0066 PFとPGと、姉と彼女と(2)
頭の上をPGという単語がグルグル回り、脳に入り込むのに時間を要した。
「……PG⁈⁈⁈」
「うるせえ。でけえ声だすな」
いやいや、これが出さずにいられようか。
PGとはバスケのポジションの一つだ。私は小学生の頃よりPFというポジションをずっと続けており、要はコンバートを宣告されたことになる。
「ど、どうして急に……」
PFとPGの役割はまるで異なる。
前者が前線で暴れまくる攻撃の要ならば、後者は全体にフォーメーションなどの指示を飛ばす司令塔。共通する点など無きに等しく、私は前者のスタイルを強く好み、第一線を張ってきた。
先の監督の言葉は、そんな慣れ親しんだ定位置を捨てろという、非情な意味を含んでいる。
当然、納得いかない。
培われた意地と愛着は、ヤクザのような威圧感をも凌駕し、監督に向ける眼差しが険しくなってゆくのが自分でもわかった。
「そんなに嫌か」
「嫌ですよ。どうして私がPGを」
「絶不調なくせに選り好みとか偉そうなやつだな」
こればかりはぐうの音も出ない。
何も言えず押し黙っていると、監督はその間にタバコをまた一本取り出し、一服し始めた。煙を吐き出しながら言う。
「こういう絶不調なときはな、思い切って気分を変えてみるのもいいもんだ」
モクモクと舞う煙の向こうに、監督の珍しく穏やかな目があった。
私はあっけに取られながらも、諭すようなその口調に耳を傾け続ける。
「ポジションを変えると景色が変わる。景色が変わると気分が変わる。気分が変わると行動が変わる。そして行動が変わると今までに無かったものが得られる。別にPFからPGに完全コンバートさせるわけじゃねえよ。未経験のポジションを試して気分を変え、新しいものが得られたらなんでも吸収しろ。いい形で元の場所に戻るためにな」
ははあ。監督の意図することがなんとなくわかった。
このコンバートはPFとして復活するための一過程、心の不調を負った私への治療とリハビリだ。監督のくせになかなか優しく、凝ったことを考えてる。
それならいいか、と安堵し、納得できた。
しかし、一つだけ恐怖を宿した疑念が湧き上がる。
もしPGをこの身に吸収してしまったら――。
PFの私はどうなるの?
「でも監督、今までPFとして培ってきた大切な感覚が、コンバートによって壊れたりしたら……」
技術云々もそうだが、特に慎重になるのは感覚について。
そのポジションを守ってきた者にしかわからない、言わば勝負勘のようなものにひびが入り、最後は壊れてしまうのではないか――。というのが最も懸念することだ。聞かずにはいられなかった。
「壊れねえよバカ。」
呆れた表情の監督から返ってきた答えは、驚くほどはっきりしていた。しかも『バカ』のおまけ付きだ。
「変な心配すんじゃねえ。大切なものを大切にしている限りは簡単に壊れたりしない。てか、むしろ指をくわえてなにもしない方が破滅に向かう」
監督は曇りのない目でそう言い切ったあとで、ジロリと挑むような細い目になった。
「てかよ、お前いつからそんな弱気な性格になった?」
「え?」
「前までの、飄々としていながらも確かな自信を秘めたお前なら『PGでも一流になってPFと両立させてみせますよ』くらいは言ってくれたと思うけどな。……ん? おいどうした穴吹?」
両立という言葉が胸に突き刺さり、私は目を見開き呆然となった。
大切なPFとしての感覚が――。
大切な姉妹関係が――。
『壊れてしまったらどうしよう』
そしてここにきて、私の抱える悩みの種が、コンバートにおける懸念と重なった。
二つのポジションを両立するように、ってそんな簡単なことではないと思うけど。
もしも私が、陽菜にとってかけがえのない存在二つを両立できたとしたら――。
「あの、監督」
「おお、なんだ。びっくりさせやがって」
「大切なものは簡単に壊れたりしないんですよね?」
「ああ、そうだ」
「他のものと両立も可能なんですよね?」
「そう思う」
「それって……バスケ以外のことにも言えますかね?」
「ああん?」
監督は首を傾げて怪訝な表情になり。
「知るかそんなもん。私にバスケ以外のことを聞くな」
ええ……。
無茶ぶりとは知りながらも、何だかんだでいい言葉を返してくれるのではないかと期待しての問いだったから、その返答には内心がっかりした。こんなはっきり突き放されることある?
「なんだ期待外れみたいな顔しやがって。ぶん殴るぞ」
「いえいえそんなことは」
サッと顔を背けた私。すると大きなため息が聞こえて――。
「なにを壊さずになにと両立させたいのか、知らねえし聞く気もねえ。聞いたところで的確なアドバイスができる自信もねえからな。たぶん私以外だってそうだ。だから自分で覚悟決めろ」
ハッとなって視線を元へ戻す。
やれやれと呆れたように笑って世話を焼く監督が、言葉を続けた。
「技術的な話ならいざ知らず、精神的な悩みは相談なんかしたって意味がない。だって答えは自分の中にしかねえんだから。お前はどうしたい?」
監督が全身全霊で問うてくる。私はスウッと深呼吸して、たばこの煙とその問いを飲み込んだ。
私は――。
私は、陽菜が好きだ。
妹としても。ひとりの女の子としても。
「答え、見つかったか?」
「……見つかった気がします」
「おっ、だったら解決は簡単だ」
「簡単なんですか?」
「ああ。あとは強い気持ちで高い理想を持て。ぜってえ壊さねえ、ぜってえ両立させてみせる、てな感じで。精神的な悩みに1番効くのが、そういう気合や勢いや根性なんだよ」
「……ははは」
「うるせえ、なにがおかしい」
「いえなんでも。ありがとうございます」
監督らしい脳筋なアドバイスに思わず笑いが出た。
ちっとも参考にならない。ちっともあてにならない。
でも、単純明快で想いの込められた言葉の数々は、なにより私を勇気づけてくれる。
「監督」
「今度はなんだ?」
「私、やっぱりPGやりません」
もう一本吸おうとしていた監督の指から、タバコが抜け落ちた。
「おま……今までの話はなんだったんだよ!」
「非常に為になりました。あと、今日はもう練習上がらせてもらいます」
言うと、監督は震える手をタバコへ伸ばす。掴んだとき、指の強さでひしゃげてしまった。
「てめえ……急にいい気合と勢いと根性持つようになったじゃねえかああん? 今からは拳で語り合うか? お? こら?」
ひい、怖い。
でも私はPF一本でやりたいし、今日中にケリをつけたいことがあるんだ。
「穴吹水琴、海帝山のエースとして復調を約束します。そのために今日、時間をください」
思考がクリアになり、頭を覆っていたモヤモヤしたものは消えてなくなった。答えを見つけた今、進むべき道は明確。あとは気合と勢いと根性を持って突き進むだけだ。立ち上がって、深々と礼をした。
「わかった」と監督からの返答は意外と早く、タバコに点火して一吸いした程度の短い待ち時間だった。
「ただし明日、調子が戻ってなかったら無限に走らせるぞ。覚悟しとけよ」
「する必要はありませんね。絶対戻しますから」
「ほう……」
監督は今までになく旨そうにタバコを吸い、ニヤリと笑った。
「それでこそうちのエースだ。ほら、早く行ってこい」
「はい」
椅子と、あとついでに監督の足癖のせいで歪んでいた机の位置を戻し、席を後にする。
パーテーションの外に出ようとした際、ふと言い忘れていたことを思い出して、振り返った。
「マネージャーも連れて行きます」
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