中島飛行機Z
●23 中島飛行機Z
鉄の枠組みの上に乗せられた航空機エンジンが、すさまじい轟音をあげている。
……す、すげえ!
おれはそのあまりの迫力に、圧倒されて見ていた。
「十八気筒で二千馬力は出ます」
エンジンを停止した若い担当技官が、得意そうに話しかけてくる。
「たしか、ゼロ戦なんかの栄エンジンは千百馬力ぐらいだっけ?」
「え……お、お詳しいですね」
技官はちょっと鼻白んで笑った。
ここは海軍航空技術廠の推試験室。木造だが巨大な倉庫のような建物の一角だ。
「まあね。なんたって、エンジンは部下の命を運んでるからな。それくらいは知っておかないと罰が当たるってもんだ。……急に来てごめんね。南雲です」
手を差し伸べ、恐縮するのもかまわず、両手で握りしめる。
「も、もちろん存じ上げております。なんなりとお申しつけください。私、三木忠直と申します」
「……」
「あの、なにか」
「……いや、よろしく」
人懐こい細面の技術士官と、二人で控えの部屋にむかって歩く。
後ろではヒゲを生やした数人の連中が、こちらをチラチラと伺っていた。急に訪ねてきたおれに、ずいぶんな偉いさんがやってきて、大騒ぎを始めたので、いいから勝手にやらせてくれと頼んだのだ。彼らはまだ、気になるのでついて回るらしい。
からかうつもりで手を振ってやると、その中から、一人の若者が抜け出て、ずんずんとこちらにやって来た。
「?」
「南雲長官!お会いできて光栄であります!」
「ん?だれ」
「木更津航空隊から試験飛行の出向で来ております。飛行士の太田正一と申します」
太田正一……?
……ん、これもどこかで聞いた名前だぞ?
……。
……あ!
「マジか……き、きみが……太田正一さん?」
「はい。長官のお噂はいつもみんなでしております。さっき、南雲長官がここに来られているとお聞きしまして、なんとしてもご拝顔賜りたいと、無礼を承知でまかり出ました!」
意志の強そうな太い眉、そして立派な体躯。そして兵曹長の階級章をつけている。
おれはちょっと呆然とした。
いま、ここでこの二人に会ったのは、はたして偶然だろうか。
それともやっぱり、おれの転生と同様、なにかの導きか。
桜花の発案者・太田正一と、開発者・三木忠直
彼らは、この忌まわしい兵器の推進役として、いずれ有名になる人物たちなのだ。
「き、君たち、ちょっと時間、いいかな?」
おれはまぶしさと怖さの中、思い切って声をかける。
「私はかまいませんが……彼は……」
三木が困った顔をして太田を見る。
三木にとっては、太田は訪問者にすぎないからだろう。
「ま、まあいいじゃないか、若い君らにこそ、頼みたいことがあるんだ」
おれは二人の肩を抱くようにして、歩き出した。陽射しの入る窓からは、常緑樹の青々とした葉が見えていた。
黒板があったので、それを引き寄せて、いくつかのポイントを箇条書きにしてみる。彼らのあとから、偉いさんも入ってきて、遠慮がちに部屋の後ろで立ち見を決めこみだした。恐縮する二人を机に座らせ、おれは話を始める。
・高高度超大型爆撃機『富嶽』
・全長四十五メートル 全幅六十五メートル
・六発(うち二発がジェットエンジン)
・最高到達高度一万五千メートル
・最大速度七百八十キロ(一万メートル)
・航続距離二万キロメートル
・搭載爆弾二十トン
「今から君たちに特命をあたえる。半年以内にこの高高度爆撃機を作ってもらいたい。名前は富嶽!」
かんかん、と黒板をチョークで叩く。
「富嶽……ちょ、ちょっと待ってください。いくらなんでも、これは作れないと思います」
慌てて三木が悲鳴をあげた。驚いて声が裏返っている。
「こ、この飛行機、自重はいかほどなんでしょうか?それに高度一万五千のとき、人間は生きていられるんでしょうか。空気がない高空で、どうやって内燃機が回るのでしょうか。はたして、そんなものが空を飛ぶんでしょうか?」
「大丈夫、自重は四十二トン、高度一万五千のとき、気圧と酸素濃度は地上の十三パーセントしかなく、気温はマイナス六十五度だ。それでも室内を気密にすれば人間は平気だし、飛行機は揚力が落ちても空気抵抗がすくないから、飛ぶ。ただし、この時代のレシプロエンジンじゃ推力が足らん。だからドイツがV型ロケットで採用した方式の、ジェットエンジンを二発、搭載するんだ」
おれはあらかじめ百科事典を開いて標高と気圧の関係をしっかり調べてきていた。それくらいしないと、とても技術者とは話にならない。
「アメリカ本土までが一万キロですよ。爆撃して帰ってこれるじゃないですか!」
太田が嬉しそうに言う。彼は飛行機乗りで技術畑の人間じゃないから、もう実現した気になって単純に喜んでいる。
「南雲長官、わ、私としましては、その、現在の海軍の技術では……むり」
急に逃げる気満々になった三木が、声を小さくしはじめる。
「君はやる前からあきらめるのか?」
あ、しまった。精神論言っちゃった……。
「じゃなく、これって実現可能なんだぞ。マジで」
三木が参観日の両親みたいに立っている、数人の上官たちを心細そうに振り返るが、みんなさっと目を逸らしてしまう。
「で、では、上官の命令があれば……全力でやらせてはいただきますが、しかし、私見をお許しいただくとすれば、この富嶽の完成までには、あと数年はかかるのではと……」
「そんなに待ってはおれん!」
太田が机を叩く。
おいおい、それはおれのセリフでしょ太田くん……。
「時間の短縮にはやはり開発チームの多重化でカバーしよう。つまりジェットエンジン、レシプロエンジン、気圧管理、断熱、搭載兵器など、それぞれのチームが一斉に開発をやるんだ」
「お言葉ですが、半年で飛ばすためには、四か月で機体を完成させねばなりません。お恐れながら、開発班の編成だけでも、一か月はかかるのではと、拝察い、いたしますが……」
「いや、アメリカ本土爆撃をやれるなら、帰ってこれなくてもいい。必殺の気構えで……」
おっとっと。
これは捨ておけない発言だ。
おれは太田の目をじっと見つめた。
「帰ってこれないとは?」
「あ、飛行士としましては、設計上航続距離がすくなかったり、気温が低くて乗員に危険が及んでも、爆撃が可能なら、決死の覚悟で完遂すべしと、思ったのであります!」
ばっと立ち上がって、太田正一がいせいの良い発言をする。
悪意のない、正直な意見だけに始末が悪い。
「うーん、それはね……」
「はい」
「だめだよ」
「……は?」
手で座ることをうながす。彼がゆっくり腰をおろすのを見て、おれはやさしく話しかけた。
「命をかけることは、思考停止につながる、とおれは思うんだ」
「……」
「命をかけた戦いなんて、よくあることだ。動物だって、ときに理不尽な賭命戦をする。だけど、それは、戦いの場でのことであって、計画したり、兵器開発や設計のときに、命を捨てればいいだろうと考えるのは、開発者や作戦立案者のすることじゃない。それは必ず、よりよい発明や作戦の進歩を阻害すると思うんだ」
「し、しかし……」
「君たちにひとつだけ覚えておいてほしい。命を捨てるとき、人は思考停止して、それ以上の進歩を生み出せなくなるってことをね。剣術だってそうだろ? 防御なしで斬りあって、そこにどんな技術が生まれると言うんだ? 自分が傷つかず、相手を葬ってこそ、技術と知るべし」
本当はその先に、戦わずしてことを収める、という境地があるはずなんだけどね……。今の彼らにはこうでも言わないと納得しないだろうし、仕方がない。
「ま、精神論はこれでおしまいだ。とにかく、君たちは今の話だけ覚えておいてくれ!」
若い二人は真剣な表情でうなずいた。
「わかりました」
「肝に銘じます!」
「うん、それでいい。……ところでさ」
おれは後ろの参観者たちに笑いかけた。
「とにかくこの件は海軍、いや帝国最大の任務を背負っていると料簡してくれ。だからみんなも協力してくれよ。それにな、おれは絵空事を話してるんじゃないぞ。ちゃんと進め方にも見当があるんだ。民間の優秀な会社にたのむ」
「……」
「まず、君たちは身分をあらためて特務班をつくれ。そして中島飛行機の中島知久平さんのところにいって、こう言うんだ」
「?」
「南雲がZ飛行機をやりたい、とね」
いつもお読みいただき、ありがとうございます。太田正一に関しては、資料などを読むにつれ、当事者の方の背負われたものの大きさがあまりに畏れ多く、仮名とさせていただきました。




