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0075 リトルシスターシンデレラ(1)

 二人、つけるべきケリをつけた。どちらも後腐れは残ったけど。

 

 依然として雨が降り続ける中、私は白百合女学園を後にした。門を出るとき警備員が「お疲れ様でした」と声をかけてくれる。うん、本当に疲れたよ。

 

 それでも私は休むわけにはいかない。ケリをつけ終えたこれからは、高い理想を叶えるために走る。


 目的地は自宅。そこにいるのは陽菜だ。時刻は午後七時を回っている。これからいくら遅い時間になろうとも陽菜は自宅にいるだろうが、それなりに急ぐ必要があった。

 

 私の理想を叶えるだけでなく、陽菜の理想も叶えてあげたい。

 

 そのために、とにかく来た道を必死で戻った。


 山を越え、海帝山高校を通り過ぎ、自宅を目指す。今日だけで何キロ走っただろうか。でも走る必要があるから走るのだ。疲れなんか走っているうちに吹き飛んだ。


 些細な懸念が一つある。このびしょ濡れの状態を陽菜に見られて、幻滅されないかどうかだ。


『いい歳して傘もささずにはしゃいでたの?』とか、言われたら泣く。

 

 走って走って走りぬいた。


 やがて、黒い雲の下に自宅の屋根が見え、時刻を確認する。


 午後七時半前。白百合から三十分足らずで到着したことになる。


 実感はなかったが、自分でも驚くほどの早さで来れた。傘を差しながらよくぞここまで。


 謎の力が無意識のうちに働いたというほかない。だってこんな高揚感と不安と情熱が多量に押し寄せてくる時間は、今までバスケの試合でも経験なかったから。


 おかげで電車に乗ればもっと楽に早く到着できたことに気付くのは、今になってようやくであった。バカだ私は。

 

 玄関を開ける。そこに陽菜はいなかった。


 でも、陽菜がつけてくれたであろう照明で廊下は明るく、リビングまで光の道が出来上がっている。


 たったそれだけ、いつものことなのに落ち着き、体に温かいなにかが、じわりと流れ込んでくる。いい女を二人も振ってきたから、心がボロボロなのだろうか。その心の傷口に陽菜の優しさが染みた。

 

 リビングまで歩くと、いた。

 

 アイランドキッチンの中で電子レンジを操作する陽菜の背中が見える。


「ただいま」


「遅い!」

 

 帰宅を告げると後ろ向きのままいつもの台詞が飛んできた。

 

 ええ、今日は早いよ、てきとーに言ってない? 

 

 まあ、これが陽菜の『おかえり』の挨拶だ。どんな挨拶よりも帰宅した実感が湧く。

 

 実家のような安心感ってこういうことを言うんだろうね。


「今日は早いと思うんだけどなあ」


「えっ、あっ」

 

 陽菜は首を九十度に捻って、掛け時計を見ながら、


「たしかに遅くない。よく考えたらまだご飯もできてないし」


 そしてようやく私に視線を移し、


「今日は珍しく早かったんだね、いつもこうだったらいいのに……ってえええ⁈」


 驚愕の声と眼差しをこちらに向けた。


「なんでそんなびしょ濡れなの⁈ 傘持っていかなかった⁈」


「持ってたけどちょっと野暮用でこうなった」


「どんな野暮用⁈」


「そんなことより陽菜、今からちょっと出れる?」


「質問に答えてない上に唐突すぎない⁈」

 

 鋭いツッコミだ。しかもド正論ときた。


「どうしてずぶ濡れになったかは、後で教えてあげるよ。実はあんまり時間なくてさ、早く行かないと閉まっちゃう」


「どこ行くの? スーパーで購入制限がある物を二人分買いたいとか?」

 

 随分と家庭的な思考だなあ。そんなところにも惚れた、なんてね。


「違う違う。もっと楽しいところだよ」


「どこ?」


「まだ内緒」


「なにそれ」

 

 陽菜はため息をひとつ挟んだが、


「しょうがない、いいよ」


 やれやれとばかりに呆れながらも乗ってくれる。


「ありがとう。じゃあすぐ行こう」


「ちょっと待って」

 

 そう言い残してリビングから出た陽菜。

 

 置いてけぼりになってぽかんとすること数秒後、バスタオルを持って戻ってきた。


「びしょ濡れで帰ってきてそのまま出かける気? ほんとになにしてたの」

 

 小言のような口調で言いながら私の頭にバスタオルを被せ、わしゃわしゃと雨粒に濡れた髪を拭いてくれた。


 どっちが姉かわからなくなるが、陽菜の優しさに甘えて、されるがままになってみると、とにかく心地よかった。夢見心地だ。冷めた体にまた染みる。

 

 バスタオルに覆われている中だった。ふと、道中で心配したことが頭をよぎる。


「幻滅したりしない?」

 

 こんなびしょ濡れになって。

 

 陽菜は即答した。


「する。高校生にもなって自己管理もできないのかって呆れる」 

 

 ありゃりゃ。


「でも、それなりの理由があったんだろうなとも思う。たとえば傘をさすのも忘れるほど切羽詰まっていたとか。そういうときは自分の身を顧みず、突っ走ってしまうのがお姉だもん。そんなところが……好き」


「陽菜……」


 バスタオルを払って視界を開ける。陽菜が頬を赤らめてそっぽを向いた。


 ……正解だよ。


 感極まって目が潤んだ。言葉で伝えなくてもわかってくれる、辛辣な物言いをしながらも思いやってくれる、私も陽菜のそんなところが好きだ。


「拭けたからさっさと着替えてくれば」

 

 照れ隠しが見え見えの攻撃的な口調。可愛すぎて、思わず頭を撫でた。意図せずバスタオルが手に巻き付いてしまったからタオル越しで。

 

 すると、陽菜から不満げな声が飛んでくる。


「あたしはどこも濡れてない」


「たしかにそうだね」

 

 クスッと笑ってタオルを払いのけ、直に撫でる。


「じゃあこうだ」


「ふん」

 

 ふん、だなんて。また随分と攻撃的な正解の音だ。

 

 手を介して伝わってくる陽菜の体温、呼応するように私の体も熱を帯びる。

 

 昨日と同様、心臓が大きく強く高鳴った。でもちっとも不快じゃない。

 

 妹向けではない愛情が湧き出す。止まることを知らず満たされる。

 

 私は浸り、感無量だ。

 

 長きに渡り眠っていたであろう恋心を改めて実感した。いつ芽生えたのかは定かじゃない、でもそれが表舞台に登場してくれたことを、今では嬉しく思う。


「いつまでボーッとしてんの」

 

 現実と胸中の境目を浮遊していた私を、陽菜がたたき起こした。


「時間ないんでしょ、早く着替えてあたしを連れてって」

 

 オーケー任せて。今から理想を叶えてあげる。


 「うん」と頷いて二階の自室に駆け込んだ。クローゼットを力一杯開いて手に取ったのは、淡い紺のデニムパンツに白Tシャツ、黒の七分袖の夏用アウターだ。


 今年の春、陽菜に選んでもらったコーデだったりする。


『お姉はこういうシンプルなのがいい!』と断言され、即買いしたが、夏用とあって着る機会に恵まれず、クローゼットに眠らせていた。


 いきなりで悪いが、今日はこれらに勝負服という大役を任せよう。


 反応が楽しみだなとワクワクしつつドレスアップし、リビングに降りる。

 

 すると、予想に反して思案顔が返ってきた。ええ、微妙だった?


「わりとちゃんとした格好で行く感じ?」


「ああ、うん」


「あたし制服のままだけど大丈夫かなあ」

 

 どうやら年中ジャージの私がめかし込んできたものだから、不自然に思ったらしい。

 

 今から行く場所でジャージはさすがにね。制服を着た人はむしろ多いと聞く。


「余裕余裕、大丈夫。それに陽菜はどんな姿でも可愛いよ」


「バカ、うっさい」


「こっちのコーデは似合ってる?」


「当たり前でしょ。あたしが選んだんだから」

 

 選定のいきさつをしっかり覚えていたようで自信満々だ。胸を張って歩く陽菜と玄関へ。

 

 お互い傘を手に取り外に出た瞬間、ピタリと立ち止まり空を見上げた。


「雨、止んでるね」


「ほんとだ」

 

 今日一日降り続いていた雨がピタリと止んだ。天が私を後押ししてくれたのだろうか。雲の隙間からうっすらと浮かぶ星が見えて、それがやけに頼もしかった。


「よし、傘は置いていこう」


「また降り出すんじゃない?」


「いや、ずっと晴れたままの気がする。星を信じたい」

 

 ロマンチックにそんなことを言ってみる。

 

 しかし陽菜は現実的で――。


「さっきまでずぶ濡れになってた人が言うから説得力ない」

 

 ド正論のツッコミを寄越し、私はずっこけそうになった。ぐうの音も出ない。

 

 しかし、言葉とは裏腹に私の手から傘を取り、自分のと一緒に玄関の傘立てに戻した。

 

 矛盾した言動に戸惑っていると、陽菜が言う。


「でもあたしも信じる。星じゃなくてお姉をね」

 

 ……やばい。一瞬ここで告白の返事をしそうになった。

 

 寸前でグッと堪え、代わりに「ありがと」と発する。

 

 最高の舞台を用意しているんだ。告白の返事はそこで、ね。


ご覧頂きありがとうございます。

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