彼岸にて
目を開くと、私は赤い夕焼けの広がる海にいて、太もものあたりまで浸かっていた。
普通は砂浜の向こうに海の家とか車道とか鳶に注意みたいな看板があるものなのに、何もない。砂浜がどこまでも続いている。そして海もまた、どこまでも夕焼けに染まる赤い海が広がっている。
意識が戻るまでの記憶からなんとなく想像がついた。
ここが彼岸だと。
賽の河原で石を積むとか地獄の門で審判を受けるとか色々死後のエンタメは世界にあふれているけど、こんなものかと拍子抜けした。
赤い海岸でどこまでも一人。
夕焼けというシチュエーションは、ぽいなと思った。
夕方は相手の顔が見えづらくなる時間、ゆえに誰そ彼時とする黄昏時。もしくは魔物や災いに遭遇しやすいから逢魔が時とも呼ばれているから。
あの世とこの世の境目の時間で悪いものや幽霊と逢う時間。
『逢魔が時』という表記を見るたびに、何故「遭う」じゃないんだろうと思っていた。魔物や災いなんて事故同然だから。
でも幽霊も含まれると知って納得した。「逢える」で正しい。逢える時間。
もうこの世界では逢えない人と微かな繋がりを感じる時間。
この先に進んでいけば、死んだ人間に逢えるのだろうか。海の果てに行けばもう一度話ができるのだろうか。
私は海の水に触れる。冷たさはない。海のなかの足元はごつごつしてるイメージだったけど柔らかい砂の感触だ。
歩きやすくて私はそのまま砂浜に背を向け、海の果てを目指す。
穏やかな気持ちだ。休みの日なんてあってないようなものだけど、家のことを考えると鬱々としてくるので仕事について考えるようにしていた。
気が休まらない、適度な休憩をなんていうけど編集者として気が休まる瞬間なんてなかった。
毎日毎日、取りこぼさないように必死だ。
これは意味があるのかと自分の行動に自問自答しながら、それはやらない理由を探してるだけだと弱い自分を叩きつけてはパソコンに向かう。
そういう日々が終わる。
悔いのないつもりだったけど、もっとやりたかったと後悔が滲む。
別に毎日生きていたい、人生は素晴らしいと思ってるわけじゃないのに。
私は夕日を眺める。
死んだら、どこに行けるのだろう。死ぬときは走馬灯を見るというけど、あまり思いつかない。そもそも学生の頃は受験の思い出しかないし、それが終われば就職と正しい道を選んできたけど、正しさに意味なんてないと思い知るだけの消化試合だった。
編集者、向いてないと思う。
初めて担当した作家を思い出す。余命の少ない人間だったので、最終的にはその母親との対話が多かった気がする。もう少し私に編集者としてのキャリアがあったらと思う案件だった。
私は編集者として、ちゃんとやれていましたか。
確かめたくなるような相手だった。免罪符が欲しいのだ。だから役割や存在が欲しいし、与えられるんじゃなくて、掴める実感が欲しい。
ただ、作家守って死ねたらもう、いいだろう。人生。
そう思った瞬間、バチンと叩かれるような激痛が右手首に襲った。
「いっ……」
何事かと思えば骨ばった手が二本、私の手を掴んでいた。ぎりぎりと、握りしめるように。
青白さにこの世のものではないことがハッキリ分かる
ふり解こうにもほどけず、混乱する間に私は真後ろに引きずり倒され、水の中へと沈んでいった。
「荒破さん‼」
ゴボゴボとした水音と共に川の流れる音がする。同時にギャアギャア煩い感じの人間の声。こういう呼ばれ方大嫌いだ。うるさいから。なんなんだと目を開ければ、福爲、山田さん、漫画家、希乃ちゃんが私の顔をのぞき込んでいた。
教育テレビの導入みたいな景色だ。カブトムシにでも転生したのか私は。
「ここは」
起き上がると河原だった。四人全員賽の河原に直行したのか疑うけど、この河原は入村前に見たものと多分、同じだ。賽の河原にしては……狭い気がするし。
空はややピンクがかっている。
怪奇現象か朝焼けが区別できない。
「おそらく村と公道の中間部あたりでしょう」
山田さんが辺りを見渡す。
「あ……あの、ハイグレード四つん這いテケテケみたいなのは」
「姿が見えないんです……」
まさか流されたか?
いやでも相手は死んで恨みを抱え実体つきで動き回る怪異のスペシャリスト。
「でも多分なんですけど彼が……我々を運んでくれた気がして」
「運ぶ……」
「はい。どういう状況かはわかりませんが人が流されて同じ場所に流れ着くなんてまず無いんです。川……海もですけど」
山田さんは声を震わせる。海も、という部分に心なしか力が込められている気がして、安易な相槌は不誠実な気がして黙った。
「水に流された人間が同じ場所にたどり着けるなんて出来ない。だから……助けてくれたのかも」
山田さんが何かを堪えるように話す。
希乃ちゃんは何も言わず静かに聞いていた。子供は大人が考えるよりずっと幼くて聡い。
「なら、あのハイグレードテケテケはヒーローテケテケとしてこの山の主になるのかもしれませんね」
呟くと、漫画家が神妙な面持ちをしていた。彼女は下肢のない男の来歴を知らないので、突然カットインしてきた怪異認識だ。今度、打ち合わせで会社に来た時、話をしてみてもいいのかもしれない。
「でもやっぱり、山田さん生きてて良かったです。警察に色々話をしても絶対信じてもらえないだろうし、薬物疑われそうだし、私と福爲だけなら下手すれば先生と希乃ちゃん誘拐男女ペアで地上波デビューしちゃうところだった」
「ハハ」
希乃ちゃんの頭を撫でながら言うと、山田さんは乾いた笑い方をする。
私の推察は正しいらしい。
やっぱり変な村に行って誘拐疑惑濃厚行方不明女児と共に下山した会社員30代女性という字面、最悪すぎるし。
福爲の20代の男という肩書も最悪な感じあるけど、どのみち絶妙な「横に容疑者つくの時間の問題だろ」感がある。
でもまぁ、こんな怪しい状況で「怪異のせいなんですね!」と納得してしまう警察もそれはそれとして最悪なので仕方がない。警察は市民を守るのが仕事だし何かあってからは遅い。
それにしてもさっきから一度たりとも福爲が言葉を発してないのが気になった。
希乃ちゃんは元々静かな子だしこんな状況でペラペラ大人顔負けで話をしていたら心配になるし。
漫画家も同期の話を聞く分に静かで人見知りするタイプなので、今の沈黙は平常運転だろう。
でも福爲は違う。
私村で追われてる最中はアドレナリンも分泌されていただろうけど、いざ村から出てしまえばサークルの人間たちに思う所が出てきたのだろう。福爲は周りの人間が全員死んでしまった。こういう時、そっとしておくのがいいとされてるけど、放っておいてもろくなことにならない気がして、私は福爲の背中を叩いた。
「福爲しっかりしろ、どした」
声をかけるとぼんやり私を見ていた福爲は私を睨み返してきた。
「しっかりしろはこっちですよ。なんですかあれ、かっこつけちゃって。全員庇うみたいな……ハッ」
「は?」
馬鹿にするような言い方にカチンときて見返すと、山田さんが「まぁまぁ」と間に入る。
「それより……これからですよ。村の中は色々、おばけとかありましたけど……山の中となると熊が出ます。危険は続いていますよ」
本当にそれは危ない。
というか怪異はお神酒と札が効いたけど熊に対して人は無力だ。
私たちは気を引き締めて下山することにした。
彼岸の脅威から此岸の脅威に目を向けて。




