0064 崩壊した日常(2)
味のしない晩御飯とカラスの行水を済ませ、陽菜を避けるように床に入ったのは、お母さんがまだ帰ってない早い時間だった。
今日何かをできる精神状態じゃないのは確か。寝るしかない。
だが悠々と眠れる精神状態じゃないのもまた確かで、私はじっと暗い天井を見上げていた。すると、過去を彩る思い出が去来する。
ずっと妹が欲しかった。その願いが叶ったのは小学五年生のとき。
陽菜と初めて出会ったあの日は天気のよい日曜日で、その愛くるしい見た目に一瞬で魅了され、気づいたときには下の名前を呼びながら抱きしめていた。
一緒に暮らすようになってしばらくは余所余所しい態度を取られ、私のことをお姉ちゃんと呼んですらくれない日々が続いた。こちらも明るく接しはしたが、内心では当然不安に思う。
けれど初めてバスケの試合を観に来てくれたとき、初めてお姉と呼んでくれた。あのときは嬉しかったなあ。
喧嘩した日もあったっけ。それでも殺伐とした空気に二人とも絶えきれず、一時間もしないうちに一緒に泣いて仲直りした。
どれもこれもが大切な妹とのかけがえのない思い出だ。
でも、そんな大切なものに今日、私の感情が泥を塗ってしまった。
絶対に想ってはいけない感情だったのに――。
目をつむった。涙があふれだし、零れてゆく。
熱いそれは一旦流れ出すと止まることがない。夢と現実を行き来しては目を覚ますような、浅い眠りのまま一夜を過ごした。
カーテンの隙間から朝日が顔を覗かせ、起床の合図となる。いつもなら爆睡の末、アラームか人の声でないと起きられない。だからこんな日は初めてだ。
朝なのにすでに疲れ切っており、気分は最悪。頭がふらふらして体が重かった。今日は月曜、学校に行かなければならない。まだ少し眠れる時間はあったけど、もう睡眠は諦めてリビングに降りる。
すると、既にパンツスーツ姿でニュースを見ているお母さんがいた。
「あ、おはよう陽菜……ってええええ⁈ 水琴⁈」
起床時間が早すぎたせいで陽菜と勘違いされたようだ。驚くその声が頭に響く。単なる早起きでそんな反応をされるとは心外だ。
「今日は随分と早いのね。てか……顔色悪くない? 大丈夫?」
ほとんど眠れなかったのだ。顔色は悪くて当然だろう。そして大丈夫とも言い難い。
寝不足の身体的な意味でも、よからぬ感情を抱いてしまった精神的な意味でも。
「大丈夫。よく眠れなかっただけだから」
しかし強がって、なんてことないフリをした。
正直に告げて深入りされる方が、遥かに面倒なことになるから。
「そう、でも今日は無理しないようにね。学校休む?」
「ただの寝不足で休んだりしないよ」
強がりを続けていたそのとき、階段の床が軋む音がした。
寝不足の原因となったその子がやってくる。
「……えええ⁈ お姉⁈」
おはようも言わずにまず驚く。また頭に響いて割れそうになった。
「どうしてそんなに早起きなの⁈ なんで顔色悪いの⁈」
「ははは、心配してくれてありがと。でも大丈夫、ただの寝不足だから」
「本当に……?」
「ほんとほんと」
昨夕、私の奇行を見ていた陽菜だ。眉根を寄せて訝しい表情を向けている。
そんなに怪しまないでよ、それともなんだ、正直に告げてみようか?
『陽菜のせいだよ』と。
……言えるわけがない。私は言葉を飲み込んで。
「ちょっと散歩してくるね」
陽菜と距離を置くため、そう告げて玄関へ向かった。
尻目に二人のぽかんとした表情が見えた気がした中、外へ出ると雨が降っていた。
はあ、傘いるじゃん。めんどくさいなあ。
けれど家にいるよりよほどまし。
私の心中をそのまま表したかのような黒い雲が覆う空の下で、とぼとぼと、あてもなく歩き始める。
しばらくすると、なぜか水が頬を流れて滴り落ちた。
ちゃんと傘を差しているのに、おかしいなあ。
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