0079 with 陽菜
午後十時の閉園まで存分に遊んだせいで、帰宅は十一時を過ぎてしまった。姉妹揃って不良みたい。
おそらくお母さんが先に帰宅している。一応『陽菜も私も今日は帰りが遅くなるから』とラウィンをいれておいたが、ここまで遅くなるなんて想像もしないだろう。さぞかし叱られることを覚悟して家に入ったが――。
「あ、やっと帰ってきた。早くごはん~。お腹空いた~」
この人の呑気さを甘く見ていた。
娘二人が神奈川県の条例にギリギリ引っ掛かる時間まで外を出歩いていたにも関わらず、先にお風呂まで済ませていたようで、寝間着姿で晩御飯をせびる姿は緊迫感の欠片もない。
「まじ引く」
それが陽菜の感想だった。怒りを通り越した呆れだ。
三人で遅い晩御飯を囲み、呑気を極めたお母さんは誰よりもたらふく食べて「おやすみ~」と席を外した。二人きりになったリビングで私は問いかける。
「一緒にお風呂入る?」
すると陽菜は、今日だけで何度見たかわからない真っ赤な顔で手足をばたばたさせ、
「それは無理! まだ無理! もっと段階を踏んでからというか! とにかく今はまだ心の準備ができてない!」
そう言い放ち、逃げるように走って先にお風呂に向かった。
心の準備ってなに⁈ と内心でツッコミながらも、かく言う私もほんの少しだけそういうことを考えていたのは内緒だ。胸に手を当てると、鼓動がバクバクと爆発を繰り返していた。
……ほんの少しではなかったかもしれない。
別々にお風呂を済ませ、寝るときもいつものように互いの部屋に分かれた。
翌朝を迎えて、陽菜お手製の朝食を食べる。特にイチャイチャするわけでもなく。
うーん、なにも変わらない。
昨夜の告白直後は姉妹関係が壊れてないか危惧したくせに、今は恋人要素が欠けていることに不満を持つ。やはり私は贅沢な奴だ。
妹と送る変わらない日常が嫌というわけではない。だが、せっかく私達に恋人という新しい関係性が加わったのだから、もう少しくらい刺激が欲しいなあ。
「お姉」
お母さんはすでに会社に向かい、二人きりのリビング。制服に着替え、そろそろ家を出ようとしていたとき、背後にいる陽菜が私を呼んだ。
なぜだろう? いつもと少し違う声色だ。
振り向いて様子を窺うと――。
顔は火照って真っ赤。口を真一文字に結んで、視線はあっちへ行ったりこっちへ行ったりグルグル回って不安定。変わらない朝を送っていた中でこれは驚く。
「熱でもあるの⁈」と歩み寄り、おでこに手を伸ばそうとした、そのときだった。
視界にいた陽菜が突如ぼやける。
それとほぼ同時に、自身の唇に柔らかいものが触れた。
――? なにが起こったんだ?
一瞬のうちに視界は鮮明さを取り戻し、陽菜は黙って斜め下を向いていた。
なにが起こったか、今でもわけがわからない。
でも確かに残った唇の感触と、陽菜の態度を鑑みながら、記憶を巻き戻してみる。
視界がぼやけたあの瞬間、陽菜が近づいてきて。……うん。
近づきすぎて、ゼロ距離になって。……うん?
え? ちょっと待って?
最終的に、互いの唇が触れた――?
そんなことある? たしかに刺激は欲したけど、前触れもなくこれは強烈すぎるぞ。
もしかして夢? それとも幻? あるいは妄想?
脳があたふたと大混乱する中で、陽菜が口を開く。
「いってらっしゃいのチューってやつ……」
わお!
夢でも幻でも妄想でもなく、唇を触れ合わせる行為をちゃんと現実で行った。
ほんの一瞬で終わっちゃったけど、紛れもないファーストキス。
胸が高鳴り、気分は躍る。そして欲が膨れ上がる。おかわりしたい。
「陽菜、もう一回」
「はあ⁈」
「だって一瞬で終わっちゃったからもっとしたい! それに味もよくわからなかったし!」
「なに味って! キモイ!」
陽菜は声を荒げてプイっとそっぽを向く。
ああ嫌われちゃった⁈ と本能の赴くまま発言したことを後悔したが。
「まあ、今度はお姉があたしにいってらっしゃいのチューしたい、っていうなら受けてあげてもいいけど」
「へ?」
陽菜は言うや否や目を閉じて口を結んだ。準備万端。
変わり身の早さに可笑しくなったが、それ以上に嬉しい。
私が陽菜を求めたのと同じくらいに、陽菜も私を求めてくれたんだ。
「いくよ」
「ん」
据え膳の唇におそるおそる近づく。
陽菜の吐息が当たる。たぶん私の吐息も当たっている。
生温かいな。でもそれが高揚感をもたらし、この時間もちゃんと現実であると教えてくれる。
二つの吐息はやがて重なり、目を閉じた。
柔らかい。気持ちいい。美味しい……はそれこそキモイかな?
一瞬で終わったさっきとは違い、長いキスだった。
私も離れなかったし、陽菜も離れようとしなかったからだ。
好きな人の唇の感触が、じわりと全身に広がる。もはや『触れ合う』なんて表現では留まらず、唇を通じて互いが一つになって溶けていくような感覚で。――キスの味ってこういうことなのかな?
味覚だけというより、五感と五体、すべてが感じ合う。
夢のような現実だった。次第に陽菜の輪郭が鮮明になる。
「お姉のエッチ」
終わったそばから謂れのない台詞が飛んできた。
「なんで」
「キスがエッチだった」
そう言って頬を赤らめている陽菜を見ていると、むず痒い刺激が走る。
その刺激が思考回路を侵食し、陽菜の肩に手をかけようとさせる。
今度はキスだけに留まらず、その先を見据えて――。
「あ、そろそろ行かないとやばくない?」
陽菜が時計を指さし、日常に引き戻される。その先はおあずけか。
「お姉? なんか疲れてる?」
がっかりしただけだよ、なんて。
「なんでもない。いこっか」
「うん」
青春は一度きりとよく聞くけれど、だからといって急く必要はないと思う。
平凡な日常も、刺激的な非日常も、どちらも愛して。
姉妹として、恋人として、かけがえのない時間をゆっくり味わって進みたい。
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