第28話 独断専行③
「彼らは周辺を探索するそうです。我々は先に行きましょう」
小屋の前にいた数名の騎士についてそう説明してから私を馬に乗せ、ハリル様も後ろに同乗します。
溜め息が出そうになって、私はこれがアーベル様だったら良かったのにと拗ねている自分に気づきました。
こうして複数の方がせっかく助けに来てくださってるのに。しかもアーベル様には心置きなく披露宴を楽しんでいただきたくてこうなっているのに。
その場に残るという数名の騎士に会釈をして出発です。
森の中ですからたいしたスピードは出せません。馬は速足で森を進み、その上下の振動に揺られながら先ほどの違和感について考えを巡らせます。
いちばん違和感を覚えたのは、ハリル様が小屋へやって来たときの状況ではないでしょうか。
だって普通、誰かを探すなら呼びますよね? ガラスの音に驚いたというならなおさらです。犯人が私に危害を加えているかもしれないわけですから、探している人間が近くにいるぞと知らせるためにも声を出すのは有効だと思うのです。
でもハリル様は私が小屋にいて、かつ危険な状態ではないとご存じだったかのようにも思えます。
「全然森を抜けませんね。だいぶ奥まで連れて来られていたのでしょうか」
いつまでも森から抜けないことが気になって声をかけます。恐らく、農園の西側に広がる森だと思うのですが……。
と、ハモンド農園の屋敷やその周辺の様子を思い浮かべたとき、二つ目の違和感に思い至りました。
ハモンド農園は今でこそトルーノ様の直営ですが、以前は別のお家が管理していたはずです。
賭場に入り浸ったハモンド男爵は借金を増やしすぎたため、最終的に爵位まで売り払い、姿を消しました。が、一人娘は確かどこかのお屋敷のメイドになったのではなかったかしら。
そのお屋敷とは――。
「いえ、北上していますからもう少しだけ森が続きます」
「は?」
そうです。そのお屋敷はキャラック伯爵家に間違いありません。
ハモンド農園の屋敷にある隠し通路について、管理者の娘であれば知っていて当然です。どうにかして聞き出したのでしょう。
つまり、このハリル様とお父上のギレーム様こそが犯人。
私は小屋でハリル様が蒸気銃をポケットへしまったのを思い出し、彼のジャケットをまさぐります。
「ふふ、撃って落馬でもしたら貴女もただではすみませんよ」
「でも無事かもしれませんし、少なくともあなたは無事ではすみません」
「ああ忘れてました。弾はもう抜いてありますから撃てないのでした。二人とも安全ですね」
真っ直ぐ前を向いたままニコリと笑いました。どおりで素直にポケットを探らせたわけです。
取り出した銃を確かめましたが、ハリル様の言う通り弾は入っていません。
「どこへ行くおつもりですか? 私を連れて行ってどうするんです」
「わかっているでしょう? 帝国です。貴女は大事な交渉材料なんですよ」
「ちょっとわからないです。あなたが帝国と繋がりがあるのはわかりますが、私がどうして」
逃げ出すための糸口を探すため、会話を続けます。説得できるとは思いませんが何があるかわかりませんから。
同時に周囲も用心深く観察します。飛び降りられそうな開けた場所があれば良いのですが、飛び降りるにはハリル様の腕が邪魔ですね。
「王女の替え玉として誘拐されたとなれば、ダルモア家が黙らない。デロア王国も結婚にケチがついて騒ぐ人物がいるでしょうね」
「ダルモアが吠えても所詮は中堅の家柄です。国を動かすには至りません。デロアのことはデロアの問題ですわ」
「それでいいんですよ、どちらの国も乱れたぶんだけ帝国が介入しやすくなるんですから。ですが一番効果的なのはアーベル王子殿下でしょうね。彼は必ず貴女を取り戻そうとしますよ。帝国が貴女を保護しているとわかれば、すぐにでも動く」
ハリル様の言葉を理解するのにたっぷり十秒ほど必要でした。
この方は何か思い違いをしていらっしゃるようです。
思い違いだという事実が、悲しいけれど面白くてお腹の底から笑いがこみ上げてきました。
「ぷっ。あははは! 私がそんな重要人物でないことはハリル様もよくご存じでは? 刺繍を受け取っても婚約しないんですからわかるでしょう」
「本当にそう思っていますか?」
「ハリル様もそうおっしゃってたではないですか。それに、彼が私ひとりのために帝国と事を構えることはありません」
彼は国と民のために自分の幸せをどこかに置いて来た人です。
国を守るために国境で戦い抜いた人が、わざわざ帝国に牙を剥くようなことをするわけがないじゃないですか。
皇帝の弟が帝位を取ったとき、以前のような善政へ変わるかもしれません。こちらからちょっかいを出して戦の口実を与える必要はないのですから。
でも、そうですね。彼は優しい人ですから、私を犠牲にしたとあれば自責の念に囚われるかもしれません。それはちょっと申し訳ないですね。
私は手の中の蒸気銃を弄びつつ、もう一度周囲をよく観察します。
少し先に他よりも明るい場所があるように見えます。恐らく大きな木が倒れるなどして出来た空間でしょう。そこなら馬から飛び降りられるかもしれません。
「それはご自身を過小評価していますね」
「私は私自身にそれだけの価値があろうとなかろうと、素直に誘拐されるわけにはいきません」
体を思い切りねじり、両手で持った蒸気銃をハリル様の顎に向けて構えます。
「なんの真似ですか」
「弾、入ってますよ。試してみますか? 安全装置の指摘、ありがとうございました。おかげさまで今回は大丈夫です」
まぁ、中に入っているのは実弾ではないんですけれど。嘘はついていませんから。
ハリル様の顔が引きつり、そして上半身を後ろに傾けて馬を止めました。素晴らしいです、ちょうど目的としていた開けた場所じゃないですか!
「貴女には撃てませんよ」
「声が震えていらっしゃいますね」
彼の視線は私の指先と目とを交互に移動しています。私も視線だけは彼の瞳から離さないまま、左右に意識を集中させます。
ハリル様が銃を奪うために両手を上げたときが狙いなのです。
「ふざ……けるなっ!」
今だ!
私は彼の手が動き出すと同時に銃口を空に向けて引き金を引きました。内部で歯車の回る音が聞こえた気がします。
最近急速に発展した蒸気機関技術の原理について私は知りませんが、銃の中で水蒸気が爆発を起こすらしいのです。
銃口から飛び出した信号弾は、木に邪魔されることなく空へ向かい、バチバチバチと大きな音をたてて派手な色をまき散らしました。
「痛っ! いった……」
発砲に伴う音や衝撃に驚いたハリル様が、目をつぶって固まった隙に馬から飛び降りました。
手綱から手を離してくださったおかげで降りることはできたのですが、思いのほか大きな馬だったので上手に着地することができませんでした。
足をくじいたかもしれません。ついてないです。
「やってくれますね」
馬の上からじろりと睨むハリル様から逃げようと、どうにか立ち上がります。が、これは逃げ切れる気がしません。
信号弾に気づいた人がどれだけいるでしょうか。あとはもう天に祈るしかないのですが。




