ヤマト発進!
●10 ヤマト発進!
あわただしく海図での確認作業をしていると、伝令の兵士が入室してきて草鹿になにかを伝えた。
「みなさん、航空隊の整列が整いました。甲板に降りましょう」
「草鹿なに?」
「長官!出番ですよ!」
「え?」
艦橋近くの甲板上に、勇ましい飛行服の兵士たちがずらりと並んでいる。航空服に身をつつんだた総勢百名以上の若い飛行機乗りたちだ。その中には飛行隊長の淵田や、板谷もいた。
「それでは長官、訓示をお願いします!」
「こういうことかよ……」
空はまだ明けきっておらず、水平線がうっすらと明るくなってきた。艦橋の上には、旭日旗や信号旗がはげしくはためいている。ここにいるすべての兵士が、おれの『訓示』を待ちかまえていた。
甲板後方にはすでに数十機の戦闘機が、プロペラを回して待機しているみたいだ。まだ出力はそれほどあげてないが、風もあるし、ちょっとは声を張らないとみんなに聞こえないだろう。
……おれってば、こういうのあんまり得意じゃないんだよなあ、これじゃまるで校長先生だ。あ、いまのおれって校長と同じか。
「おほん!」
草鹿が催促してやがる。
(……やるっきゃなさそうだな)
おれは覚悟を決めて、用意された三段の白い台にあがった。
よし、わかった。やってやんよ。
大きく息を吸って、おれは声を張りあげた。
「ヤマトの諸君!」
「ちょ、長官、ここは大和じゃなく、赤城です」
「わかってるよ草鹿!」
「は、はあ……」
「ヤマトってのは日本のことだろ、常識的に考えて!」
「はあ、たしかにまあそうですけど」
ふう、と力を抜いた。
ざっくばらんな感じに足を開く。
「やっぱり堅苦しい挨拶はやめだ。こんな大事な日なんだ。おれは正直に自分の考えをのべたい。おまえらもそのつもりで聞いてくれ」
みんな、なにを言い出すんだこの親父は、みたいな顔で目を泳がせている。
「大事な日、そう、今日はな、この上もなく大事な日なんだよ。わかるか?考えても見てくれ。今日は、日本の、いや世界の歴史に永遠に刻まれる日なんだ。十年後、二十年後、いや百年後も、いろんな本になって、おまえらの名前、言動、そのすべてが繰り返し、なんども語られることになるんだよ」
みんなが息をとめて背筋を伸ばすのがわかる。
「歴史は長い。そのうち、戦争は悪だ、なんていう日が来るかもしれない。でも昔はな、力の時代だったんだ。力のあるイギリスやフランスが船でやって来て、暴力で他の国を植民地にした。現地人を殺し、奴隷にして、その国の宗教や文化への敬意もなしに、ただ簒奪した。それが彼らのやり方だったんだ」
社会の先生だから、このあたりはお手のもんだ。
「今だってそうだぞ。彼ら西欧諸国やアメリカは、日本の隆盛を望んでいない。彼らは資源を禁輸して、兵糧攻めにすれば、おれたちが自分の非を認め頭を下げると思ってる。だけどな、どんな国だって、飢えたからと物乞いなんてしない。そんなことするくらいなら、戦う方を選ぶものなんだ」
現代で起こったテロや、紛争のシーンが頭をよぎる。ミサイルを発射して威嚇したり、空母を派遣したり。宗教と暴力のいきつく意地の混沌は、いつも市民を犠牲にしてきたのだ。
「これからはアジア独立の時代になるだろう。アジアの国々の文化、宗教が尊重され、それぞれの地域で文明を謳歌する時代になる。しかしそのためには、痛みをともなう決戦が必要なんだ。これは、アジアを代表する国と、西洋を代表する国の、雌雄を決する最初の戦いだ。そして、この戦いに勝って、新たな秩序を作った者だけが、自国の文化を守り、平和を維持することができるんだ」
ああ、いい感じになってきたぞ。
おれは自然にポケットに手を突っこんでいた。
「おれはな、もうこの期に及んで上官の命令だからとか、誰かのためにとか言わん。いいかおまえら、家族を思え。父母を思え。ふるさとを思え。そして、日本に住む大勢の人間と、この国の文化と歴史のために、おまえらが今までやってきた厳しい訓練を思い出して、それぞれの使命をしっかり果たしてほしい!ただしだ!」
どーんと、波の音がいい感じに響く。
「命は粗末にするなよ。戦いはまだはじまったばかり。おまえらには、やってもらうことがたくさんある。おれはな、人使いがとっても荒いんだ」
少しみんなの顔に笑顔が浮かぶ。
「いいか!無理はするな。無理せず、しかし確実に、敵を倒して見事帰ってこい。そんでもって、最後まで油断せず、敵を甘く見るなよ。着艦するまでが、作戦ですよ!」
いよいよラストスパートだ。
「もう一度言おう。ヤマトの諸君!諸君らは今からこの国の歴史の一ページとなる!新たな歴史は、今日、これから、おれたちがつくる!いいな?!」
最後問いかけ?と首をかしげそうになった瞬間、
「うおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」
あれ?なんか、壮絶に受けたんですけど(笑)
やっぱ雰囲気よ、雰囲気。
「ちょうか~ん」
草鹿が目をうるうるさせている。
東の空に太陽が昇ってきた。夜明けだ!
1941年12月7日6時未明、視界は不良。
しかも太平洋波高し。
その大きく揺れる甲板から、次々に戦闘機が飛びたって行く。合成風速十五メートル。スロットルレバーをひき絞ってまっさきに九七式艦上攻撃機で出撃したのは飛行隊長の淵田だ。
整備兵と敬礼をかわし、ライトグレーのゼロ戦に乗り込んだのは、板谷少佐。艦橋で双眼鏡をのぞくおれが見えたか、こちらに敬礼をすると、エンジンをふかして回転をあげていく。
レンズのむこうにおれは声をかけた。
「みんな、絶対やられるなよ~」
甲板では乗員が盛んに帽子をふっている。戦闘機が次々に南方へ消えていくなか、水上偵察機を含む一隊が、おれの特命を受け、反転して北の方に飛んでいく。タンカー、すなわち七隻の補給船団を呼びに行った連中だ。
六隻いるすべての空母から予定の全機が飛び立ったのは、二時間ほどあとだった。そして、ホッとしたのもつかの間、その約一時間後には、第二次攻撃隊が飛びたちはじめる。第一次攻撃隊の成果報告を待っていては間に合わないのだ。
やがて全空母群から、総勢三百五十四機もの戦闘機が、オアフ島各基地にむけて飛び去っていった。
「……あとは待つだけだな」
誰かがぽつりと言った。
艦橋にもつかのまの静寂がひろがった。
「午前八時に宣戦布告が届いたら、アメリカさん驚くでしょうねえ」
草鹿が目を輝かせて言った。
「……だといいがな」
もちろん、おれはそうならないことをよく知っている。
日本大使館はワシントン時間の十二月七日午後一時、ハル国務長官に「宣戦布告」の文章を渡すはずだった。ハワイとワシントンの時差は五時間だから、ハワイ時間では午前八時に、宣戦布告書を渡すことになる。
だが、そうはならなかった。
なぜなら前日の午後、日本大使館に大本営からの極秘の暗号文が届いたころ、大使館員は同僚の送別会に出ていたのだ。
そしてそのせいで、十四章にもわたる宣戦布告書の暗号文は、解読しタイプする作業が間に合わず、けっきょく午後二時半(ハワイ時間午前十時半)に渡されることになった。
それはもちろん、真珠湾攻撃がすでに行われた後ってことになる。
アメリカが、
(いまさら宣戦布告かよっ!)
と憤慨するのも無理はなかった。
むしろ、やらないほうがマシだった。
「よおし!このおれが宣戦布告してやる!」
「はあ?」
「小野っち!」
「はい!」
おれは小野通信参謀長を呼んだ。
「電信を打ってくれ。午前8時5分ちょうどにな」
「え?どこに打つんです?」
「世界に向けてだ」
「……!」
小野の人なつこい顔に緊張が走る。
「心配すんな、責任はおれがもつ!」
「……はい」
「中身はこうだ。アメリカ合衆国に宣戦を布告した大日本帝国の大命により、ただいまよりハワイ州の軍事基地を攻撃する。基地内の民間人はただちに退避され身の安全を確保されたし。ゼロハチゼロゴ、大日本帝国海軍、南雲忠一。これを英語に翻訳して三つの周波数、英語のモールスで公式チャンネルに打電してほしいんだ」
「英語のモールスですか。そ、そんなことしたら、奇襲が失敗します!」
「いや、大丈夫だ。本気かどうか疑ってる間にも攻撃が始まる。人間そんなに早く対応はできないもんだ。それにな、これで世界から日本は正々堂々、攻撃を開始したと世界の歴史に残るんだよ」
「本当にやるんですか?」
「やれ!」
「長官がそうおっしゃるなら……わかりました」
すぐに英語の達者な通訳が呼ばれ、おれのセリフが英訳された。
それを八時五分ちょうどに、三度打電させる。
案の定、電信には、なにも反応がない。
「大本営びっくりするだろうな。でもいいんだ。どうせあとでおれに感謝することになる」
そうこうしているうちに、ついに、第一次攻撃隊の攻撃が始まった。
(ト、ト、ト、ト、ト、ト、ト…)
「ト」というのは日本語の「トツゲキ」の意で、モールス信号では「・・-・・」という形になる。その連送であるトトト……が、今回の作戦での全機突撃せよの合図だ。
通信担当が受信内容を叫ぶ。
おれはすっかり明けた海を見ながら耳をすませた。
(全機攻撃開始セヨ!)
(水雷攻撃隊突撃します!)
(魚雷攻撃開始!)
お!最初に雷撃隊が突入するみたいだぞ。淵田飛行隊長、おれの指示をまもってくれたんだな!
(敵戦艦、8隻の接舷を発見セリ)
(水雷発射)
そしてついに、あのあまりにも有名な暗号電文が、淵田飛行隊長の乗る九七式艦上戦闘機から入ってきた。
(トラトラトラ!)
―ワレ奇襲に成功セリ
艦橋は歓声につつまれる。
(戦艦メリーランドに水雷命中!)
(ウエストバージニアに水雷命中!)
(戦艦アリゾナ水雷命中!)
その後も次々に攻撃の成功が入電されてくる。映画や記録動画で見た、あの真珠湾のシーンが目に浮かぶようだった。
「やりましたね南雲長官!」
草鹿がおれの手をとって泣き出した。
お前、泣き上戸かよ……。
通信参謀の小野は電文を書きおこさせて壁に貼っていく。
(爆撃隊攻撃開始セリ!)
(戦艦テネシーに徹甲爆弾命中)
徹甲爆弾とは、海軍が用意した今回の新兵器、戦艦の分厚い装甲を貫通して船体内で爆発する爆弾だ。
(基地戦闘機に被害甚大)
(敵反撃なし)
きわめて順調な入電がつづく。
(フォード島急降下爆撃!)
フォード島は真珠湾内海に浮かぶ島嶼で、相手基地は多くがここにある。
(ヒッカム飛行場爆撃!)
(ホイラー飛行場攻撃成功!)
この真珠湾攻撃では、第一次攻撃と第二次攻撃をあわせ、オアフ島を四方面にわかれた飛行隊が、真珠湾以外の飛行場なども同時に攻撃していた。
そして、どうやらそれらも順調に攻撃が進行しているようだ。
「いやあ、わが海軍は全く強いわい!」
大石主席参謀が叫んだ。
「しかし……宣戦布告はともかく、ふい討ちはやれて当たり前、これからが正念場です」
……お?だれ、冷静な反応。
航空参謀の吉岡だ。おれとキャラかぶってる忠一さん。こいつはできるな……。
勝ち戦ほど盛り上がるものはない。しかし、おれにはまだ懸念があった。
通信を聞きながら、やはりと思い、喜ぶ気にはなれなかったのだ。
アゴに手をやったおれは、ぽつりと言った。
「やっぱ、空母はいないんだね……」
その一言で、艦橋はしん、となった。
今朝おれが言ったように、この攻撃の主眼が敵空母の殲滅であることは、この場にいる全員の認識だ。でも、やはり史実の通り、空母に関する報告はひとつもあがってこない。
一時間もすると、今度は二次攻撃隊の無線も入ってくるようになった。
(カメオ飛行場撃滅!)
(格納庫爆撃!)
(戦艦アリゾナ沈没!)
(戦艦テネシー大破!)
(駆逐艦に水平爆撃命中!)
きっと真珠湾では壮絶な光景がひろがっていることだろう。
ご丁寧に二列になって八隻ならべられた戦艦が、水雷や水平爆撃を受けて大炎上をし、格納庫やその他の施設も、急降下爆撃隊の爆弾で大爆発をして、もうもうたる黒煙があたりを覆っていく……。
だが、しかし。
空母はいないんだ。
この時、空母エンタープライズはオアフ島の南西二百二十海里(約四百キロ)に、そして空母レキシントンはさらに遠く、ミッドウェーの近く、オアフからは約七百海里(約千三百キロ)の地点にいるはずだ。
しかも、それぞれに、最新鋭の護衛船団を連れている。つまり、この時、真珠湾で日本軍が調子にのってやっつけたのは、「旧型の戦艦」ばかりだったのだ。




