身捨輪様の誕生
思わずお神酒を滑り落としそうになるが、ぐ、とお神酒を支えるように黒い靄がかかる。
老婆の抱える髪の毛のような黒い靄とは違う、煙のような黒い靄だ。
『儀式を嫌いますか』
声が出なかった。
振り返ることも出来ない。
背中に何か、絶対に見てはならない、悍ましいものがあることだけが、空気で分かる。
静かにうなずくと、シャラン、と神楽鈴が響く。
次の瞬間、テレビのチャンネルが切り替わるみたいに福爲を取り囲む景色が変わった。
すべてがモノクロの、古いテレビを見ているような色調の中、さきほどの三途の間の見所に福爲は立っていた。
舞台の傍には宮司のような人間が囲い、その周囲では神楽鈴を用いて若い女が舞い踊っている。
やがて、舞台に向かうようにゆっくりと、白装束を纏った一人の女が歩いていく。
「私がみしゃわ様になります。私が、永遠に、美しく、皆の象徴となる、神様になります」
声高々に叫ぶ女に、周囲はざわめいた。
「私は永遠になるの。永遠に、永遠に、永遠に、永遠に」
そう言って女は短刀を取り出すと、傍にいた宮司の喉を突いた。
返り血が飛び散り、それがかかった周囲の人間はざわめく。
女はそのまま高笑いをしながら、周囲の宮司や若い女を刺し始めた。
「私、嫌。こんなところから身を投げて、ぐちゃぐちゃにされて死ぬなんて。死に方は自分で選ぶ──私が──みしゃわ様になるの‼」
女は宣言し、自分に短刀を突き立てた。
残った宮司たちは顔を見合わせる。
「あの女を彼岸に流せ」
見所ですべてを見届けていた老翁がひとり立ち上がった。
「途川様……‼ しかし、奉納娘子は清らかでなければ」
「詫びだ。頭を下げさせ堕とせ。何がみしゃわ様になるだ。ふざけたことを」
途川と呼ばれた老翁の命令を受け、宮司は凶行に及んだ女を担ぐと、言われた通りに穴に落とした。
ぐしゃ、と生々しい音が響く。
「途川の面汚しが」
老翁は吐き捨てるように言うと、隣にいた侍従らしき男に声をかけた。
「奉納娘子は他薦のみとする。このようなことがあっては、三沙輪様に示しが付かない」
「はい……今後は……?」
侍従が周囲を見渡す。辺りはうめき声が響き始めた。人のものではない、男女とも分からぬ低いうめき声だ。辺りに黒い靄が立ち込め、やがて地響きと共に舞台の穴から黒い液が噴き出た。周りにいた宮司や舞い踊っていた巫女は黒い液に飲み込まれていく。
「あれは、一体」
「途川様、逃げましょう、祭祀は失敗したのです。三沙輪様はお怒りになられています」
「ありえぬ、三沙輪様は贄の献身に涙を流し雨を降らすのだ。怒りなんて感情持つことは無い」
「……は?」
侍従は戸惑う。
「ああああああああああああああああああああああああああああ」
互いが二の句を紡ぐ前に、広間に絶叫が響いた。
穴の奥底から噴き出た黒い靄の中から、顔を引き潰された女が現れた。自らの顔を覆いもだえ苦しむ女からは無数の黒い靄が這い出て、その靄に触れた人間は次々同じように苦しみ倒れていく。
一歩一歩、よろめきながら女は進む。そしてふと、足元に落ちた鏡を拾うと、動きを止めた。
再度、辺りを切り裂くような声で絶叫し、髪を振り乱しながらその場で身体を揺らし続ける。
老翁は言った。
「宮司に告げろ、顔を札で塞ぎ。もう一度彼岸に落とせ」
「え──」
「それしかない。あの女を落とした後、出てこないよう周りの亡骸も穴に落とせ」
「しかし──」
「そうするほかない」
老翁の命を聞いた周囲が暴れ苦しむ女の顔に札を貼りつけていく。
何度も、何度も、何度も。
そうしてまた女を落とした後、周囲の亡骸も落としていった。
「こんなこと……これから、この村は……」
侍従は訊ねる。
「問題ない。成るようになる。輪は──縁起物だ。きっと、穴の中で輪になる。問題はない」
老翁は何度も「問題はない」と繰り返す。
そこでふっと映像は途切れ、景色に色が戻っていくのを感じたかと思えば、景色は三途の間ではなく、廊下に変わっていた。
さっきの映像は、三途の間。
女が出てきた穴は、堀井ユリが落ちた穴と、同じ。
あそこから顔の潰れた女が生まれ、それが身捨輪様ならば。
このお神酒を使いあの女を滅することが出来れば、この村の怪異は、終わるのでは。
思ったのもつかの間、背後から「福爲―?」と声がかかった。
福爲は振り返る。目の前にいるのは、いつも通りの辺見ハヤト。
この異常事態でも、何も変わらない。
福爲は意を決すると、辺見ハヤトから逃れるように走り出した。




