希乃ちゃん
「ハー……ハー……」
老婆が扉にピタリと張り付いた。こちらの出方を伺っているのか、よく分からない。しばらくしてから、老婆はガサガサと草むらをかき分けるような音をたて、遠ざかっていく。
山田さんは動かない。
こういう時、気を抜くとドン、と出てくるのがホラーのセオリーなので、注意深く伺い、しばらく待ってから物陰の隙間を伺う。
老婆は木々の隙間に潜むようにして、どこかへ去っていく。
私は自分の唇に人差し指をあて、静かにするよう山田さんに伝えつつ、頷いた。山田さんは一瞬目を閉じ、気の抜けたそぶりをする。
「あの老婆です。三戸志斐を名乗って、みしゃわ様が鏡は駄目とか言って、村の中央にある屋敷に、大学生を案内してたの。生きてるか死んでるか、霊感がないので怪異かどうか分からず、殴りづらいんですけど……」
老婆の姿は死んでるのか死んでないのか判断が付かない。山田さんは、「バットで殴っちゃいけないですけど、危険な高齢者であることは確かですからね……」と、不安そうに言う。
「それに、中央の屋敷は、三戸さんの屋敷じゃないですよ」
「え」
「村の中心なので、それこそ途川家の屋敷です。三戸家の屋敷ではありません」
「え」
山田さんはさも当然のように話す。じゃあ何。あの三戸志斐老婆は三戸志斐じゃないかもしれない中で、さらにその三戸家管轄ですらない屋敷を勝手に使ってるってこと?
「じゃあ途川家の屋敷は、なんなんですか。今の所有者は」
「その……五十年前の事件で途川家の人間が死んだ後に、この村に住んでいた途川家の人間は死んでるんですよ。戸籍を辿れば村を出た血縁に行き当たるはずなんですが、災害等で、電子管理ではない時代に起きた災害の影響もあり、追いきれていないところがあるんです。現場が制度と噛み合わない面もあり……生きている人間の命や生活に関わる分も、どうしても手が回りきってない現状があるので」
「でも、仮に三戸の血筋の人間であっても、そして途川家が相続人を見つけられずその辺がアバウトになっていても、五十年前の死亡者である三戸志斐を名乗り、屋敷を勝手に大学生に開放していた場合、罪になる可能性は」
「まぁ、不法侵入は……でも、大学生の場合、お婆さんに騙されたのであれば、議論の余地はありますが、荒破さんは不法侵入ですよ確実に」
「はい。罪は認めますけど……老婆も不法侵入ですからね。というか国でアバウトになっているということは、万が一の可能性で途川家の人間は村の外にいて生きながらえていることも、否定できないですよね」
私は山田さんに問う。
「まぁ、行政としては追い切れてないので否定できません」
「この村に向かっていなくなった漫画家が、山田さんと同じ地図持ってるんですよ。それも、実在の村なので注意してくださいって、注釈もついてる。真面目な人で」
「はぁ……」
「地図どこで手に入れたか、実在の地図を使うかどうか気になる漫画家か、不法侵入するかなっていう、疑問があって……この村にルーツがあるのかも」
あくまで可能性の話だ。でも現住所がこの此彼村の近くなら、無闇な邪推でもない。
ただ、途川の人間だった場合。
三戸を名乗る老婆が途川の屋敷を勝手に使っている時、漫画家が現れたらどうなるだろうか。
「漫画家はあの屋敷にいるのかもしれない」
「え」
「いないほうがいいんですけどね。いたら、ただでは済まなそうですし」
私は小屋を出た。次の瞬間──、
ぺと、と生ぬるい感覚が太ももの側面に触れた。
周囲に老婆の姿は無い。
おそるおそる、下に目を向ける。
黒い眼玉二つと目が合う。
「……っ」
私の後を追う山田さんが、声にならない悲鳴をあげた。
私の太ももに触れる、小さな子供。その顔に、見覚えがある。
一年前、失踪したはずの西ヶ住希乃ちゃんだ。
「その子は……行方不明の」
山田さんもビラの顔に覚えがあるのか、突如現れた女児に驚く。服装はチラシに記されたいなくなった当時の服装と全く一緒だ。不思議なのは、全くといっていいほど汚れていないこと。ただこの時期の子供の成長の一年は大きい。洋服の袖や丈が一切合ってない。靴は年季の入った草履だ。しかし履きなれていないのか、靴擦れが起きている。まるで誰かのを借りているみたいだ。
「こんにちは、はじめまして」
「……はじめまして」
西ヶ住希乃ちゃんらしき子供は、たどたどしくも返事をする。良かった。不審者扱いはされていないようだ。
「えっと、私の名前は、荒破といいます。このおじさんの名前は、山田さんです。あなたのお名前はなんですか」
「西ヶ住希乃です」
完全だ。この子は完全にチラシの西ヶ住希乃だ。




