第31話 披露宴
結局キュリオ様はラシャード様によって担ぎ上げられ、お部屋から放り出されてしまいました。
扉が閉まる前、キュリオ様はしっかりとアーベル様を見据えてこうおっしゃったのです。
「どこかのご令嬢から刺繍を受け取ったと聞いた。なのに婚約話を進めてないとも。そんな中途半端な奴がヴィーの隣に座るな!」
と。
「その件については近日中に誠心誠意しっかりと対処いたします。ご忠言どうも」
アーベル様は立ち上がって、閉まった扉をわざわざ開いて一言投げかけるとまた閉めました。どっちが子どもだかわからないですね、このムーブ。
扉の向こうではまだキュリオ様が何かおっしゃっているようでしたが、侍従に連れて行かれたのかそのうちに聞こえなくなりました。
まさか刺繍の件が成人も迎えていないキュリオ様のお耳に入っているとは。
人の噂というのはすごい勢いで広がるのですね。さすがに件のご令嬢が誰かということまでは曖昧になって広まっているようですけれど。
「そういえば、ヴィーがヴィヴィアンヌだってこと、もう隠し切れないですね」
ヴィヴィアンヌとしてここにいる私を、キュリオ様は疑問に思っている様子はありませんでした。もうヴィーの正体をご存じなのでしょう。
私の言葉にアーベル様も頷かれます。
「その情報は一部の人間だけに留めておくつもりだったが、こう騒ぎが大きくなってはな。キュリオも『ヴィヴィアンヌが攫われた』と侍従から聞き、『ヴィーが攫われた』と叔父上から聞かされたせいで知ってしまった」
この騒動で情報が錯綜してしまったようです。
アーベル様も珍しく申し訳なさそうなお顔をしていらっしゃるので、迷惑料を上乗せすることで許して差し上げましょう。自業自得の部分もありますしね……。
ただ、今後の仕事に響くのは困ります。
今まで貴族や一部のブルジョワジーを対象に商売をしていましたけれど、貴族であるヴィヴィアンヌにお財布の中身を知られるのは避けたいでしょうからね。
さてどうしたものかと私が顎に手をやりつつ悩んでいると、アーベル様に頭を撫でられました。
「解決策についてはまた今度話し合おう。ハリルとの逃避行についても調書を取りたいし、話は山ほどあるんだが、それより優先すべきことがある」
「なんでしょうか」
「まだ、ギリギリ披露宴に間に合うってことだ。無理をさせなければ連れ出していいと侍医のお墨付きもある」
アーベル様がいたずらっ子のように笑いながらラシャード様に目配せをし、ラシャード様の指示でメイドが何名かお部屋に入って来ました。
これからお支度をして披露宴に顔を出すのだと言います。
まさかこの目で見られるなんて!
アーベル様の粋な計らいに、思わずほっぺもユルユルになります。
「ありがとうございますっっ!」
「ああ。おめかししたらすぐに出よう」
笑った顔がすごく優しくてバリトンの声もまろやかで、こんな表情もできる人だったんだと少し驚きました。
ただでさえイケメンなのに、まるで付き合いたての恋人を見ているような目をしているから、無駄に私の心臓までドキドキしてしまいます。
◇ ◇ ◇
自動車を降りてダリアとサルビアの間を抜けながら会場へ。隣にはアーベル様が並び、エスコートしてくださっています。
というか、怪我はドレスや手袋で隠れますが、くじいた足はどうにもなりません。なのでエスコートというより杖代わりみたいなものですね。
「この半年で初めてですね」
「なにが?」
「アーベル様にエスコートしていただくのが」
「これからは全部俺がやる」
ん?
それは一体どういう意味でしょう。今日はなんだか様子がおかしいですね。勘違いしてしまいそうになるので、そういう冗談は顔だけにしてほしいんですが。クソイケメンめ。
ウルサラ様は明後日の朝にはこのエスパルキア王国を出発なさいます。
レディズコンパニオンのお仕事も、ブライダルプランナーとしてのお仕事ももう終わり。私は王族となんの関りも持たない中堅伯爵家の末っ子に戻るだけなのですが。
言葉の意味を私が問いただす前に、私たちは会場へ到着してしまいました。
わっと人々の視線が集まり、その中にはキっと睨みつけるキュリオ様のお姿もあります。
「まずは主役へ挨拶に行こう」
「はい」
すでに終わりの近い会場内では、酔って陽気になった方や踊りつかれて休憩する方など様々です。
入り乱れる人々の間を抜けて、新郎新婦の元へ向かいました。
先ほどまで私が被っていたカツラとは比べ物にならないほど美しい栗色の髪。花が綻ぶような笑顔でウルサラ様が私たちを迎えてくださいました。
その隣には、上質な絹の糸のように煌めくプラチナブロンドのイケメ……綺麗な男性がいらっしゃいます。こちらが本物のジョーディー王太子殿下なのでしょう。
ユジン様とは似ても似つかない、甘いマスクの殿方でした。エスパルキア王国では滅多に見ない緑色の瞳が、デロアの方なのだと実感させます。
「ヴィヴィアンヌ、ようこそ来てくださいました。それに、格別のお取り計らいをいただいたみたいで、ご苦労でしたね。本当にありがとう」
ウルサラ様の瞳に涙が滲みました。
人々に噂がどのように広まっているかはわかりませんが、私が影武者となって誘拐されたことを正しく知る人物はごく少数です。
王女殿下の口からはこれ以上のことは言えないでしょう。けれど、十分すぎるほどありがたい言葉だと思います。
私も泣きそうになりながら膝を折って腰を落とし、深く頭を下げました。
「貴女が噂のヴィー様ですか。此度は私の願いまで気に掛けてくれてありがとう。ほら見てください。エスパルキアとデロア、両国の重鎮が手に手をとって輪になって踊っている。この経験は両国の未来を明るいものにしてくれるでしょう」
ジョーディー様が腕を広げて指し示した方向には、確かに老若男女国籍問わず輪になって楽しく踊る姿がありました。
輪の外では、相手の国独自のステップや身振りをお互いに教え合う人々も。
そこに政治的な思惑はなく、誰もが純粋に楽しんでいるのが伝わってきます。
「ええ、本当に素敵です」
ブライダルショップ・アンヌを尋ねて来られたユジン様に「理想」をお伺いしたとき、形式的な空気で「ダンス」との回答があったことを思い出します。
ニセモノのユジン様を仲介してしまったために、あの時はジョーディー様の意図を知ることはできませんでした。
まさかこんなに素敵な催しになるだなんて。
「ダリアとリンゴ酒もとても素晴らしいですね。我が国でもこれらの美しさや美味しさを通して、国民に広くエスパルキアを知ってもらいたいと考えています。全て貴女のおかげだ」
続けて聞こえたジョーディー様の言葉に、そういうことだったかと納得いたしました。
エスパルキアの特産品であるダリアとリンゴ酒が必要だと最初に言われたときには、そんなありふれたものをどうして、と思ったものです。
デロアにとってはありふれたものではないのですよね。そして、相手の当たり前をお互いにひとつひとつ知っていくのが大切なのでしょう。
「身に余るお言葉ですわ。お二人の、相手国への尊重があればこそでございます」
これが、理想の披露宴なのだと思います。新郎新婦が最初の試練を突破した際に得られる格別の幸せ。
実現のお手伝いができたことが誇らしくて嬉しくて、幸せで。そんな気持ちのままアーベル様を見上げると、クスクスと嬉しそうに笑っていらっしゃいました。




