残りの札
私は金属バットを見る。
お札の焦げは先ほど福爲を追い回していた髪をフルスイングしてから、何も変わってない。
あと三回ほど殴れる。
お神酒は漫画家に取っておく。老婆が怪異と断定できた瞬間、バットでいく。
平野マナが現れたとき、これで殴るのは気が引けるが……。
「じゃあ、何かあったら言って」
私を先頭に、堀井ユリ、福爲と並んで書庫を出る。出会い頭に老婆がいたらどうしようかと思ったが、そんなこともなかった。
私は漫画家を探す。堀井ユリと福爲は辺見ハヤトを探す。生贄にされているであろう漫画家は危険なところにいるだろうから、二人は辺見ハヤトを発見したら三人で下山してもらいたいところだが……おそらくサークルで行動していて、橋本ヒロキ、平野マナと犠牲者が出ている。チームとして問題があるのかもしれない。大学生だけで行動させるより、漫画家の捜索に同行させたほうが大学生たちの生存率をあげるかもしれない。
「あの、お札……」
堀井ユリがバットを見る。
「あー、これで殴ると、化け物に効くっぽくてさ、貼った」
「貼った?」
「うん。殴るとこんな風に焦げる? だから呪いのお札貼ってるわけじゃないよ」
半分焦げて減ってる札は、傍目に見れば何かの呪いを感じて怖いだろう。
フォローするけど、堀井ユリは怯えた顔だった。
「ほ、ほかにお札は」
「ない」
「え」
堀井ユリが愕然としている。
「なんで」
「いや……」
堀井ユリは視線を落とした。何かあったのだろうか。不思議に思っていると、彼女は「お神酒とか……」と話を改めた。
「ああ、お神酒は……」
言いかけて、堀井ユリが私の背後をじっと見つめていることに気付く。
堀井ユリはじりじりと後退し始めた。福爲は動けず、堀井ユリと同じように一点を見つめている。
この反応は見覚えがある。平野マナを相手にしたときと同じだ。
人間に対するものじゃない。
私は振り返りざまに金属バットをフルスイングした。しかし思い切り空ぶりをして、バットは木造の壁を突き破る。
下肢のない男だ。どうりで手ごたえがない。堀井ユリは「キャアアッ」と悲鳴をあげ、廊下を走って逃げていく。福爲は立ち尽くすばかりだ。
丁度いい。下手に近いとバットを振ったときに当たる。
下肢のない男は腕の力だけでこちらに飛び上がってきた。私は壁に突き刺さるようなバットを足の力で引き抜きながら、下肢のない男に構えるが、下肢のない男はそのまま突っ込んできた。勢いのまま壁に押し付けられ、私は一度力を抜くと身をひるがえして下肢のない男を壁に押し付ける。
「なんなんだよてめえはよ、儀式が目的か、お前の目的はなんだ」
体重をかけるようにして私は下肢のない男を壁に押し付ける。男は答えない。顔はすべて潰されたあと、自然とふさがったような状態なので口がないが、それでも意思表示はできるはずだ。下肢のない男は首をぶんぶん振りながらこちらを殺そうとする勢いで迫ってくる。
「侵入者だと思って排除にかかってんのか。だとしても殺そうとすることねえだろうがよ」
平野マナを誰が殺したか分からない。
この下肢のない男がやったのかもしれない。
下肢のない男の手記には「やめてって言ってもやめてもらえない」とあった。生活の日記ではなく、孤独の記録だ。
「おい」
私が顔を近づけると、下肢のない男はぐるん、と身を逃すように壁を伝い、堀井ユリが走り去っていった方角に向かっていく。
「おい!」
私は思わず声を上げ、そのまま追おうとする。しかしそれまでこちらを黙って見ていた福爲が「待ってください」と止めてきた。
「なに」
「追うんですか」
「うん。なんで?」
「なんでって……だって堀、逃げたんですよ、こ、こっち、見捨てるみたいに」
福爲は私を信じられないものを見るようにする。
戦闘中、確かに堀井ユリは逃げた。怖かったのだろう。
「まぁ、別に仕方ないんじゃない? っていうか福爲も逃げて良かったっていうか、追わなくてよかったの? 戦ってる間」
「いや……」
福爲は迷うように言葉を濁す。発言を選んでいるというより、今から選択肢を与えられたみたいな言い方だった。
■■■
堀井ユリは暗い廊下を駆けていた。
速く逃げなければ殺される。
あの場から離れなければ。
そうして足を動かすも、季節は夏だというのに身体のすべてが寒くて、関節からガタガタ震えて上手く走れない。
いつもこうだった。
堀井ユリは暗い廊下を駆け抜けながら思う。
自分はいつも、終わりのない道を必死で走っている。
父親と母親はユリを可愛がっていたが、あまり甘やかして育てていると協調性のない子になっていじめられるよ、という自分たちの両親の助言を受け、「ちゃんと周りの人の言うことを聞いてね」「自分がされて嫌なことを人にしちゃだめだよ」「相手の気持ちを考えてね」という三つの指針をもとにしていた。
親の言う通りにしていれば怒られることもなく、周りのひとを観察して、先生の言うことを聞いていれば怒られることはない。自分と友達、そしてその母親同士でファミリーレストランでメニューを選ぶときも、友達が悩んでいるものを選んで半分こすれば母親は喜ぶし、友達も喜ぶし、友達のお母さんも喜ぶ。
あとはニコニコ笑って挨拶をしていれば大丈夫。
怖いことは起きない。
そう思っていた堀井ユリだったが、小学校に入り変わった。




