第33話 話し相手①
「いきなりデートなんて言うから何かと思えば」
「最初のデートくらいは湖にでも連れて行きたかったんだがな。埋め合わせはいくらでもする」
アーベル様に連れて来られたのは王城の敷地内にある、貴人用の牢獄塔でした。貴人用ですから、普通に想像するような牢獄ではありません。
浴室付きの広いお部屋にはベッドや温熱機、本棚もあります。お世話係を用意することだって可能です。できないことと言えば自由な外出くらいでしょうか。
但し、それらは家門や周囲の方々の善意またはプライドによるもので、入牢した方のお立場やそれまでの行いによっては耐え難い生活にもなり得ます。
「看守が見張っているから危険はない。ちょっと二人で話をしてもらいたい」
塔の螺旋状の階段をいくつかのぼった先の部屋に到着すると、アーベル様は私を置いて階段を降りて行ってしまいました。
ガチャガチャと看守が鉄製の扉の鍵を開け、中へと案内していただきます。
格子のついた大きな窓から太陽光が降り注ぐ、明るいお部屋でした。私が入ってすぐに、お茶や軽食を持ったメイドもやって来て準備をしてくれます。
部屋の主は、真ん中の応接セットにゆったりと座っていらっしゃいます。
光を浴びてふわふわと輝く赤茶の髪は、神々しささえ感じさせますね。
「やあ、まさか貴女がいらっしゃるとは」
「ハリル様――」
お辞儀をしようとする私を手で制して、座るようにと微笑まれます。
覚えているよりいくらか痩せたようですね。元々細い方だったので心配になってしまいます。お食事はあまり召し上がっていないのでしょうか。
「殿下に何か言われて来たのですか?」
「お連れくださったのは殿下ですが、何も聞かされていません」
「そうですか。ここでの生活はすぐに飽きがきますから、話し相手として連れて来てくれたのかもしれませんね」
何を話したらいいのかわからないまま、無言の時間がいくらか過ぎていきます。準備を終えたメイドが部屋を出ると、ハリル様がお茶を一口飲みました。
「……私には夢がありました。些細な、けれども大それた夢でした」
どうぞと勧められるままに、私もお茶に手を伸ばします。
お茶請けに用意されたお菓子はあまり見慣れないものでした。シフォンケーキよりもスポンジケーキよりも堅そうな、キメの細かい生地の焼き菓子です。
私の視線に気づいたのか、ハリル様がお菓子について教えてくださいました。
「それは帝国の、正しくはオーセル帝国勃興の地である帝都オーセラントに古くから伝わるお菓子です。日持ちするので帝国ではよく作られるのですよ。素朴な味わいで、隠し味のシトラスに何を選ぶかが家庭によって違ったりします」
「わぁ、美味しそう。いただきます」
銀のナイフが程よい弾力に押し返されながらも、生地を切り分けていきます。
口に入れると確かに甘さの中に柑橘の爽やかな風味が広がりました。思わず頬っぺたを押さえて目を閉じ、その美味しさと舌触りを堪能します。
「私がそれを初めて食べたのはシルキウス……先帝の弟バーセル公爵ですね。彼の屋敷に招かれたときでした。公爵夫人と末娘のリリアナが焼いてくれたと言っていました。
帝国へ留学して私が学んだのは、焼き菓子の味と属州の文化が混じり合った華やかな帝都の活気でした。エスパルキアよりも蒸気機関技術が発達していて、帝都はいつも白く煙っていた」
ハリル様の視線はどこか遠くを見ていました。彼の目に浮かぶのは、白く煙る帝都でしょうか。それとも焼き菓子を囲んで笑うバーセル公爵家でしょうか。
彼が独り言のように話を続けるのを黙って聞くことにします。
「父は帝国で最も大きな野心を抱く人物を捜せと言いました。彼の言う『野心』が何を指しているかは、私にはよくわかった。だから帝国の国務大臣と父を引き合わせました。第二皇子の義理の父親にあたる人物です。
その後、次から次へと起こった皇族の不幸に父が関与していたかどうかは……知りたくなかったのでわかりません。ただ、帝国の属州になることはエスパルキアにとって悪い話ではない、と口癖のように言っていたのを覚えています」
アーベル様が仲良くしていたという第二皇子の死を発端に、皇太子と皇帝までが短期間のうちに亡くなったのですよね。
ふいに立ち上がったハリル様が部屋の隅の机の引き出しから手紙の束を持ってきました。上質な紙と金の飾り文字の封筒です。
そのうち一通を手渡され、落ち着かない気分でオタオタしながら便箋を受け取ります。最初に差出人を確認したところ、たった今ハリル様の口から聞いたお名前が丁寧な大陸共通文字で記載されていました。
「バーセル……」
「はい。リリアナ・ダ・バーセル公爵令嬢からの手紙です。私と彼女は最近までずっと手紙でやり取りをしていました。当たり障りのないこと、日常の由無し事を書き並べるだけのやり取りですが。
この塔へ持参するにあたり全て騎士団のチェックが入っていますから、安心してお読みいただいて結構ですよ」
どうぞと瞳と手振りですすめられ、ざっくりと手紙に目を通しました。
帝都の物価が上昇して生活困窮者が増えつつあること。庭の向日葵が大輪の花を咲かせたこと。友人の結婚式へ参列したこと。それが「チョコレートパーティー」だったこと。
そんな些細な日常が美しい言葉で描かれています。
「この『ヴィー』とはもしかして私のことですか?」
「そうです。貴女は帝国でも話題の人物なのですよ。貴女のプロデュースしたパーティーは、すぐに帝国で取り入れられるほどにね。リリアナ嬢も、叶うことならヴィー様にお願いしたいのにと口癖のようにおっしゃっていました」
ハリル様の瞳が初めて見るレベルで優しくなって、私はピンときました。この表情はブライダルプランナーなら見慣れたものですからね。
――結婚式の主役は美しい女性です。私は妻となる人には好きなようにしてもらいたいと思っていますよ。
半年前、ハリル様は理想の結婚式について尋ねられたときにこう回答していました。
あのとき私はこのセリフを、「面倒なことから逃げるための魔法の言葉」だと思っていたのです。けれどそれは間違いだったんですね。
彼は愛する人と結ばれるのは難しいと理解していたのでしょう。リリアナ様と結婚できるのなら、もうそれ以上の理想なんてなかったんです。
「どうして、ギレーム様を手伝ったのですか? 帝国とエスパルキアが対立するのは貴方にとって避けたい事態ではなかったのですか?」
以前のように外遊に出掛けられるくらい国家間の交流があったなら、そんな理想ももしかしたらと思うのは私だけじゃないはずですが。
「私ひとりでは国を動かすことはできないのですよね。二国が親交を結ぶのは理想です。しかし対立するのなら、ひとつの国にまとまるほうがいい。……だから国務大臣が実権を握っているうちは、父を止める理由がない」
ハリル様の言葉に引っ掛かりを覚え、琥珀色の瞳に真意を探してみます。
止める理由がないとは、積極的に手伝っていないとも受け取れると思うのですよ。
ああ、そういうことか。
困ったような表情のハリル様を見て、アーベル様がなぜ話をしろと言ったのかわかった気がしました。
「ところでハリル様って乗馬の腕前はどれくらいですか?」




