91.一生懸命
「俺たちは、マインツ選帝侯とファルツ選帝侯を倒せばいいわけか?」
俺は皇帝に尋ねた。それに答えたのはアマレットだった。
「ただ倒すだけじゃだめ、オルが国王から皇帝に即位した今、神聖帝国をまとめ上げるに足りるだけの威光を表さないといけない」
「威光?」
俺は繰り返した。
「ファルツ選帝侯を殺すのは問題ない。政権争いだと世間は分かってくれる。だけどマインツ選帝侯は違う。彼は教会側の人間よ。それを皇帝が殺したとなれば、世俗と教会の対立が深まり、民衆からの不満も高まる」
俺は腕を組んで考える。やることが多い。敵を倒せばそれで終わりという、今までのやり方は通用しないという訳か。
「どうすればい?」
俺はアマレットに聞き返す。
「単純よ。前皇帝はファルツとマインツの裏切りによって殺されたと世間に知らしめればいいの。皇帝を暗殺した不届き物を、新皇帝のオルが成敗したと周知させる。教会に対しても世俗に対しても、新皇帝は帝国への不敬を許さないという姿勢を示すことが大事」
アマレットは皇帝を見た後、俺に視線を移した。
「そのためには__お兄ちゃん。その__」
アマレットは言いにくそうにする。ああ、俺の妹は変わらず優しいな。
「大丈夫。任せとけ」
俺はアマレットの頭を撫でる。嫌がると思ったが彼女は受け入れた。
「全員殺せばいいんだろ?」
アマレットは小さく頷く。
「冷酷な君主の方が、安定する。それに向こうの陣営が誰もいなければ、皇帝オルダージュ・ブランデーに反発する者はいなくなる」
合理的だ。残酷なまでに。昔の自分であれば断っていたかもしれない。自分たちの利益のため、いたずらに命を奪うこと、気楽に生きることの正反対に位置していると考えていただろう。
「大丈夫ですか。バランタイン様」
サラが心配そうに俺を見る。
「うん。大丈夫」
俺はサラの頭も撫でた。
「というかお兄ちゃん。サラお姉ちゃんと付き合っているの?」
大体の話がまとまったので、俺のプライベートのことへ、アマレットは話題を移した。
「うん。これが終わったら結婚するんだ」
俺がアマレットに伝えると、彼女と皇帝は拍手をした。
「まあ、そうなると思ったわ」
アマレットは皇帝と目を合わせ、頷き合った。アマレットはサラを見る。
「これからは本当に、お義姉さんになるということ__ですね?」
妹は兄の許嫁への言葉遣いに戸惑っているようだ。
「アマレット様、私にお気遣いしなくても結構ですよ。今まで通り、私はラムファード家に忠誠を誓っていますので」
サラはにこりと笑った。アマレットの顔が明るくなる。
「うん!これからもよろしくね!お兄ちゃんに意地悪でもされたら、私がひっぱたくから!」
部屋に響く高い声で、アマレットは言った。俺が意地悪するわけないだろうに。まあ、仲がいいに越したことはない。
「早速引っぱたこっか?」
アマレットはひそひそ声で、だが俺に聞こえるようにサラに耳打ちする。
「いえいえ、今は目の前のことに集中なさっているので、仕方がないですよ」
サラが返す。
「お兄ちゃんは尊敬しているけど、こういう所は本当だめね」
またもや女子トークが俺の前で繰り広げられている。二人の会話はブランデンブルクのことから、流行りの服装まで多岐にわたった。そこには選帝侯並みの剣技を持つ女騎士と、卓越した頭脳を母親から引き継いだ騎士団長の姿は、そこにはなかった。
「それで、皇帝さんよ。君は妹とどういう関係なんだい?」
俺は皇帝の横に座った。皇帝は鼻を触りながら考える。
「君には悪いと思っている。でも、本気なんだ」
彼はアマレットを見た。
「確かにきっかけは僕からじゃない。でも、一緒にいて僕もいいなって思ったんだ。あんなにいい子は他にいない。人をよく見て、賢くて、優しくて、でも少し頑固で不器用で」
俺は何度も頷いては彼の話を聞いた。よくわかっているじゃねえか。
「なんで僕なんかにっていつも思っているよ」
彼はなくなった粥の容器を見ていた。
「僕は決めた。アマレットと幸せになれる帝国を作るって。せっかく皇帝になったんだ。やりたいようにやるさ」
俺は彼の宣誓を黙って聞いていた。
「そこまでいうなら、俺はもう何も言わないよ」
俺もアマレットの方を見る。
「いいのか?」
皇帝は俺に顔を向ける。
「お前ならいいさ」
短く、俺は二人の交際を容認した。まあ、本人たちの自由意志であるため、本来は俺が認める意味など何もないのだが。まあ、友人と妹がくっつくとなれば、一応話を通しておくのが礼儀にはなるのだろう。
律儀な奴だな。お前も。正直なところ、反対する気持ちなんて一切ない。むしろこれ以上ない組み合わせだと思っている。
だが、あれだけお兄ちゃん、お兄ちゃんと言っていたアマレットが大人になったという事実を受け入れることの方が難しかったのだ。アマレットを守るためにいろいろ頑張ってはいたが、実は俺の方が守られていたのかもしれない。かわいい妹は、意思を持った女性となったのだ。まあ、これも俺の傲慢なのだろう。最初からアマレットは強かったしな。
「ありがとう。アマレットは僕が守る。だから、彼女のことは心配しなくていい」
皇帝の言葉に頷き、俺はサラを見た。妹は自立し友人の元へ行った。俺の守るべきものはサラだけになった。普段は頼りになるが、こういう状況では、俺が頑張らないと。
守るべきもの。体調不良。隠し事。
俺は立ち上がり、サラの肩を掴んだ。
「わっ。びっくりしました。どうしたのですか?」
俺はサラの顔を見て、抱きしめる。
「ごめんなサラ。察しが悪くて」
俺は鼻をすすり、頬にくすぐったい感触を覚える。泣いていた。
「いえいえ。目の前のことに一生懸命なところが私は大好きですから」
サラは俺の身体を抱きしめ返す。
「いつ知ったの?」
俺は尋ねた。
「トロイエがブランデンブルク軍を整備し終えたあたりです。安心したのでしょうね」
サラは落ち着いた声で伝えた。確かに、あの軍があればサラがいなくても武力としては十二分だ。
「幸せですね」
サラもまた、震える声で言った。彼女の目にも涙が浮かぶ。
「うん__うん」
俺は鼻をすすりながら、何度も何度も頷いた。
「ありがとう__ありがとう」
膝から崩れ落ちた。サラは俺の頭を撫で、アマレットは手を握り、オルダージュは俺の背中を叩く。
俺は片手で、サラの腹に触れる。魔力は感じない。だがそこには生命がある。直感が俺にそう伝えてくれる。
大切なものが、守るべきものが、また増えた。




