第23話 花に集う②
「殿下のために泣いてくださるんですか」
ぽつりとこぼれたラシャード様の言葉に、なぜだか反抗心が芽生えてしまいました。
殿下のために泣く、ですか? それは彼の諦めを受け入れることになります。
王族の幸せもまた国民の幸せ。王国の貴族として、いち国民として、私は殿下の幸せを願います。彼が諦めるのは勝手ですが、私は諦めたくありません。
「……いいえ。泣くだなんて臣下として忠義が足りませんでした」
「はい?」
「王太子殿下にお子様がいらっしゃらないなら、王家の血を繋ぐのもまたアーベル様の責務でございます。いつか殿下がその命を終えるとき、大丈夫だと安心できるようにするのが、ご自身の、そして臣下の務めです」
「ヴィヴィアンヌ嬢、それはどういう」
ラシャード様が赤茶色の瞳をぱちくりさせながら、口をあんぐりとあけました。ふふ、可愛いですね。
もう彼の諦めに寄り添って泣くようなことはしないぞという強い意志を持って、涙を拭います。
「具体的に名案があるわけではないんですけどね。へへ。でも、『貴方の幸せがみんなの幸せだ』と、伝えられるだけ伝えたいなと思います。私がお城にいられるのはあと一週間しかないんですけど……お手紙を差し上げるくらいは、これからも許されますよね?」
ウルサラ王女殿下の披露宴の後、隣国デロアへと出発されたら私のレディズコンパニオンとしてのお役目も、ヴィーとしてのお役目も終わりです。
私にできることはほとんど何もないでしょう。権力を掌握せんとする悪心を見つける目もなければ、諍いを平定する力もありません。
それでも、アーベル様に「幸せになっていい」と伝えることくらいなら、できますから。
◇ ◇ ◇
ハモンド農園の屋敷へ戻って来て馬車を降りたとき、思いもよらない人物と遭遇してしまいました。
あとは王家の馬車へ乗り換えて帰路につくだけだというのに、ヴィヴィアンヌの姿でここにいるのを見られてしまうとは。
ラシャード様は折悪しく、馬を返しつつ出立の挨拶で屋敷の中へ戻っていらっしゃいます。
「これは運命でしょうか。天に祈りが通じたのですね。まさか貴女とまたお会いできるなんて」
右手を胸の下へ、もう一方の手はハットを取って大きく開いて。今日も芝居じみた大袈裟な動きで、ハリル様が深々とお辞儀をなさいました。
人好きのする笑顔にキザな言葉ですが、そろそろ私もちょっと慣れてきました。
動揺を抑え、できるだけ自然に見える笑顔で私も膝を折り腰を落とします。
「ハリル様にはご機嫌麗しく。運命ではなく偶然です。あまり変なお願いをしたら天の神々が困ってしまいますよ。本日はどのような用事でこちらへ?」
何度かお会いするうちに、ハリル様にはときめかないことを実感してしまったので、もう言いたい放題です。
紳士的なイケメンが歯の浮くセリフで口説いてくださるのは憧れだと思っていたのですが、どうも違ったみたい。
でもお友達になれたらいいですね。そしていつかは結婚式のプロデュースを任せてほし……本音が漏れてしまいました。
「偶然とはつまり運命ですよ、レディ。私はここへ花の買い付けに来たのです。この屋敷の敷地を囲むように大きな森があるのはご存知でしょうか」
「ええ。入ったことはありませんが、遠くに見えますね」
ダリアのある一帯よりもずっと西側と、そこから続くように北側一帯に広い森があります。どれだけの広さがあったか具体的には覚えていないのですけれど。
年に一度開催される狩猟大会に向けてこちらの森で練習をしたり、狩りを楽しんだりする貴族もいます。トルーノ様が寛容でいらっしゃるので、その門戸はかなり広いのですよね。
「花の目利きを従者に任せて森を散歩していたのですが、あまりに広くて迷子になりかけました」
「そうでしたか」
「でもとても楽しかったですよ。今度、貴女とご一緒したいなぁ。そうだ、貴女こそどうしてこちらに?」
話しながら、一歩ずつ近づいていらっしゃるのがどうにも気になります。
もちろん立ち話をするにも適切な距離というものがありますし、今はまだ少し離れていますから距離を詰めるのはごく自然なことなのですが。
指にキスをしたり背中に手を回したりという前科をお持ちなので、つい警戒してしまいますね。私のプライベートゾーンに入らないでほしい。
「あら。ギレーム様はお仕事の話をご家庭に持ち帰らないのですね。素晴らしいお心がけですわ」
ハリル様のお父上ギレーム様は、この国の宰相閣下です。ウルサラ様の披露宴がこの農園で催されることはよくご存知のはず。
ヴィーとヴィヴィアンヌが同一人物であることは未だにごく限られた人物しか知りませんから、レディズコンパニオンがここにいるというのは少々道理が通りません。
けれど、このように言っておけば事情があるのだと思ってくれることでしょう。
もちろん、これ以上突っ込んでくれるなという牽制も。
「ではお仕事熱心なレディ、気分転換にお散歩はいかがですか? せっかくこんなにも素晴らしい花畑にいるのですから」
ハリル様はさらに一歩大きく踏み出して横に立ち、長い手を私の腰へと回そうとなさいました。ほら言わんこっちゃない。思わず体が強張ります。
が、その手が私の体に触れることはありませんでした。
誰かが現れた気配に振り返ると、ハリル様の手首をねじり上げるアーベル様の姿。その後ろでは自動車が白い蒸気を噴き上げています。
「先日、触れるなと言わなかったか?」
「殿下に触れるなと言う資格はないと申し上げたはずですが?」
両者の睨み合いはそう長くは続かず、アーベル様はハリル様の手を離してから流れるような動作で私の手をとり、出立の準備を整えていた王家の馬車へ乗せました。
「少し待て」
アーベル様が私にそう言って扉を閉めたとき、屋敷からラシャード様が出ていらっしゃるのが見えました。
三名で何かお話をしているようでしたが、じきにアーベル様だけが戻っていらして私の対面に座ります。ちょっと怒っているようですね。
「帰るぞ」
「えっと、あの、殿下はなぜこちらに? 今いらしたばかりでは?」
ゆっくりと馬車が動き出しました。
窓から見る限り、ハリル様は屋敷へ入り、ラシャード様は愛馬で随行してくださるようです。自動車は馬車のずっと後ろに。
しばらくアーベル様の返答はなく、お互いに静かな馬車の中で外を流れる花畑を眺めます。
「……たまたま近くに来たから立ち寄った」
意外な返答に表情を伺いますが、そっぽを向いていらっしゃるのでよくわかりません。
「もしかして、私に会いたくなっ……なわけないですよね」
「寝言は寝て言え」
冗談でも言ってはいけない種類のセリフだったと気づいて、すぐに自分で否定したんですが改めて否定されると残念な気持ちになりますね。
嘘でも「そうだ」と言えるくらいの器の広さを求めたいところです。
そんな風に抗議をしようと思ったのですが、殿下の耳が真っ赤に染まってるのを発見して何も言わないことにしました。
だってすごく可愛いくて。
本当に深い意味もなく立ち寄ってくださったんだと思います。
強いて言えば護衛の一環で来てくださったのかもしれませんね。私の身辺には危険が多くなっていると先日もエナンデル公爵邸でおっしゃってましたし。
でもきっと、私の言葉でご自身の行動は勘違いをさせる可能性があるとお気づきになったんでしょうね。照れちゃってまぁ。
「はーい、寝まーす」
普段と違って余裕がないというか、新しい一面を見られてなんだか気分がいいです。
これ以上、真っ赤な耳を見てしまうのは申し訳ない気がして瞳を閉じました。




