第14話 現実逃避①
ご本人から聞いていた通り、ウルサラ王女殿下は来たる隣国での婚姻の儀に備えてお忙しくしていらっしゃるようです。
私が王城へ来てからひと月が経過して、レディズコンパニオンとしてのお仕事をしたのは、今のところお茶会を一度だけ。
一方で、私もジョーディー殿下のサインが入った披露宴の正式な契約書類と、委任状をいただいたので大忙しなのですよね。
なんの委任状かというと、演出に関する全ての決定権をウルサラ様およびアーベル様に移譲するというもの。これで全ての確認を国内で済ませることができます。
できればご本人に全て目を通していただきたいんですが、今回は仕方ない。
「はい、ではそのように」
「お手数ですがよろしくお願いします」
大柄な見た目のイメージとは裏腹にきびきびと折り目正しい礼をして席を立ったのはマーノ・ヴィンバリ男爵。
お料理の腕で一代爵位まで与えられた方です。よくお声を張り上げるのか、ガラガラと濁った声をしていらっしゃいますが、不快ではありません。
最初の打ち合わせのときには、獲物を見つけた熊のような瞳で私を睨みつけてくださったので、おしっこ漏らすかと思いました。
彼はこの王城の総料理長ですから、披露宴でお出しする食事について私のような得体の知れない人間と打ち合わせをすること自体、お気に障ったのでしょう。
けれど……。
「ヴィヴィアンヌちゃんよ、新しいデザート考えたんだけどあとで感想聞かせてくれるか」
「ええ、よろこんで!」
熊みたいな男爵様は照れくさそうに可愛く笑って出て行かれました。
背後で控えていたラシャード様がピュウと口笛を吹きます。
「誰にも笑わないって評判の偏屈オヤジの心を、どうやったら掴めるんです? 魔法使いですか?」
「別に、『あなたのせいで太った』と文句を言っただけですわ。ついついたくさん食べ過ぎちゃうんですもの」
「ええ……?」
「貴族の食事はたくさん作ってたくさん残すでしょう? 残すように作るんですからそれはいいのだけど、主人がその料理に満足しているのか否か、伝わりづらいのだと思います」
ラシャード様は思い当たるふしがあるのか、柔らかく微笑まれました。
美味しいよと毎日伝えたりはしないですものね。それに、キッチン内では料理長として怖いお顔もしていないといけないでしょうし。お仕事に真面目だからこそ怖がられてしまうんでしょうね。
「さぁ次は衣装担当のリーゼ夫人とお打ち合わせです。デザートを楽しみに頑張りましょう」
「うえー。ほんとに休む暇ないですね」
「王女の披露宴ですから。……まぁ、その後の僕との打ち合わせはお休みにして差し上げてもいいですよ」
オバアチャンのように肩や腰に手を当てて身体を折り曲げる私に、ラシャード様がご慈悲をくださいました。
日々、各パートの責任者と綿密な打ち合わせを行い、ウルサラ殿下の披露宴に向けて準備を進めています。
がんばって考えたプランが少しずつカタチを整えていくのは楽しいですし、この仕事の醍醐味のひとつだと思うのですよね。
ただ、おかげさまで肩は凝るし腰は痛いし、階段の上り下りで違和感を覚えるほど筋肉が衰えている……。運動がしたいです。お散歩したり、走り回ったり大声を出したり。
「ほんとですかっっ」
「実は僕もちょっと急ぎでアーベル様と話をしなければならなかったので、丁度いいのです」
思わず立ち上がってラシャード様を振り仰ぐと、クスクス笑って肯定してくれます。
ヤッタ! 久しぶりの自由時間ですっ!
どうしましょう、何をしましょうか。やっぱりお散歩ですよね。城内のお庭を歩くのもいいし、出入りする方々の衣装から流行を探るのもいいし、または……。
「ヴィヴィアンヌ様、リーゼ・ペッカがまいりました」
「どうぞ」
ノックに続いて、よく通る高い声が響きます。
窓を開けて深呼吸ひとつする暇がありません。この次の時間を休憩にしていただいて本当に良かった。
◇ ◇ ◇
待ちに待ったお休みです!
私はいま、なんと、ブライダルショップ・アンヌに来ていますっ!
いやー、羽根を伸ばし過ぎた自覚はあるのですが、我慢ができませんでした。
王城へ連行されたときはとても急で事務所の整理が何もできず、マリーンに丸投げしてしまいましたし。マリーンの顔も見たいですし。
「えっ! ヴィーさまじゃないですか!」
「マリーンんんん! 元気だった? ちゃんとご飯食べてる? 少し痩せた?」
「くっそ忙しかったですからね! オーナーが突然いなくなるので!」
店の扉を開けると同時に、マリーンのお小言が飛んできます。ああもう懐かしくて泣いてしまいそう。
マリーンはまるで条件反射のようにコーヒーメーカーのスイッチを入れてくれました。歯車がくるくる回って豆を挽き、湯を沸かし、自動で美味しいコーヒーが出来上がる便利グッズです。
独特の芳醇な香りが店内に広がって、深く深く息を吸いこみました。
「ヴィーさまお忙しいのに、よくコッチまで出て来られましたね。出勤許可出たんですか?」
「ん? ……んー、きゅ、休憩もらったの」
「休憩? 休日、休暇ではなく?」
「紺のツーピースと黒縁メガネ持って来ててよかったなーなんて……えへ……」
お水がなみなみと注がれたグラスが目の前にドンと置かれます。跳ねた水が紺のジャケットに染みを作りました。
マリーンが顔を寄せて睨みます。こわい。
「まさか、黙って出て来たわけじゃないですよね?」
「あー……黙ってっていうか言いそびれた、かなぁ……? あ、ねぇホラ帝国のお家騒動かなり大変みたいね」
目の前にあった新聞を広げて見せて、マリーンの意識を私の逃亡劇から引き離そうとしたのですが、失敗に終わったようです。
逃げるように階段を登って執務室へ向かいました。
現在お受けしている案件の進捗を確認して、マリーンと打ち合わせをしないといけませんからね。
部屋に入ってソファーにかけ、改めて新聞を広げます。
アーベル様がずっと戦っていた帝国は今、先の皇帝の弟が蜂起して内乱が起きているとのことです。
「例えばトルーノ様が武力で玉座を簒奪しようとするって考えたら、確かにとんでもないことだなぁ」
平和な国でよかったと思います。そして、平和を維持するために尽力してくださる全ての人に感謝を。




