第40話 理想のブライダル
髪はお団子にして、紺色のツーピースと白のブラウス。革のブーツに埃がないのを確認して、扉を開きます。
「おっはよーマリーン!」
「おはようじゃねぇです、もうお昼にもなろうって時間ですよ」
「仕方ないでしょ、私なんて日の出とともに目覚めて長い支度の後、さっきまでずーっとずーっとリーゼ夫人と話し合ってたのよ? リーゼ夫人、今回のドレスに気合入れ過ぎなんだよねぇ」
「仕方ないですよ。ヴィーさまがご自身のために一世一代の式をプロデュースするってんですから、その注目度は大陸イチです」
そう言いながらも、マリーンはコーヒーメーカーのスイッチをいれます。歯車の回る音、豆が挽かれてうっすら漂う香り。これですよこれこれ。
とはいえ、あまり時間はないので用件を手短に伝えます。マリーンももう慣れたもので既にメモの準備は完了、私の言葉をすらすらと書き記していきました。
私とアーベル様の婚約が成ってからどれだけの時間が経ったでしょうか。子どもだと思っていたキュリオ様が社交界デビューの準備を始められたそうですから、月日が経つのは本当に……。
「……それで、新人ちゃんの様子はどう?」
「二人同時に育成するのは無理すぎると思いましたが、二人とも優秀です。ヴィーさまが本格的に再始動される頃までには、わたしと同じくらい使えるようにしときます」
「あーそれは相当スパルタだね」
アーベル様が提案した、私が今後も仕事を続けられる方法とは、私の活動の場を移すというものでした。それも、帝国に。
情報の取り扱いや政治的なことには触れない旨を細かく契約書に盛り込めば、他国なら十分続けられるだろうとのお話だったのです。
「新店を任せることになるから、じっくり育ててね。私がずっと店にいられたらいいんだけど、それはさすがに無理だからさ」
「ヴィーさまはオーナーとして帝国とデロアとココの各地を馬車馬のごとく走り回ってくれればいいんです。あと一部の特別客のお相手ですねー」
「間違ってないけど私の扱いが雑」
今後、特別なお客様が私を指名しない限り、私がブライダルプランナーとして表に出ることはありません。
それは店のブランド化にも繋がりますし、公爵夫人としての仕事ともバランスがとれるので最適な解決方法だと思います。
「ところでハリルさまってどうなったんです?」
「なんと自由騎士として帝国に渡って、今はバーセル公爵家と契約してるって。帝国に出店したら最初のお客様はリリアナ様とハリル様かもしれないわ!」
「それは広告塔としてベストですねー」
感嘆の声をあげながらマリーンが私の前にコーヒーを出してくれました。と同時に、背後に人の気配です。
「マリーンも金の匂いには敏感なんだな。さすが優秀な一番弟子といったところか。……ところで師匠のほうは、護衛もつけずに城を抜け出すなと何度言ったらわかるんだ?」
「だ、だってラシャード様も忙しそうだったから……えへ」
怖くて振り向くことができませんが、私の背後で禍々しいオーラを放っているのは間違いなくアーベル様です。
まだここへ到着したばかりだというのに、なんでこんなに早く見つかってしまったのかしら!
「ラシャードもラシャードだ! 可愛い妹が南国に嫁ぐと言ったくらいで何をオロオロしているというのか」
「マチルダ様からは結婚式のプロデュースをしてくれとお手紙もいただいてますけど、やけっぱちになってるっぽいですね」
アーベル様が私の隣に座って、マリーンが彼のぶんのコーヒーを淹れました。こんな風にこの店で息抜きをするのもこれで何度目になるでしょうか。
「キュリオが未だにおまえにゾッコンだからな。俺のだって言っても『傍で守ることくらい許せ』と来たもんだ。まだ子どものくせに!」
「騎士学校ではメキメキ上達なさって、このままでは首席で卒業しそうだとトルーノ様から伺いましたわ」
「絶対しごいてやる」
キュリオ様は私の何が気に入ったのかわかりませんが、専属の騎士になるのだと息巻いているそうです。
今はラシャード様が本来の任務から外れて私の護衛をしてくださっていますが、キュリオ様がいらっしゃったらお役目交代でしょうか。
一方マチルダ様は、御母上の出身の国から訪れた使者の一人にアプローチをされているそうです。
お肌の色はお相手の方が強いですし、何より母親の育った国の方ですからね。憧れや懐かしさや安心感もあって、お気持ちに迷いが生じたようだと愚考します。
キュリオ様がデビューして、おふたりの接する時間が増えればまたお考えも変わることでしょう。
「それよりヴィヴィ、そろそろ出発しないと。予定通りの時間に宿にたどり着かなくなるぞ」
「わぁ、それは困りますね。早く行かなくちゃ」
◇ ◇ ◇
大型の鉄汽船は、蒸気機関の発達で最も進歩を遂げた分野かもしれません。
私は自分の結婚式に船上での開催を決めました。それは、何にも邪魔をされずに星空を眺められるというのが第一の理由なのですが。
もう一つ。鋼船の建造が極めて多くの部分的な生産工程から成り立っている、というのも理由に挙げられます。飛行船はまだ、民間で安全なものを安定して造るに至っていませんしね。
狩猟大会から意気投合した、財務大臣のご息女が有能なビジネスマンを紹介してくださったので、造船計画も難なく進められましたし。しかも安い。
この結婚式はマリーンの言う通り、多くの人に注目されるでしょう。同じように船上での挙式を希望する人も増えるはずです。
また、シルキウス様が新皇帝としての即位式を控えている帝国との交流の復活は、貿易船の需要を高めます。
内乱で疲弊し物価が上がってばかりいた帝国に、造船特需が起きたらどうでしょうか。
これが、私とアーベル様が考えた理想の結婚式でした。亡き友のために、帝国へ渡った心優しい友のために、何かできることを。
新たに建造されたピカピカの船に乗り込みます。太陽の光を浴びた水面が宝石のようにキラキラと輝いていました。
「王都から港まで、近いとは決して言えないですけど道中にグランクヴィストがあるのがいいですね」
「領地の宿屋の整備も進めておこう」
グランクヴィストは、結婚後にアーベル様が叙爵とともに与えられる予定の公爵領です。
招待客や、この結婚式を一目見んとする観光客が利用するかもしれません。私たちも昨晩はそちらで休憩を挟みましたし。これも特需ですね!
船の内部を一通り確認して、また甲板に上がって来ました。
波の音、カモメの鳴き声、柔らかい潮風と流れる雲。隣には見た目と違って慈愛に溢れた愛しい人。私はこの瞬間を生涯きっと忘れません。
結婚式は当日も大切ですが、こうして二人で最高のパーティーを作り上げようと力を合わせる、全ての瞬間が宝物なのだと知りました。
船首のほうへと歩を進めれば、果ての無い大きな海が目の前に広がります。
「これは……すごいですね」
「ヴィヴィ」
「はい?」
振り返ると、アーベル様はただ真っ直ぐに立って私を見つめていました。風が私の髪やドレスを吹き上げ、アーベル様が私の髪を一房手に取ります。
「初めて会った日から、おまえはずっと俺の心の中心にいた。忘れても否定してもそこに居続けた。俺はおまえと一緒に夫婦の最初の試練を乗り越えたい」
「アーベル様……」
「愛している。結婚してほしい」
見つめたまま私の髪に口付けを落とすアーベル様に、頷いて見せます。
事後プロポーズなんてあり得ないと思っていましたが、アーベル様にしては上出来、じゃないですか?
「死ぬまで言ってもらえないかと思ってました」
「言葉にするのは最初で最後だ」
耳が赤い。かわいいひと。
「たくさん言ってくれないと嫌です。でも、今はこれで満足してあげます、アビー」
驚いた顔が可愛くて、両手を伸ばして抱きつきました。怒っても笑っても照れても驚いても可愛くて好きな人。
「もっと言ってみて」
「アビー?」
「そう」
「じゃあ、アビーもたくさん言ってくださいね、愛してるって」
「俺は行動で示すタイプだ」
彼が柔らかく微笑みました。ああ、私はこの顔を知っています。幼い頃に見た、理想の結婚式を実現した男性の表情。
きっと素敵な結婚式になる、そう確信して私は愛する人と唇を重ねました。
全40話、お読みいただきありがとうございました。
結婚式の準備は以降の結婚生活をうらなうこともできる夫婦の試練だと思います。
式をしない人や、簡素なもので済ませる人も多い時代ですが、それを選択するのにだってお互いにいくつもの話し合いが設けられるはずです。
自分の気持ち、相手の気持ち、お互いの親族や友人知人、今後夫婦を支えてくれる全ての人に思いやりをもって企画できたらきっと素敵な人生となる、と思います。
コロナの影響で、私の周囲でも結婚式を控えている友人や身内がいます。
どうか誰もがまた笑顔で会場に集い、ハレの舞台を祝うことのできる日がくるよう祈りを込めて。
感想をくださったみなさま、ありがとうございました。
いつも作品を最後まで書き終えてから投稿を始める私ですが、感想をいただいたおかげで今回は手直しも多かったように思います。
特にラシャードは感想をいただいていなければもっとぞんざいな扱いだったと……。
また例のごとく、今後しばらくは次作の執筆作業をがんばります。
そしていつものように書き終えてから戻ってまいります。その際にはぜひまた感想をいただけましたら、幸いです。
どうもありがとうございました。




