海上三十メートルの超低空飛行
●29 海上三十メートルの超低空飛行
「レンジャーが被爆!」
「B25これ以上飛べません!」
「味方戦闘機被害甚大です」
空母ワスプに報告が飛び交う。
マッカーサーは指令室の窓から、遠い海上に見える空母レンジャーと、その周辺で激しく交戦する航空機を見つめていた。
「こちらは完全に蚊帳の外ですな」
艦長のリーヴが首をかしげる。
たしかに、さっきから、敵は一機もこちらには来ない。
日本の攻撃機はほとんどが戦闘機と爆撃機で、これではまるでB25の離陸を阻止することだけが目的のようだ。
「ナグモだ。やつはこの作戦を完全に見抜いている」
マッカーサーが嘆息まじりに言う。
「いや、でもおかしいでしょう。いくらなんでも最初からむこうだけを狙い撃ちにするなんて、どういう魔法です?」
「わからん。あいつについてはワシントンでも話題にことかかなかったよ。真珠湾からこっち、ほとんどの作戦で裏をかかれ、まるでなにかの神通力を持っているようだと、ね」
「スパイがいるんではないでしょうか。それも、かなりの上層部に……」
「めったなことは言わんことだ」
それについては、政府中枢でも調査されたことがあったらしい。もしかすると、日本はアメリカの暗号を解いているんではないか、とか、大統領の側近に日本のスパイが入り込んでいるのではないか、とか。
しかし、陸軍の作戦ではそのような異常は感じられなかったし、真珠湾、オーストラリア、インド洋と、すべての作戦を把握している政府側近や軍関係者は、ひとりもいなかったのである。
「ドーリットル隊は何機離艦したのだね?」
「五番機までは確認しています」
「うむ……」
全部で十六機の離艦を計画していたなか、五機だけの発艦になってしまった。しかし、それらが十分な成果を上げる可能性はまだある。いや、むしろ一発だけでもいい。敵の首都に五百ポンド爆弾か焼夷弾を落とせたら、アメリカ国民の士気は大いに上がり、現在、病巣のように広がりかけている厭戦気分も、一掃できるかもしれない。
長い民主主義の中で、民衆の扇動に長けた政府が、それこそ、そのチャンスを見のがすはずはない。
「五人に賭けよう」
「そうですな」
「……敵機が来ます!」
見張りの兵が叫んだ。
「長官、ここは危険です。地階に」
「いや、ここでいい」
マッカーサーはポケットに手を入れ、シガーをとりだした。
「こちらに向かってきたと言うことは、レンジャーの甲板はもう破壊されたというわけか……」
火をつける。
「諸君、撤退しよう。護衛機で追いはらえば、夜になれば引き返すだろう。まだ空母を失うわけにはいかん」
「イエッサー!」
海を知らない自分が夜の空母戦をやって、長引く戦いを成功させることはできまい。もう任務は終わったのだ。
「電探にはなにもありません」
その報告を聞き、おれはやっぱりな、と思った。
ここは空母翔鶴の艦橋だ。攻撃隊の報告を受けたおれたちは、B25数機の発艦を知り、その対策に追われていた。
おれは必死に考えをめぐらせる。
たしか、ドーリットルは発艦してから、海上高度数十メートルという、超低空飛行を徹底してやったはず。だとすれば電探はあてにできず、目視で探すしかない。
しかも、時刻はすでに十八時だ。巡航時速が三百キロだとすれば、三十分まえに発艦したB25は、もう百五十キロ先んじていることになる。時速四百で追いかけるとして、B25との速度差は百キロ、つまり追いつくのは一時間半以上もあと……。
「もう空母はいいだろう。直掩機を除くゼロ戦は、すべてB25の追撃にまわせ!」
「わかりました!」
淵田がただちに命令をだす。
やらないよりはましだしな。あとは……。
「高橋隊はどうした?」
「作戦通り、ここより北方の中間空域で待たせています」
「よし、警戒飛行してB25を発見しだい撃墜せよ。敵空母から何機が離艦したのかは不明だが、残った数の報告からしてそれほど多くないはず。おそらくは十機以下だろう」
「では、高橋隊にそのように無電します!」
「待て」
「?」
「すまん。こうもつけ加えてくれ。敵は編隊じゃなく、数キロ間隔で海上すれすれを飛んでくるぞ、と」
無線士はメモとりながら復唱する。
「敵は数キロ間隔にて、きわめて低空を飛行せりと推量す。これでよろしいでしょうか」
「いいぞ」
おれはうなずき、窓のそとを見る。
空はもうかなり昏くなっていた。
(やはり、目視はあてにできないかもな……)
なんと言っても、相手はドーリットルという天才飛行士と、そして陸軍えり抜きの志願兵たちだ。
レーダーにひっかからない超低空飛行、おまけにこの暗さ。
そう簡単には発見できるとは思えない。
ただ、こっちはやつらが発艦した時刻を、ほぼ正確にわかっている。これは一種の強みだ。なぜなら、史実に残る巡航速度を知るおれにとっては、彼らの本土到着時刻が、わかることになるからだ。
「草鹿」
「はい、なんでしょう」
「潜水艦隊は中間海域に散開させてあるな」
「ええ、ほぼ五十キロの間隔で浮かばせています」
足の遅い潜水艦八隻は、東京から五百キロの海上を、ほぼ五十キロ間隔で三百五十キロ、日本列島の形にあわせて待機させてある。その目的は……。
「ご命令どおり、浮上して、音を聞かせています」
「それでよし。哨戒艇も散開させてとにかく空を警戒させろ。発見したら、すぐに大本営に無電な」
通過するB25を監視させるためだった。
「撃ち損じたら、あとはあれに頼るしかない……」
波立つ太平洋を、双発のプロペラ機が飛んでいた。
いわずもがな、アメリカ陸軍のB25爆撃機である。
その操縦席で、ドーリットル中佐は、副操縦士のリチャード・コール中尉と仲良くならんで、操縦かんを握りしめている。
今は海上約三十メートルの超低空を、目を凝らしながら飛んでいるが、それももうまもなく無理になるだろう。これ以上暗くなると、ほぼ計器飛行になるため、さすがにこの高度では危険すぎる。万が一を考えてあと十メートルは高度を上げざるを得ない。
後ろでは、無線士たちが目を皿のようにして飛行速度と方角を観察し、航路を逐一記録している。夜の飛行は計画通りで、彼らはその訓練もしっかり受けてきていた。
「それにしても中佐」
コール中尉が口を開いた。
「ん?」
「さっきはひやひやものでしたね。あともう少し発艦が遅れるか、やつらの来たコースがわれわれの進路と重なってたら、やられてましたよ」
「ああ、ついてたな……今のところは、だが」
「みんな、無事に発艦できたんでしょうか」
「わからん。そう願うばかりだ」
「ええ……」
ややしんみりした空気になる。
それを嫌ったコールが、わざと明るい声を出した。
「ねえ中佐、中国には行かれたことありますか?」
「いや、ないな」
「自分たちもです。でも楽しみだなあ。……ねえ、知ってます? 中国で漢字を発明したやつは目が四つあったんですって」
彼らはみんなジョークが好きで、明るく楽天的だった。ドーリットルはこの副操縦士が、中国でかわいい女の子を見つけるんだとおしゃれ道具一式を積み込んでいたのを、微笑ましく思いだした。
「知らんな。漢字ってのは象形文字なんだろ?」
「そうですよ。だから見ればだいたいわかる。だからそいつが目が四つなのは、ものの形をちゃんと見極めるためなんですって」
「きっと眼鏡でもかけてたんだろうよ」
「じゃあそいつは飛行機乗りにはなれませんね」
聞いていた全員が笑う。
ドーリットルはランプをつけた。
「地図をよこせ。……おい、ちょっと君、操縦をかわってくれ」
「イエッサー」
ドーリットルが後ろの無線士から地図を受けとると、コールが自分の前につきでた操縦かんを握る。
二つの操縦かんは、どちらでも連動して動くのだった。
「もうそろそろ、日本の島が見えるはずなんだがな」
地図を広げて、進路をたしかめる。
「高度をあげてみるか?」
「アイアイサー」
わざと海軍式の返事をして、コール副操縦士が操縦かんを引き上げる。B25がゆっくり機体をもちあげ、ぐんぐんと高度を上げていった。
「それくらいにしておけ。レーダーにかかるとまずい」
「アイアイサー」
ドーリットルが目を凝らした。
いつもお読みいただきありがとうございます。B25という爆撃機は、乗員数が多く操縦士も交代可能で、まさに長距離用の爆撃機ですね。後半のバカ話は映画パルプフィクション的な長ったらしいものにしたかったのですが、怒られそうでぎりぎり自嘲しましたw




