キャスティング
昇降機の下。
それはおそらくこの山の出口だ。荒破翼を探しに行く……そういう目的なら分かる。
こうして戻ってきたということは、足手まといの自分を見捨てる気も無かったのだろう。
でも、どうして。
堀井ユリは手のひらを握りしめる。
「何で、連れてきちゃうの……⁉」
こんな危ないところに。
老婆は危険だと荒破は言っていた。
荒破は助けようとしてくれていた。辺見ハヤトが老婆から荒破を探しに行ったのなら、少なくとも荒破と老婆は繋がっていないし、恐ろしいものは老婆の案内した屋敷で見た。
荒破は危なくない。
辺見ハヤトは小さな女の子を連れてきた。
それは頭のいい辺見ハヤトならば分かっているんじゃないだろうか。
辺見ハヤトは「雨降ってたし」と言う。山の中、雨、だからここに連れてくる。正解だろう。
でも、でも、でも、と非常事態を知らせるベルが響く様に、堀井ユリの心はざわめく。
「あの、荒破さん、いるんですか……」
公務員がおそるおそる口を開く。
「荒破さん……?」
「えっと、助けて頂いて……お婆さん……の姿をした、方に、追われて、荒破さんがこの子を預けて、その怪異を引き付ける形で山に走って、助けてくださって、あの、み、見たんですか、荒破さん」
公務員はしどろもどろに訊ねてくる。朝バスで会ったおどおどしつつも落ち着いた調子とはやや異なり、冷静さを欠いていた。
「い、今さっき」
呟くと、公務員は露骨に安堵した顔をした。「良かったぁ」と泣きそうに言葉を漏らす。
ぞっとした。
女の子を助け、おそらく公務員も助けた荒破を置いて、自分は逃げてしまった。
堀井ユリは自分が走ってきた道を振り返る。廊下の奥は闇に続くように暗く、何も見えない。
そこから何かやってきたら恐ろしいのに、どうか荒破が走ってきてくれないかと願う。
自分は平野マナだけでなく荒破まで殺した。
そんなわけないと思いたいのに、昼間、平野マナを突き飛ばした感覚は手のひらから二の腕、力を込めた肩まで鮮明に記憶していて、消えない。
「じゃあ、とりあえずちょっと休憩できるようなところ行きましょうか」
辺見ハヤトはサークル活動のように仕切る。
前に辺見ハヤト、堀井ユリ、後ろに女の子を連れた公務員が続く。
「西ヶ住希乃ちゃんヤバくない?」
辺見ハヤトが堀井ユリの肩に触れながら耳打ちしてきた。生ぬるい温度に嫌悪感が湧く。今まで不愉快に思ったことなどないのに。
「や、ヤバいって何が」
「フック」
辺見ハヤトは公務員に聞こえないよう気をつけながら、さも当然のように言う。
「なんでそんな」
「落ち着けって、どした? いなくなった後、なんか怖いめにあった?」
辺見ハヤトは、こちらを心配している。言葉では分かるが、目と耳と肌がそれを否定する。
文字だけなら、脚本だけなら心配していると理解できる。
でも途方もなく、表情も、声音も、纏う空気も、異なっていた。
今この男は誰の心配もしていない。
後ろで周りを怖がりながら、女の子や荒破を心配する公務員の空気と何もかもが違う。
「……」
堀井ユリは何も言わなかった。確かめたいことは沢山あったが、何を言っても辺見ハヤトに届かないという確信がある。
「ってかさ、良かったじゃん」
黙っている堀井ユリに辺見ハヤトは話し続ける。
「なにが」
「だって、このままだと堀ユリネットとかで平野マナを殺したって言われてたかもでしょ。大学生が水難事故にあったり山で遭難とかわりとありふれてるけどさ、万が一があるし。でも希乃ちゃんいたら、そういう話題流れるでしょ。ネット」
その通りだった。
辺見ハヤトの言う通り。
自分は平野マナを殺した。助かったところで、自分は人を殺した人間として取り扱われていく。
父親も母親も、失望するだろう。
そして失望すると考えている自分は、罪と向き合えていないのだろう。
平野マナの両親はどう思うのだろうか。家族の話をしたことがないので分からない。
「っていうか、希乃ちゃんいなくても、化け物のせいに出来るし。鉈の男いたでしょ、あいつ」
鉈の男、辺見ハヤトを襲った、生きているのか化け物かも分からない、なにか。
平野マナは井戸の中にいる。黙っていれば恐ろしい化け物が殺したせいになる。
そうすれば、堀井ユリは今までの生活に戻れる。
黙っていれば、怖いことは起きない。
「危ない‼」
低い声が響いた。後ろの公務員の声だと理解する前に、目の前に異形の存在が現れる。下肢のない男が壁を突き破り、辺見ハヤトと堀井ユリの間に現れた。
下肢のない男は辺見ハヤトと堀井ユリや公務員たちのほうを見比べるように動くと、堀井ユリたちのほうを追ってくる。
「こっちへ‼」
突然のことで動けないでいる堀井ユリの腕を公務員が掴んだ。そのまま引きずられるように下肢のない男から逃げていく。
振り返ると、こちらを追う下肢のない男の後に、辺見ハヤトの姿が見えた。
辺見ハヤトは、カメラを向ける。
事故現場、被害者に関心もなくその様子をカメラにおさめる通行人のように、無機質な目を堀井ユリたちに向けながら。




