0062 終わりの始まり
「あれ? 陽菜?」
アニメを見始めて数時間が経過し、画面が七話を映し出していた頃だった。
ふと、肩に物理的な重みを感じて隣をみると、陽菜がもたれかかって寝息を立てていた。
私と違って休日も早起きだから、眠くなっちゃったのだろう。
微笑ましく思いながらリモコンを手に取ってアニメを停止する。
そして陽菜の体を支えながらソファーから降り、体勢を横にしてあげた。ゆっくり寝かせてあげよう。
陽菜の寝顔をまじまじと眺める。赤ちゃんみたいにかわいい。
見ているだけで心に温かいものが満ちる。こんな子、他にいない。
姉として、妹を愛おしく感じているのだ。この感情をいつまでも大切にしたいな。
たっぷりと寝顔を堪能したのち、ふと喉の渇きを覚えた私は冷蔵庫へ向かった。
しかし途中、あるものに目が止まり、足も止まる。
食卓の上に置かれた陽菜のスマホだ。一件のプッシュ通知が入っている。
読むつもりはなくても、パッと目に入ってしまった。
【金髪青りんごさん、一名にフォローされました】
SNSの公式からの通知だった。
めったにやらないが私も一応アカウントは持っているので、たまに来るこの通知の存在は知っている。
陽菜、金髪青りんごってハンドルネームでSNSやってるんだ……気になる。
かなり逡巡して、しかし最終的にはポケットに手を突っ込んでしまった。そこにあるのは自身のスマホであり、久しぶりにSNSを開いた。
マナーに反することは理解していても、どうしても興味が上回ってしまったのだ。
陽菜のハンドルネームを入力し検索をかけてみる。
何個かアカウントが並んだが、ひとつだけ特に目を引かれるものがあった。
――バスケットボールのアイコン。
自惚れもありながら、これかなと目星をつけ、見てみる。
閲覧制限、いわゆる鍵はついていなかったが、フォロー数ゼロ、フォロワー数は二十ほど。もしかしたら、裏垢ってやつかもしれない。
冷や汗が垂れた。手は震えている。
罪悪感が押し寄せる中で、引き返すなら今が最後のチャンスだと、頭の裏で自身の声がした。
しかし好奇心というのは怖いもので、手が止まらず画面をスクロールする。
もう、賽は投げられた。投稿一覧にたどり着く。
そして一番上、最新の投稿で、すぐ陽菜のアカウントだとわかった。
さっき食べたババロアの写真が上がっていたからだ。その一つ前には昨日の夕食の写真が投稿されている。さらに前にはお昼の弁当と。ご飯の写真ばかりが言葉もなく淡々と並んでいる。
たまに言葉の投稿があったとしても、『最近暖かい』とか『ママがうざい』とか『美味しくできた』とか『ママがうるさい』とか『野菜が安かった』とか『ママが鬱陶しい』とか日常の何気ないものばかり。
ふう、と一息ついた。正直、内容の薄さに救われた。
好奇心に応えてはくれなかったが、罪悪感が拭われた。
もし、陽菜の心の深層が露わになるような投稿が多数だったら、私は戻れない場所に踏み込んでしまったことになる。自分から覗いておいてなんとも自分勝手だが、一安心。
心が軽くなったところでなおも読み進める。うん、なかなかダメなお姉ちゃんだ。
時間を遡るようにスイスイとスクロール。際立った投稿はない。
……と見せかけておいて。んん?
一週間前まで遡ったところで、手が止まった。
『やっぱりおうちで過ごそう。その方が喜んでくれる』
背景が読めない意味深な投稿があった。これはなんだ?
疑問に感じながらさらに遡ると、今度は『疲れてそう。どうしよう』と。
これは……。
誰を想って投稿したものか薄々気づきながらスクロールすると、やがて言葉の大群に出くわした。
日付を確認すると、全て同じ日に投稿されており、ちょうど三週間前、三つ巴の人生ゲームがあった日だった。
一度その日最初の投稿まで遡り、時系列順にじっくり読んでいく。
『どこに連れて行ってもらおうかな?』
『あそこがいい。千葉にあるテーマパーク』
『一緒に山のジェットコースター乗りたい。サンダーなんとかってやつ』
『想いに応えてくれないかな』
『後ろからギュッてされながら』
『お城の前でとかロマンチック』
陽菜……。
ちゃんと行きたいところあったんだ。それなのに、私が最近疲れていることを察して、おうちで過ごすことにしてくれたんだ。
つーちゃんや剣さんと競っている中での貴重な一日のはずなのに、自分を押し殺して私を優先してくれた。しかもそれを勘づかせない。もしこのアカウントを見つけなければ、私は永遠に勘違いしたままだった。『陽菜もおうちで過ごしたかったなんて丁度よかったー』と、呑気にだらけて。
いつだってそうだ。
陽菜は私を一番に想ってくれる。
帰りの遅い親に代わって食事を作ってくれる妹が他にどこにいるというんだ。
そんな陽菜のことが、私も大好きだ。
大好きだ……!
ぐぐっと、温かくなった腹の底から何かが湧き上がってくる。
今度は私が陽菜を想う。大切に想う。大事に想う。愛おしく想う。妹として――。
………………妹として?
ひとたび疑問に思ってしまえば、だめだった。
理性で止めようとしたが、この熱い想いを相手では、ダムの役割を果たせそうにない。
決壊して、認めてはいけない感情があふれ出してきて。
どうしようもない不安に襲われ、スマホをしまってもグルグルと怨念のように付きまとう。
胸がバクバクと恐ろしく大きな音を立てており、不快で仕方なかった。
滝のように流れ落ちる冷や汗を袖で拭いながら、二階に上がる。
自室に入り、取り出したのはイヤホンだ。
またリビングに戻って陽菜を起こさないようにとそれをつけ、アニメの続きと向き合った。
とにかく現実逃避がしたかったのだ。自分の感情が鎮めるきっかけとなってくれたら、なんでもいい。アニメの世界に入り込んでしまったら、気持ちも落ち着くだろう。
自分の鼓動がうるさすぎたが、なんとかアニメに集中しようと注力する。
しかし、それが裏目に出てしまった。
アニメの内容がよくなかった。なにせ義理の姉妹同士の恋愛模様を描いた作品だ。境遇が私と合致しすぎている。第十話で、認めたくない自分の恋心と葛藤するシーンがあった。
――私じゃん。
逃げたはずの場所で答え合わせ。
自分の感情を鎮めるどころか、無理やり引き上げられて照らされてしまった。
そして、感情移入してしまった。共感してしまった。
異常とも言える鼓動が自身の感情の裏付けだと気づいたとき、恐怖が増してイヤホンを耳から投げるように抜く。テレビを消して、目を背ける。
後ろには、無防備に眠る陽菜がいた。
スカートがめくれて、普段は見えない太ももの付け根が露わになっている。
不快な胸の鼓動が加速して、今度は自己嫌悪に襲われた。
もう、逃げられない。
大切にしていたものを壊してしまった。他でもない自分自身の感情によって。
夕方、眩しい光の粒子が弾けるリビングは、いつのまにか白黒の静止画になっていた。
全身の血流が落下していくようなショックを受け、もう六月だというのに寒気がした。
ダランと全身の力が抜け、床に手をつく。不快な音を鳴らす心臓だけが、今もなお健在だ。
「なんで、どうして……」
発せられた問いは、自問に近かった。
私は陽菜のことが大好きだ。恋愛とか、そういう意味で。
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