第20話 王子様の誕生日②
ハリル様はやはり慣れた様子でにこりと微笑みながら頷きました。
「いいえ、貴女という存在がそれほど大きいのです」
うん、男女の駆け引きを楽しむタイプとお見受けしました。もっと私に恋愛力があれば楽しめたのかもしれませんが、こんな手練れのお相手はできません。
しかもどうにかして私に触れようとする手を、さり気なく避けるのに必死で大変です。なんだこの水面下の攻防戦は。
「ちゃんとご挨拶したのは今日が初めてですのに。大袈裟に言い過ぎては信頼を失いかねませんよ」
「実は正式なご挨拶もまだなのですよ、レディ。私は宰相を務めるギレームが長男、ハリル・キャラックです。どうぞお見知りおきを」
まるで劇団の演技を見ているかのように大袈裟な手振りをつけて、深々とお辞儀をするハリル様。
それは気圧灯の明かりと周囲の薔薇の美しさも手伝って、雰囲気としては最高にドラマティックだったと思います。
これが騎士団の演武場であったなら、すごい大歓声が聞けたことでしょう。私でさえ、この現実感のない空気に恋愛物語の主人公になったような気持ちにさせられました。
少しぼーっとしてしまいましたが、高位の貴族から挨拶をいただいて返さないわけにもいきません。そっと息を整えて、私も礼を返します。
「丁寧なご挨拶、痛み入ります。ダルモア伯爵が次女ヴィヴィアンヌにございます」
「さぁこれで知らぬ仲ではなくなりました。話し相手になっていただけますか?」
柔和な笑みを浮かべたハリル様が背中に手をまわし、奥の四阿を指しました。
芝居がかった動作のひとつひとつが乙女心を刺激する一方で、距離の詰め方が急すぎるのが恐ろしくもあるというか。
それに、私がこうしてほしいと思う相手はハリル様ではなくて……。もう、なんでここでアーベル様の顔が思い浮かぶかしら。
こんなことなら、ラシャード様にはついて来てもらうべきでしたね。
「えっと、申し訳ありませんが――」
「ハリル、その花は王室が招致した大切な客人だ」
背中に回された手が離れると同時に、心地いいバリトンボイスが耳を打ちました。
はっとして振り返ると、そこにはアーベル様の姿。
「何も取って食おうというわけではありませんよ、殿下。それに彼女は王女殿下のご友人であって、貴方が口出しなさることではないでしょう」
「ハリルは社交界きっての事情通だと聞いていたが、違ったかな」
「ええ。だからこそですよ。噂はあてになりません。だってこんな素敵な方から本当に刺繍を受け取ったなら、婚約に向けて動かないなんて現実的じゃありませんよね」
私には見えますよ、見えてしまいます! お二人の間にバチバチと弾ける火花チックな何かがあるのが! なんというデジャヴでしょうか。
この人たち、仲悪かったんですね。まぁ気が合うとは到底思えませんでしたけれど。
「それは短絡的思考と言わざるを得ない」
「どちらにせよ、婚約をしていないのだから彼女のプライベートに殿下が口出しすることはできません。……ま、今夜の目的はご挨拶でしたから大人しく引き下がるとしましょうか」
こちらに向き直ったハリル様が私の手をとろうと腕を伸ばします。
私知ってますよ、これ。ヴィーのときにされましたから。指先にキスの挨拶をしていくやつです! 求めてもいないのに!
ヒュっと息を飲んだ私の身体を、アーベル様が抱き寄せてハリル様から引き離しました。
「さっさと行け」
「仰せのままに。それではレディ、またお会いしましょう」
アーベル様にニヤリと笑ってみせてから、何事もなかったように去って行きました。その視線や身のこなしは美しいのですが、どことなく蛇を思わせます。
「何もされてないな?」
「えっ? あ、はい。おかげさまで大丈夫です。助けていただいてありがとうございました」
あ。なんだか不思議ですね。さっきまでのモヤモヤやイライラがどこかへ行ってしまいました。
助けに来てくださったからでしょうか。それともちゃんと、「特定の誰か」のように扱ってくださったからでしょうか。
「あいつは蛇よりしぶといからな。今後は俺やラシャードから離れないでくれ」
「そういえば、もしかしてちょっと怒ってましたか? 『怒らせたら物理的に首が飛ぶ』だなんて皆さんが怯えるのが、ちょっとわかった気がします」
「ふざけたことを」
おっと。この手の冗談は通じないようですね! お口は閉じておきましょう。
アーベル様が「少し歩こう」と私の手をとりました。さっき、ハリル様に触れられそうになったのがすごく嫌だったのに、不思議と殿下は大丈夫です。
「マチルダ様はアーベル様のこと大好きなんですね」
「あれは末恐ろしいぞ。ラシャードの周囲の男たちを誰彼かまわず虜にしていく」
ふっと笑った殿下の表情が少し誇らしげに見えました。ただ、よくわからないのですけど、俺は彼女の虜だと言ったっていう理解で合ってますよね?
沈黙が続く中で、あっという間に四阿に到着しました。アーベル様にエスコートされるままベンチに座ると、肩に殿下のジャケットが掛けられます。
なんだかまたモヤモヤしてきました。ただ役をこなしているに過ぎない私に、優しくしてくれなくていいのに。
「殿下はどうしてご結婚なさらないんですか?」
マチルダ様の成人を待っていらっしゃったんでしょうか。それにしても少し腑に落ちない部分はあるのですけど。
殿下は一瞬だけ言い淀むと、真っ直ぐどこかを見つめながら口を開きます。私には見えない何かを見ているようでした。
「明日には俺が死んでいるかもしれないからだ」
答えになってない。そう思いました。
王族ですから普通の人より命を脅かされることは多いでしょう。騎士団長として前線に赴くのですから、他人より危険と隣り合わせの日々を送ることもあるでしょう。
それでも王族の多くは、騎士の多くは、それを理由に家族を持つことを諦めたりはしません。
私が何か言うより前に、彼は私の目を見つめて別の質問をぶつけました。まるで、これ以上触れないでほしいとでも言うように。
「ところで敏腕ブライダルプランナーはどんな結婚式を理想に描くんだ?」
「理想はありません」
「は?」
お客様にもよく聞かれるのですよね。腕もセンスもいいプランナーが理想とする結婚式を参考にしたいからと。
私はお客様方の理想をお伺いして、それを具現化するのがとても楽しいのです。おひとりおひとりの理想は、それぞれとても素敵で。私の手でそれをもっともっと素敵にするのが好きなのです。
でも、私自身は……。
「愛する誰かがいないと浮かばないと思うのです。二人の結婚式なんですから。相手のいない私が結婚式を語っても、それは理想ではなく偏った自己愛に過ぎません」
「ふっ。お前らしい回答だな。だが、確かにその通りかもしれない」
優しく微笑んだアーベル殿下は、ぼんやりと空を見上げます。
夜空にはたくさんの星が瞬いていて、その光に照らされた雲は羊みたいにふわふわして見えました。
ああ、アーベル様には理想の結婚式があったのでした。その通りだとおっしゃったということは、殿下の胸には愛する誰かが思い浮かんでいるんでしょうね。
どうして、この横顔を眺めていると息が苦しく感じるのでしょうか。




