第21話 少女の本音
……目の前には不機嫌な褐色肌の少女がいます。頬を膨らませて、私をチラチラと見ながら銀器をいじっている少女。
ここはエナンデル公爵のお屋敷で、私とお茶会をしてくださっているのはご息女のマチルダ様。お茶会と呼ぶには空気が張り詰めすぎていますけれど。
どうしてこんなことになっているかと言うと、アーベル様とラシャード様が内緒のお話をしたいのだそうです。
城内で話すことはもちろん、黒の騎士団のメンバーに聞かせることもできないと言うのだから、よほどのことだと思います。
お二人だけで外出されるのをお勧めしたのですけど、私の護衛も他者に任せられないと仰るので……。
つまりお二人のお話の中身も、このひっ迫した状況の理由も、ウルサラ様の婚姻に反対する勢力が関係しているのでしょう。
公爵家には公爵家の保持する騎士部隊があり、客人である私たちは公爵家に守られることになります。
というわけでアーベル様とラシャード様は私をサロンに置き去りにして、二人でお部屋に籠ってしまいました。
「マチルダはもう社交界に華々しくデビューした淑女なのだから、ヴィヴィアンヌ嬢をおもてなしできるよな?」
と、嫌がるマチルダ様に笑顔で圧力をかけて行ったラシャード様の表情が忘れられません。アーベル様はそのやり取りすら愛おしいとでも言いたげな瞳で眺めていらっしゃいましたが。
おもてなしをしろと言われたはずのマチルダ様は、口を噤んだまま私を睨みつけたりそっぽを向いたりとお忙しそうです。
とはいえ折れるのは私であるべき、なんでしょうね。社交界での経験値はさすがに私の方が積んでいますし、年齢も私のほうがずっと上ですから。
「あの、マチルダ様」
「あたしは負けませんから!」
真っ直ぐ私の目を見て睨みつけるこの少女は、ええと、間違いなく何か誤解していらっしゃいますね。
やっぱりアーベル様へ刺繍を差し上げた件でしょうか。
顎に手を当てつつ、どうするべきか考えてみます。
とりあえず事情があって刺繍を差し上げたことになっているけれど、私自身は殿下との将来を考えているわけではないとお伝えすればいいのかしら。
あ、でも刺繍を差し上げたか否かを私がここで明言するべきではないですよね。殿下には殿下のお考えがあるかもしれませんから。なかったことにするのか、返却というカタチをとるのか。
「マチルダ様。もし誤解があったらいけないので、一言だけお伝えさせてください。私は貴女様の恋路の邪魔をする気は一切ございません」
誠意を持って、しっかりと目を見つめてお伝えします。
私はただ、父と兄の出世を餌に役者をやらされているだけなのです、という念を込めて。口にはできませんが、伝われこの思い!
「そんなのわかってるわ! 当たり前のことでしょう。ヴィヴィアンヌ様がどう考えてるかなんて関係ないんだもの」
「あ、あー。そうですよね。おっしゃる通りでございま……え、ではどうして負けるとか負けないとか」
ちょっとよくわからないことになってきましたね。
公爵家と我が家では家格が違いますから、私の考えなどどうでもいい、気にならない、という意見には頷けます。公爵家の敵じゃないですもの。
でも敵じゃない相手に「負けない」と啖呵を切るのは謎です。
私が尋ねると、マチルダ様はまた頬を膨らませてそっぽを向いてしまいました。が、静かな室内に彼女の小声がこぼれ落ちます。
「だって彼は貴女が好きだから」
「はい?」
「彼の気持ち全部あたしが欲しいの。だから負けたくないの」
栗色の瞳に涙を浮かべたマチルダ様の表情は殺人級の可愛らしさです。これは、うん、心を奪われますね。胸が苦しい。
どうにか安心させなければ。アーベル様のあんな優しい表情と視線を受けて、彼の心が信じられないだなんて勿体ないことですもの。
「それは思い違いですわ。いいですか、巷に流れる噂を気になさる必要はありません」
真実を全て明かすことができないのが心苦しいですが、これでご理解いただきたいものです。
聖職者のように慈愛の気持ちを込めて微笑みます。迷える子羊が救われますように!
「噂ってなに? だって本人が言ってたのよ? ヴィーが好きって。ヴィーとはヴィヴィアンヌ様のことだとお兄様が言ってたけれど」
「はい? え? は?」
なんですか? 泥沼ですか?
いえちょっと待ってください。一体どこで殿下はそんなこと言ったんでしょう? いやほんと意味がわかりません。え?
我慢の限界だったのか、マチルダ様は瞳からぽろぽろと涙をこぼしながらまくし立てました。
「キュリオ様は銀髪のブライダルプランナーが好きだって。平民だからこの恋は許してもらえないかもしれないって。言ってたもの! だから、貴族として彼の前に出てこないで!」
「……ん?」
キュリオ様……?
私こう見えて記憶力は割といいんですよ。ええ。キュリオ様と言うお名前から思い出せるのは、王弟トルーノ様のご子息です。が、まさかね?
「え?」
マチルダ様も私の様子がおかしいことにお気づきになったのか、涙に濡れた瞳を上げてポカンとしていらっしゃいます。
「えっと、コベット公爵家のキュリオ様のことをおっしゃってます? 十二歳の?」
「もうすぐ十三歳だわ。彼が成人するまであたしはバカの振りをしたり、多くの殿方にとって奥方候補じゃなくて妹になるように振る舞ってるんだから。彼の前に出て来ないでほしいの」
「ええーっ!?」
まさかの衝撃の事実です。年下男子に恋してたんですか、それは想像していませんでした。わぁ、私すごく視野が狭いですね、うわぁ。
じゃあ、アーベル様は片思いってことになります……? だから結婚しないっておっしゃってたんでしょうか? ああもうよくわからないな。
不安そうにするマチルダ様に、キュリオ様には少なくとも私が特別な感情を持つことはないとお伝えしました。
貴族として彼に会わないとはさすがにお約束できません。今までは本当にたまたま、ヴィヴィアンヌとしてご挨拶する機会がなかっただけですから。
ただキュリオ様のお立場と比べれば、中堅伯爵家ではまだまだ家格が追い付いていない。つまり貴族と明かそうが平民と勘違いしているのと関係はたいして変わらないはずだと言うと、ほんの少しだけ笑顔が戻ってきました。
はにかむような笑顔を見せてくれるようになったマチルダ様とお茶をして、アーベル様とラシャード様が戻るのを待ちます。
二時間ほどしてようやく戻っていらしたお二人の表情は、お世辞にも良いとは言えませんでした。
「大丈夫ですか?」
「いや……うん、そうだな。状況は思ったよりずっと良くない。これからはより一層、俺とラシャード以外は信用しないようにしてくれ」
マチルダ様に聞こえないように囁いたその言葉は、つまり私たちのすぐ近くにも敵の影が近づいて来ていることを意味します。
ウルサラ様の披露宴まであと一ヶ月。
敵もなりふり構わなくなっているのかもしれません。気を引き締めていかなければいけませんね。
第二章ここまでです。
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