしれません』
と、自信のなさそうなことを言っていたというのに。
しかし、少なくとも今は抜群によく聞こえている。
(ふーむ、わしにはさっぱりわからんが、エンジンも機銃も無線も新型になって、こりゃあ実にいい塩梅じゃな)
高橋は上機嫌でスロットルを押しこむ。
おっと、返事せにゃいけんかった。
無線機の送話器をとりあげ、口につける。習ったように送信側にスイッチを入れた。
『テ26諒解』
(にしても、一機とは、司令部もケチなこと言いよる……)
そうか、この調子だと追いつくにも時間がかかるし、沿岸にちかづけば、敵は攻撃目標にそって展開しはじめる。そうなるともうわからんようになる、か……。
おっと、慎重に、慎重に。
あやうく注意散漫になりかけ、高橋は気を引きしめる。
速度を速めるのはいいが、相手は低空飛行だ。こっちの視界は下にはほぼ無いに等しいから、うっかりしていると通りすぎてしまう。とにかく、上下や左右に機体をふって、常に海上を……。
「?」
「……」
「おった―――!!!」
高橋はものすごい笑顔を浮かべてつぶやいた。
前方約一キロほどの海上に、B25の黒い機体が、水面すれすれに飛んでいた。たまたま、月あかりが差したのだ。
「わしゃあついとるのう―――!」
ぐいっと操縦かんをひきあげる。スロットルを戻し、速度を落とす。B25は上部に機銃手がいるから、近づくと音でばれてしまう。
慎重に位置をきめ、機銃の用意をする。さっきの戦闘で、もうあまり弾は残ってはいなかった。三十粍を使い切ってしまうと、あとは七・七粍の機銃しかない。それではいくら穴だらけにしたところで、よほどのことがないかぎり、撃墜することは無理だ。
……いや、待てよ。
と、高橋は思った。
さっきは上空からの一撃がヒットして、そのまま空戦になったが、今回もそうなるとは限らない。あの天井にいる機銃手が、先に気がつけば、残り少ない弾数でこちらとの撃ち合いになってしまう。
(よし、こっちも低空からいくか……)
高橋はゆっくりと距離をとりながら、高度を徐々に下げた。
同じ高度に並んでしまえば、すくなくとも天井の機銃は封じることが出来る。あとは後方の機銃が邪魔だが、はたして四番機の後方に、機銃手がいるだろうか。いたとして、この暗い低空の海面で、近寄る小さい戦闘機に気がつくだろうか。
後方約一キロの海面を高橋機が飛ぶ。徐々にスロットルを開け、速度をあげる。もうすこし……もうすこしだ。
大型双発のB25がだんだんと大きくなる。
よし……今だ!
高橋が三十粍機銃のスイッチを押そうとした瞬間、B25後方銃座から曳光弾が走った。
(うあっ!!)
急いで左に機体を振る。下には行けないから、反動をつけて右上空へ。
ピュンピュン……!
曳光弾が頭上を不気味に飛び去る。
高橋はなんども進路を変えて躱す。
海面は矢のような速度で流れている。
敵は天井の機銃からも弾を発射してきた。
スロットルをゆるめ、いったん旋回する。
相手の斜め後方にまわり、機首をむけると機銃を撃ちこんだ。
ドガガガガガガガガガガガガガ!
相手の機体後部に数発の手ごたえがある。
進路を変え、こんどは相手の真後ろにつく。
ドガガガガガガ、カチン!
弾数窓に赤い印が出る。
(くそ!弾切れか!)
急にB25が速度を落とした。
(まずい!)
思う間もなく、敵機がぐんぐんと近づいてくる。
相手の後方機銃が火を噴く。こちらも七・七粍で応戦するが、とてもじゃないが勝てそうにない。相手はほぼ進路を変えず、超低空飛行のままだ。
(えい、やけくそじゃ!)
高橋はとっさに操縦かんを押し、スロットルを開いた。機体が新型エンジンの出力で、ぐいぐいと前に進む。後部の機銃手が目を剥いてあわてている中、高橋機は超低空飛行をいくB25の、さらに下へともぐりこんでいた。
(うわああああああああ!)
叫びながら、必死で操縦かんを握りしめる。海面が真っ黒になり、今にも激突しそうな気がする。この速度ですこしでも海面に接触すれば、こっぱみじんになってしまう。上にはB25の巨大な機体がかぶさるように接近している。前方へと通りすぎる中、底部機銃座のアメリカ兵と目が合う。あれ? 機銃がないぞ?
そのまま前方に抜け出る。
最高速のまま宙返りをする。
一回転する寸前、敵の上部が見える。
(好機っ!)
高橋は七・七粍機銃をしこたま叩き込んだ。
尾翼、天井の機銃座、操縦室と、機銃が順に破壊していく。速度を調整して、少しでも多くの銃弾を浴びせられるようにしてやる。
ガガガガッ、ガガガガガッ、ガガガガガガッ、ガガガガ!
相手の破片がいくつも飛び散るのが夜目にもわかる。
さんざんに撃ちぬき、もういちど宙返り。
B25が左右に翼をゆらし、高度を下げていく。
さては操縦士にもあたったか。
バシーッ!
片翼が海面にあたり、横に一回転する。
ド―――――――――ン!
旋回する戦闘機のキャノピーから、ばらばらになった機体と、脱出する乗組員を見ながら、高橋は雄たけびをあげていた。
(しゃあああああああああ!)
機体を旋回させると、深呼吸して、にやりと笑う。
「最後は……腕じゃの」
無線に関しては資料があまり残っておりませんが、板谷飛行士の証言などで、大戦の後期にはFM波によるかなり明瞭な通信機が完成していたことがわかっています。この物語では、日本製真空管と半導体が開発され、急速に電波技術が進んでいるところです。




