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93.くそ真面目

「トロイエ、敵は森の民と同じ力を持っている。警戒を怠るなよ」

「任せてください、兄貴」


 マインツ選帝侯がいるとみられる聖都の方へと向かう。だが、いかんせん情報が乏しすぎる。いつ襲われるか分からない。警戒は必須だ。


 だが敵も俺を警戒しているはずだ。教会が大金をかけて研究している魔力を俺は自由に扱える。俺の脅威は学問の観点からも知られている。


 情報や土地についての優位性を持っている敵が、俺や皇帝のような人物を始末する最も確実な方法は__


 ラバが騒めきだす。


「来ました!」

 アクア教の紋章を刻んだ鎧をまとう軍が一気に仕掛けてきた。やはり魔力を持っている。


「重装隊!前へ!」

 より重い装備を付けたブランデンブルク軍が敵と自軍の間に入る。敵の前衛は弓兵だ。普通の戦いならこれでだいぶ優勢なのだが、敵は選帝侯だ。


「放て!」

 敵の矢が一斉に放たれる。魔力が籠った思い矢だ。鎧を砕き、前に構える重装隊を崩していく。


「森の民とは違うっすね」

 トロイエが言った。同じ魔力でも野生の本能のまま用いていた森の民と、ひたすらに戦術を磨く選帝侯の軍では質が全く異なる。母が聖戦で弓矢の有用性を神聖帝国に知らしめたように、道具は使いようによって化けるのだ。


「このままだとジリ貧だな。ここは動かないと」

 俺はトロイエにアイコンタクトを送る。


「バランタイン様」

 サラが俺の手を握る。

「大丈夫」

 心配そうな顔をする彼女に、俺は笑顔で言った。いつも俺のそばにいてくれた彼女にとって、戦えないこの状況は辛いだろう。だからこそ、俺が気丈に振舞わなければならない。


「軽装騎馬隊!敵の側面を取れ!」

 トロイエが騎馬隊を左右から走らせる。敵の弓兵が前方の重装隊に集中している隙に、側面から敵を叩くと言う作戦だ。肉を切らせて骨を断つという訳だ。


「全軍、前進!」

 トロイエが軍を前進させる。騎馬隊による急襲によって敵陣が乱れたところに総攻撃をかけるためには、出来るだけ敵陣に寄る必要がある。猛烈な矢の雨を浴びながら、ブランデンブルク軍はゆっくりと歩を進めていく。


「サラ、トロイエのそばに」

 俺が言うと、サラは頷いた。

「お気をつけて」


 サラはトロイエとともに、ゆっくりと前進する軍に帯同した。俺は馬に乗り、軍から離脱する。この馬はジギルとハイドの子供で、名前をセレネという。俺とサラも長かったが、ジギルとハイドがくっつくにも時間がかかったようだ。

 ハイドの気持ちが、やっとジギルに伝わったようだった。



 ”くそ真面目”と言われる選帝侯を相手にするわけだ。敵は確実に俺を殺す作戦を練るはず。前線に強力な弓兵を置いて足を止め、焦れて動いた軍は前へと注力する。


 ひゅんと、何かが風を切る音がした。高くて小さな音は、一般人にとってみれば取るに足らないものであるが、騎士にとっては恐怖そのものと言える。


 俺は反射的に、その剣を受け止めた。

「読まれていましたか」

「残念だったな」


 俺の反撃よりも先に、マインツ選帝侯は距離を取った。


「来ると思ったよ」

「最善手のつもりだったのですがね」


 マインツ選帝侯は諦観か、はたまた苛立っているのか、ため息をついて頭を掻いた。


「残念だけど、俺はもう以前のように優しい人間じゃない。支援をしてくれた恩なんてものは関係ない、裏切り者は殺す」

 俺は剣を構える。一撃で殺してやる。友人の怪我のけじめは安くない。


「そのようですね」

 マインツ選帝侯は構えを解いた。

「言い訳なら聞くぞ」


 マインツ選帝侯が裏切った理由は謎だ。くそ真面目と呼ばれるこの男が、なぜ教会全体で支援をしている俺と敵対したのか、その理由を知りたい。


「言い訳も何も。私はアクア教を正しく導くだけです」

 マインツ選帝侯は首を傾げる。


「どういうことだ?」

 俺は剣を構えたまま尋ねる。


「祝福は__人間が扱ってはいけない代物です。ましてはあなた達俗世の人間が。だから私はファルツ選帝侯と協力し、前皇帝や現皇帝、そしてあなたを殺すことにしました。彼は乱暴者ですが、利害が一致しましてね。神がもたらした祝福を使わずに皇帝になろうとしている。これぞ俗世のあるべき形です」


 マインツ選帝侯は饒舌にしゃべる。

「ではどうして、ブランデンブルクの援助をしたんだ?」


「それもまた教会のためですよ。実際、テンプル騎士団とヨハネ騎士団は良い働きをして下さいました。私の想像以上です。ヨハネ騎士団に現皇帝が帯同したことは予想外でしたがあなたの妹と皇帝がくっついたおかげで、結果としてはやりやすくなりましたよ」

 マインツ選帝侯はにやりと笑った。


「それで、皇帝や俺を殺してどうするつもりだったんだ?」

 彼の笑みかき消すように、圧を強める。


「あの教皇を引きずり下ろし、私が教会を導きます。主のための教会という、あるべき形に戻るのです」

 マインツ選帝侯は手を広げ、声を張って言った。


「ずいぶん俗世的で傲慢だな」

 言うと、彼はにやりと笑った。


「いいえ、私以上に謙虚な人間はおりませんよ。バランタイン殿。忍耐こそが、才能に勝つ術」

「はは。くそ真面目とは程遠い発言だな」

 言い訳は聞いてやった。もういい。こいつは殺すだけだ。


「突っ込んでくる相手ほど楽な相手はいませんね」

「は?」

 彼は余裕の表情を崩さない。


「臆病なときのあなたの方が、何倍もやりずらかった」

 マインツ選帝侯は呟く。


「前にも申し上げましたが、後ろには気を付けないといけませんよ」

 そう言われると、先ほどまでは持っていなかった嫌な予感が急激に込み上げる。俺は後ろを振り返る。



「すいません。兄貴」

「なっ__!」



 前進していたブランデンブルク軍はサラに刃を向けていた。








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