蔵の中の化け物
もう外は日が沈んできている。早く出たい。立っているまま貧乏ゆすりをするようにかかとで床を叩いていると、ふっと屋敷の敷地にある蔵の扉が開いているのが見えた。
荒破か、橋本ヒロキか、老婆か。誰でもいい。誰かいるなら好都合だ。
堀井ユリは老婆を警戒していたが、老婆は確かに堀井ユリを心配していた。あれは女性が女性を守ろうとする、美しい慈愛のように思う。母に感じたことは無いけれど、母性に近いもののはずだ。
あの優しさは、偽りなんかじゃない。
いったん確認しに行こうとすると、福爲が戻ってきた。自分のぶんのリュックに、橋本ヒロキと辺見ハヤトの荷物、撮影機材まで持っている。嫌気がさした。
「撮影機材はもういいよ。ヒロキの荷物もいらない! また鉈の男みたいなのにに追いかけられたらどうするの⁉」
「でも」
福爲はどもる。またこれだ。被害者の雰囲気を出してくる。まるでこちらが加害者だと無言で示すように。
「福爲なんにもできないじゃん。さっきだって辺見先輩が襲われてるの見捨ててさ」
「いや……」
福爲は否定しない。「そんなつもりなかった」、と言えば違うのに。そうしたら納得できるのに。
「蔵開いてるから見に行こう」
「え」
何度も聞いた、福爲の「え」に、ぐっと拳を握りしめる。もう嫌だ。この男とは理解し合えない。
平野マナは無視して蔵に進む。福爲が付いてくるが、それすら不愉快だった。
憤りを発散する足取りで、平野マナは扉の前に立つ。一瞬福爲を振り返ると、撮影機材は置いてきていて、身軽だった。言う通りにするなら最初からもっと考えて行動すればいいのにと平野マナは福爲を睨みつけてから扉に手をかける。
重たそうに見えた扉は、やけに軽かった。
都会の暑さと比べ、田舎の暑さは柔らかい。空気は軽いと聞いていたけど、扉の奥からは妙に重い空気が流れている。
部屋の中の窓が開いているなら、この空気の流れは正しい。でも、まだ扉を開けてもいないのに、部屋の中に窓があるか疑わしかった。根拠なんて微塵もないのに。
しかし背後の福爲は、ぼんやりとしていた。その顔を見て、覚悟が決まる。
私は動く側だ。逃げない。
平野マナは、意を決して扉を開いた。
中は薄暗く、鉄臭い。心なしか甘ったるい臭いもする。既製品の安っぽい香水の匂いだ。不衛生で、両親が同じ場にいたら黙って立ち去ろうとする臭い。
そして平野マナの直感通り、部屋の中には窓がない。暗くて部屋の半分以上が見えない。平野マナは通信が遮断され続けているスマホのライトを点けて、部屋を照らした。
「……ぁ」
声が出なかった。
異常事態に直面していると本能的に分かるのに、脳が理解を拒む。
目の前には人の死体で作られた輪があった。死体のような、ではない。確実に死んでいる。
残酷な輪。老若男女問わない、人間の右の手のひらを、別の人間の左足の足の裏に繋げていって出来た輪だ。着ている服もバラバラで、さっきまで普通の日常を過ごしていた人間が、ある日突然こうなったということがありあり分かる輪だった。その輪を中心にするかのように、真っ黒で長い髪のようなものが、南泰生物のように蠢いている。そして、輪の一部に橋本ヒロキの姿があった。
この世の苦痛をすべて味わったかのような、壮絶な死に顔だ。
「この人って……」
福爲がようやく反応を示した。
この村に長くいてはいけない。
早く荒破翼を殺してでもいいから札を奪って出なければいけない。
荷物なんて取りに行くべきじゃなかった。荷物を捨ててでも逃げるべきだった。
平野マナはすぐに蔵を飛び出した。後ろから福爲が追うが、さらにその背後を黒い靄が追う。
輪の中で蠢いた髪の毛が追ってきている。
平野マナは屋敷の中には戻らず、建物を回るように辺見ハヤトたちのいる門を目指す。
しかし、走りながらとある考えがよぎった。
このまま辺見ハヤトや堀井ユリを巻き込み、黒い靄から逃げることが、果たして正しいのだろうか。
逃げ切れたとしても、荒破を見つけたとしても、札は四枚。
荒破をどうにかできても、札は四枚。
橋本ヒロキは死んでいる。必要な札は四枚。
でも辺見ハヤト、堀井ユリ、自分、荒破で四枚という計算であれば、荒破から奪わずに済む。
奪うより、譲ってもらうほうが入手難易度はぐっと下がる。
「福爲こっち!」
平野マナは踵を返し、福爲を屋敷を屋敷の中に促す。そのまま建物内を横に突っ切るようにした、福爲は無言でついてくる。焦った顔をしているが、もうそんなことどうでも良かった。
屋敷は、周囲より少し高めに位置している。だからこそ塀に囲われているが、どこか崩れている場所があったなら。平野マナは祈りながら懸命に駆ける。
福爲は、ここで死んでもらう。
今まで役に立たなかったのだから、ここで役に立ってもらう。
なんでいるのか分からなかった映像サークルに参加した意味は、ここにある。
一生懸命走ると、ついに見つけた。塀が崩れ、山道に繋がってしまっている抜け穴が。
「福爲こっち!」
平野マナはそのまま福爲を屋敷の塀に囲われていない、山道のほうへ突き落とした。
走ってきた勢いのまま、福爲は落下していく。蔵の中の髪は、福爲を追うようにして流れていった。
やった。
平野マナは呆然としながら落下していく福爲と髪の毛のような悍ましい集合体を見送る。
自分は、自分に出来ることをしただけ。
辺見ハヤトや堀井ユリでは出来ないことをしただけ。
誰かがやらなくてはいけなかった。
平野マナは振り向くことなく、辺見ハヤトや堀井ユリ──サークルの仲間たちのもとへ駆けて行った。




