起死回生
辺見ハヤトには勝算があった。
老婆は辺見ハヤトと堀井ユリを本殿に案内するまで、殺そうと思えば殺せたがそうはしなかった。
もし自分が老婆だったら。
死体を運ぶのは大変なので、なるべく死体置き場に近いところで死んでもらうだろう。生贄として必要なのはおそらく女。女の堀井ユリが重要なだけで、男はそこまで必要がないはずだ。橋本ヒロキは騒いでいたし、村の習わしである、みしゃわ様に無礼なことをしないという習わしを破ってそうなので、殺された可能性が高い。ならば老婆に有益な男であるかぎり、残される。
同時に老婆が怪異を引き起こし、辺見ハヤトたちを村から出られないようにしているのであれば、野放しにしても村から出られないと分かっているはずだ。
保育園や幼稚園で、塀があり出られないことが分かっているからこそ、外で遊ばせるのと同じように、管理された箱庭の中でなら、自由行動は許される。
その構造を利用すればいい。
祭壇の間に到着し、大扉に手をかける。老婆が開いたとは思えないほど重い扉に体重をかけながら開くと、ふわっと冷たい空気に包まれた。
祭壇は相撲の土俵のような、能楽の舞台のような大掛かりなものになっており、中央の天井と床に大穴があいていた。老婆は穴の目の前に立ち、ゆっくりと辺見ハヤトに振り返る。
「ああ、これはこれは」
「入ってもいいですか?」
「どうぞどうぞ。ぜひご覧くださいませ」
老婆は手招きしてくる。
「扉重くないですか」
舞台には上がらず問いかける。
「ああ、今入られたのは観覧者の扉ですので。私は準備や後始末の裏方仕事を担うものですから、出入りは別の道がございます」
老婆はふっと笑みをこぼした。
「あの、僕たちと一緒に村に来た編集者さんいるじゃないですか。あの人が福爲……サークルの人間がついて行ってるみたいで、呼び戻したいんですけど昇降機使って探してきてもいいですか」
「ああ、それはそれは、ぜひお使いくださいませ。丁度、稼働中ですので」
「ありがとうございます──あ」
辺見ハヤトはあくまで思い出したことを装うように言う。
「蔵に、女の子がいるんです。堀ユリっていうんですけど、暗いの怖いみたいで。ちょっと、気を付けて見ててもらっていいですか?」
「はい。確かに承りました」
老婆は歯茎をむき出しにしながらも、うっとりとした調子で笑みを浮かべる。
これで堀井ユリの逃げ道は潰れた。勝手に逃げることもない。老婆が殺してくれるならそれはそれで楽だ。
自分たちを村から出られないようにしているのが老婆という予想は、正しかったのかもしれない。出られる出られないが分かっていないまま昇降機を使わせるのはあまりに馬鹿だ。老婆は辺見ハヤトが逃げられないことを分かっているからこそ、昇降機を使わせた。その推論が現実味を帯びてくるならば、老婆は怪異的な存在と言える。
そして生贄の名簿にあった苗字、三戸志保。
老婆は三戸志斐と名乗っていた。血縁関係にあるのだろう。
辺見ハヤトは思い切って問いかけてみることにした。
「あの」
「なんでしょう」
「お婆さんの名前は、三戸志斐さんですよね」
「ええ、そうでございます。覚えていてくださったのですね」
「人の顔と名前覚えるの得意なんです。へへ。それでなんですけど、三戸志保さんって、親戚の方ですか? お名前似てるなーと思ったんですけど、さっき、本で読んで」
生贄名簿とは言わなかった。さすがにそこまで踏み込むとどうなるか分からない。
「娘でございます。自ら村の為に尽くすことを選びました」
「へー。どんな娘さんだったんですか」
何の気なしに問う。親子ものや親子愛はエンタメの感動ポイントとして外せない。
しかし老婆は首を傾げた。
「娘は娘でございますよ。親孝行の良い娘です」
まるでそれしか選択肢がないかのような口調だった。エンタメでは見ない、いや──最近はよく目にする、歪な家庭を感じさせる言葉だ。
ノイズにしかならないから、これは今後の展開次第ではカットかな。
辺見ハヤトはすぐに話をやめ、「いいっすね~」と橋本ヒロキの口調を真似しながらその場を後にする。
昇降機にはすぐに辿り着いた。一人だと歩きやすい。堀井ユリと歩いていた時は、ダラダラしたペースに合わせるのが苦痛だった。英語のラーニングや就職書籍のオーディブルを聞き流す以外で、ゆっくり歩いでも何の意味もないのに。
舞台装置みたいだな、と思いながら辺見ハヤトは操作し、ふもとを目指す。
使ってしまった札を、手に入れたい。
荒破を見つける途中、怪異に出くわしたらと懸念がよぎるが、じっとしているだけでは何も得られない。それにこの村の怪異ならば老婆側についていれば問題も無いだろう。
今、安全なのは自分だ。
荒破は札を持っているが、怪異がある限り安全ではない。去られる前に捕まえる。
荒破の元に福爲がいるが、福爲が何を言おうと言いくるめられる。
いつもそうだった。これからもだ。
確信をもって辺見ハヤトが歩みを進めていると、雨が降ってきた。思わずため息を吐く。こういう時、橋本ヒロキは舌打ちをするので不愉快だった。
死んだ人間が、怪異になったら。
橋本ヒロキや平野マナは化けて出てくるのだろうか。
そうしたら、怪奇現象や心霊映像としてネタに出来るが、これからはAIが主流になる。ともすれば、本物の心霊映像だって、偽物とされるだろう。
売り方を考えなければいけないと模索していれば、雨音に交じり視界に何かが遮った。
雨は霧雨程度で進行に問題はない。
カメラのレンズに水滴を垂らして邪魔だ。
レンズ越しの視界に、女が映る。
水滴でぼやけながらも、やけに鮮明だ。
平野マナなら、掴みかかってほしい。見せ場になる。
辺見ハヤトはじっと相手の出方を待つが、雨の中に紛れるように消えた。
仕方なくカメラのレンズをぬぐう。その瞬間。
視界の真横に長い黒髪の女が現れた。
肌が真っ白で、皮膚が魚のようにぬめっている。
女の手は真っすぐに辺見ハヤトの首を狙い、思い切り締め上げた。長く伸びた爪が薄い皮膚を割く様に食い込んでくる。
握りしめたスマホで殴りつけようとして、データが飛ぶ危険を感じ躊躇う。
あと少しで、意識が飛ぶ。
何も果たせず自分は死ぬのか。
まだ何者にもなれていないのに。
意識が飛びそうになったその瞬間──、
「だ、大丈夫ですか⁉」
雨の中、肩を叩かれハッとする。
振り返ると、小さな女の子を抱えた冴えない男が心配そうに顔を覗き込んできた。
バスで一緒になった公務員だ。小さな女の子を抱えている。思わずスマホのライトを向けると、男はまぶしそうにする。
辺見ハヤトの首を絞めていた女はどこにもいなかった。
先ほどの女は、幻覚か。
辺見ハヤトは周囲を伺うが、女の姿は見えず、また、公務員の男も女を認識しているフシはない。
まるで辺見ハヤトがぼうっと立っていて、それを見かけたような振る舞いだった。
「あ、あれ、バスの……」
男の抱える女児の背中には、荒破翼の持っていた札があった。
「あの、もしかして荒破翼さんのお知り合いですか……」
弱々しい調子で声をかけると、男は「え、あ、ご存じなんですか⁉」と食いついてきた。
「ええ、サークルで今宿に泊まってるんですけど」
「あ……」
男は何かを察したらしい。何か考え込んだ後「危険なんです」と続けた。
「この村は、今、なにかおかしなことに巻き込まれているんです。なので一緒に下山しましょう。どこか抜け道があれば、出来るはずなんで……」
札を持っているのに、抜け道があるというのは何故だ。
辺見ハヤトは昇降機の位置関係を逆算していく。
おそらくこの地点は、村の出口……来た道を戻るようになるという境目のすぐそこだ。
この男は、札を持っていれば下山出来ることを知らないのか?
どう考えても、男はあともう少しのところで出られる位置にいる。
それでも『抜け道』という理由は?
札を手に入れる前に、村から出られないことを知り、札の効果を知らぬままに札を手に入れ、村から出られない前提を持ってそれでも脱出しようと足掻き、奇跡を起こす直前だったのでは。
脱出困難だと思っていた村を、脱出する奇跡。
素晴らしいエンターテイメントだが、成立させるにはまだ見せ場が足りない。
辺見ハヤトは口角を上げた。
「抜け道、知ってます」
「えっ⁉」
男は驚く。
「一緒に来てください。小さい女の子もいますし、暗いですから、昇降機があるので、使ってください」
「でも……」
公務員は悩んでいる。
もう時刻は20時。職業倫理的にも小さな女の子を連れまわすのも気が引けるはずだ。
「というか、そちらの女の子って……娘さんですか?」
「え、いや……」
「こんにちは、辺見ハヤトって言います。大学生です、君、お名前は」
辺見ハヤトは警戒心を解きほぐすように問う。すると女児はゆっくりと口を開いた。
「にしがすみ、きのです」
辺見ハヤト女児に向かって笑みを浮かべる。
思い描いた展開を超えた興奮を、必死に殺しながら。、




