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第二十九話『巨大な魔獣』

前半は一成視点。後半はロンダ視点にてお送りします。

屋敷を出ると 、大小二つあるお月様が宵闇を明るく照らしていた 。


虫の声が聞こえる中では 、犬や猫とは明らかに違う獣の声がする辺り 、ここはつくづく異世界だと思う 。


蛍は扉も閉めずに屋敷から飛び出して行ったらしく 、外へと繋がる扉が開いたままになっていた 。


「オキタ様 ! お嬢様が明かりも持たずに飛び出して行かれて ! 今ロンダが後を追っていますが 、この辺りには魔獣も……」


おろおろとするノアさんがエントランスに降りてきた俺と美枝子に駆け寄ってきた 。


「あのバカ ! ここは安全な日本じゃないのに !」


この屋敷から向かえる人の集まる場所は城下の街しかないが 、街に入るまでは街灯なんてない 。


二つの月のお陰で夜道は明るく歩きやすいが 、それでも街まで出るにはしばらく歩かなければならない 。


街道の両側には鬱蒼とした森林が広がっており 、ノアさんは魔獣が出ると言っている以上一人でフラフラと出歩くのは危険だ 。


近所のコンビニまで買い出しに行くのとは訳が違う 。


咄嗟に屋敷勤めでタマさまの護衛兼執事である竜人のロンダさんが蛍を追ってくれたようだが 、何かあってからでは遅い 。


美枝子と屋敷を出た直後 、甲高い悲鳴と獣の咆哮が上がった 。


「蛍 !」


俺は悲鳴がした方角へ走り出した 。


それは街がある方角ではなく 、街道から逸れた森の奥から聞こえてきた 。


「一成さん ! 今の悲鳴は」


「あぁ 、考えたくはないが蛍だろう」


逸る気持ちを抑え込み 、隣を走る美枝子と共に木と木の間をすり抜けて走り続けた 。


頼む無事でいてくれ !


ひたすら走り 、微かに鉄臭い血の匂いがし始めると 、目の前が開けた 。


そこには血塗れで蛍を背中に庇いながら 、大きな銀色の狼のような魔獣と対峙するロンダが抜き身の剣を構えている 。


ロンダの足元には無数の黒い犬が切り捨てられ 、ピクリとも動かない 。


「蛍 !」


「パパ !」


名前を呼ぶと恐怖に曇った顔をパッとこちらに向けて俺を呼ぶ 。


新たに現れた俺たちに気が付いたのだろう 。


狼は警戒するように唸り声をあげると 、こちらに標的を変えたのか突進してきた 。


「ちっ ! オキタ様 ! お逃げください !」


ロンダさんが舌打ちすると 、狼を止めるべく俺たちの間に割り込もうと走り出したが 、やはり怪我を負っていたのだろう 。


重心を崩して地面に倒れ込んだ 。


みるみる迫り来る銀色の巨体の迫力に 、無意識に下がりかけた足を踏みしめて 、俺は狼の鼻っ柱目掛けて思いっきり右手の拳を突き出した 。


「お座り !」


******


私の名前はロンダ・ヤンガ 。 ドラゴニュートのヤンガ族の族長で現在タマ・ニャルダ様の筆頭執事として働いている 。


ヤンガ族は古くから古龍の血を引く種族でヤンガ山脈の頂きに近い土地に住み着いた一族だ 。


土地柄 、人の出入りも少なく 、年に一度冒険者が訪れればいい方だ 。


長年一族の中で婚姻を繰り返してきた為 、地上で暮らし 、他の種族との婚姻を続けたドラゴニュートよりも始祖の恩恵が色濃く残っている 。


頑健な肉体や魔素の感受性に優れた一族であるのも特徴の一つだが 、それが仇となった 。


地上で暮らすドラゴニュートは平均寿命が百二十年と言われている 。


その中でもヤンガ族のドラゴニュートの寿命は長寿と有名なエルフに遠く及ばないが 、それでも人族の二倍はある 。


ヤンガ族はその高い身体能力を得るかわりに 、魔素の急激な減少という環境の変化に耐えられず 、体の弱い子供や老人が次々と犠牲となった 。


私は一族を守るべくヤンガ族を連れて山を降り 、地上で暮らすことに決めたが 、地上は戦乱を極める場所だった 。


あまりにも違う文化や思想に翻弄され 、それでも迫害されずに済んだのは高い戦闘力のお陰としか言えない 。


地上の国々では物々交換ではなく貨幣での取引が主流だったため 、ヤンガ族の若者は貨幣を得るために皆戦に駆り出された 。


棲み家を得るために国の要請に応じていたが 、戦争によって魔素が使い尽くされ 、次第に地上の魔素も枯渇していった 。


次々と倒れていく同胞の姿に魔素が多く残る土地への移住を目指して 、様々な土地を渡り歩いた 。


そんなとき出会ったのがタマ・ニャルダ様だった 。


タマ様が案内してくれたこの国に移住を決めて 、一族を迎えに戻ると 、そこには既にドラゴニュートは一人もいなかった 。


私がいない間に 、魔素を操り戦っていた魔術師が魔術を使用できなくなり 、ヤンガ族の戦闘力を主力にと考えた人族の手によって 、多くの同胞が戦奴隷として連れ去られた 。


絶望にうちひしがれる私を執事として屋敷に招いてくれ 、仲間を探す手伝いを買って出てくれた 。


毎年少しずつ奴隷競売に売られるヤンガ族を見つける度に買い戻すことができているのもタマ様のお陰だ 。


そんなある日タマ様が異世界から連れてきた人物が 、カズナリ・オキタ殿だった 。


屈強なドラゴニュートからすれば折れてしまいそうなその男は 、人族の壮年期にあたると言っていた 。


この滅びに向かう世界を救ってくれるとタマ様は言うが 、身体を鍛えてすらいないだろう肉体は衰えており 、本人もあまり偉そうにしないため 、ごく平凡な男にしか見えなかった 。


屋敷に自分の家族だとご婦人を一人と御令嬢を一人連れて滞在されるようになったある日 、事件は起きた 。


オキタ殿の御令嬢が夜遅くに突然屋敷を飛び出して行かれたのだ 。


屋敷は城下街から離れたところにあり 、また屋敷の周りを取り囲む森には魔素を求めて各地から多くの魔物が住み着いている 。


ここのように魔素が豊富な場所はおおむね似たような状況にあるようだが 。


御令嬢……ホタル様は追い掛ける私を振り切ろうとなさったのか 、あろうことか突然森の中に向かって走り出してしまわれた 。


追い掛けるうちにホタル様が張り出した木の根に足を取られて転倒してしまったのだ 。


痛みに呻きながら動けない様子のホタル様に駆け寄り抱き起こしたところで 、“やつ”はノソリと私達の前に現れた 。


銀色の体毛をもつ巨大な狼 、数多のA級ベテランの冒険者を屠ってきた危険な魔獣 。


“フェンリル”


本来ならばこんな人里に現れるような魔獣ではない 。


俺たちと同じようにフェンリルもこんな人里に下りなければならない程に棲み家の魔素が不足してしまったのだろう 。


ホタル様は恐怖に悲鳴をあげ 、私は慌てて彼女の口を塞いだ 。


今やつを刺激するのはまずい !


ホタル様の悲鳴に刺激されフェンリルの足元からは黒い毛皮のイヌ科の獣や魔獣が複数現れた 。


どうやら私たちは小さな彼らの縄張りを荒らしてしまったらしい 。


「ホタル様 、私が時間を稼ぎますのでお逃げください !」


いつも帯剣しているヤンガ族の両刃の長剣を鞘から引き抜き 、フェンリルに向けて構えた 。


「そんな ! それじゃぁ貴方が !」


私一人でどこまで耐えられるかわからない 。それでも !


「早く ! 行けぇぇぇ !」


私が発した言葉と同時に黒い犬のような獣が一斉に襲い掛かってきた 。


襲い来る獣を斬りつけ 、剣についた血液を振り払い地に沈めた 。


「キャァァァ !」


背後から上がったホタル様に迫る狼 。


「しまった !」


私はなんとかホタル様を噛みつこうと開かれた狼の口に自分の腕を捩り込む 。


剣を持つ腕に鋭い痛みが走る 。


皮膚を食い破り鋭い牙が腕に刺さった 。


「ちっ ! やぁ !」


狼を蹴り飛ばして距離を取ると 、恐怖で動けないホタル様を背中に庇いながら後ずさる 。


先ほど噛まれた腕の出血が酷い ……あまり長くは持たないだろう 。


血が足りないのか次第に意識が混濁しはじめた 。せめてホタル様だけでも逃がさなければ……


「蛍 !」


「パパ !」


少し離れた場所から現れたオキタ殿に気が付いたホタル様がオキタ殿を呼ぶと 、フェンリルがオキタ殿に標的を変えた 。


「ちっ ! オキタ様 ! お逃げください !」


オキタ殿ではフェンリルに勝つことはできない 。私は無意識に舌打ちすると 、走り出したフェンリルを止めるべく 、足を踏み出したが 、数歩進んだところで膝から力が抜けて地面に倒れ込んだ 。


こんな時に !


そうしている間にもフェンリルはみるみるオキタ殿との距離を詰めた 。


疾走する銀色の巨体を前に動じることなく右手をあげると 、オキタ殿はフェンリルの鼻っ柱目掛けて思いっきり 、自らの右手の拳を突き出された 。


「お座り !」


オキタ殿の拳は吸い込まれるようにフェンリルの鼻を殴打し 、フェンリルの巨体が勢い良く背後に吹き飛ばされ 、木々をなぎ倒して停止した 。


私は夢でも見ているのだろうか……たった一撃であの危険な魔獣を吹き飛ばす者がいるなど信じられなかった 。


一体あの細腕のどこにそれほどの力を秘めているのか 。


フェンリルはふらつきながら立ち上がり 、ゆっくりとオキタ殿の前にやって来た 。


「なっ ! まだやるか !?」


拳を握りまるで隙だらけな姿で臨戦態勢を取るオキタ殿の前に巨体を伏せると 、フェンリルは自らの柔らかそうな腹部を上に向けてオキタ殿の前に身体を晒した 。


それは自分の主人に対する服従の証 。


「美枝子 、どうしよう…… ?」


「とりあえずロンダさんの怪我を直してから考えましょう ?」


「それもそうだな……」


頭をポリポリと掻きながら困り顔でいたオキタ殿の様子を最後に私は意識を手放した 。

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