80.自覚
-バランタイン-
よく知っている天井だ。
目が覚めると、俺はブランデンブルク城の自室に横になっていた。
「気が付きましたか」
サラが傍らにいる。体中が包帯に巻かれ、痛々しい。
「森の民は?」
俺が持っていた最後の記憶は、森の民との戦闘だった。サラを追いかけて森へ入って__サラを助けたんだったよな?
「もう終わりました。すべて。ゆっくり休んでください」
サラはそれ以上のことを俺に伝える気は無いようだった。それに俺の関心は目の前の事柄でいっぱいだ。
「怪我は大丈夫?」
「ええ。ソーニャ様たちが手当てをしてくれたので」
よかった。自分の大事な人は生きていた。それだけが大事だ。
「そっか」
しかし、俺の安堵とは裏腹に、会話は沈黙。普段なら俺とサラは他愛のない話を繰り返すのだが、今は言葉が空に消えていくような感覚に陥る。
「あ、そうだ。キャスおばさんは?あの人は無事?」
そう言うと、サラの顔に影が差す。表情こそ変えないが、それが余計にサラの悲痛さを表していた。サラはかすれるような声で告げる。
「キャス様は。キャスター・ウィンストンは亡くなりました」
サラは拳に力を込める。よく見ると、彼女は剣を握っていた。こんな痛々しい姿でも剣を離さないとは、さすが騎士だなと心の中で感嘆する。しかしその剣は普段サラが使っているものではなかった。
「その剣__キャスおばさんの?」
サラは小さくうなずく、小さい涙が肌を伝う。
「おいで」
俺は起き上がって手を広げる。サラは一瞬ためらったが、結局俺の胸に入る。
「サラが無事でよかった」
慰めの言葉をいくら探しても、口から出てきたのはサラとこうしてここにいられることの喜びだった。
「ごめんね。俺が馬鹿なばっかりに」
森の民を侮っていた。敵の裏をかかれ、サラを危険な目に遭わせ、キャスおばさんを死なせた。これは俺の責任だ
しかしサラは胸の中で首を振る。
「いいえ。彼女は私をかばって__。私が、未熟だったから__」
「サラのせいじゃないよ」
サラが実力不足だとしたら、この世界の騎士はほとんどが実力不足だ。責任感が強い彼女だ。自分を責めるのは容易に想像できる。だが、サラの日頃の努力まで否定してほしくなかった。
「バランタイン様から頂いた剣も__折れてしまいました」
「もともと君のものだっただろう?気にする必要はないさ」
こんな状態でも俺のことを気にしているのかと驚く。愛されているのかもしれないが、それは少し気にしすぎだ。いいんだよ。別にそんなものは。
「心にぽっかりと穴が開いてしまったようです」
サラはぽつりと言った。
「そうだね、キャスおばさんは厳しかったけど、サラのことをいつも見ていたから」
「はい。私にとっては、母のようでもあり、師匠でもあり__理想の女性でした」
「うん。そうだね。かっこいい人だった」
真面目で、少しおせっかい。そんな彼女が僕も好きだった。
「悔しい__。未熟な自分が。結局バランタイン様に助けてもらった自分が__」
サラが鼻をすする音が聞こえる。必死に感情を押し殺しているのが分かる。キャスの教育は、彼女の教え子に、自身の死を悲しむことを許さない。俺に今できることは___
「サラ。ラムファード家の次期当主として君に告げる。泣いていい。好きなだけ泣きなさい」
俺はサラの頭を撫でる。悲しい時には目いっぱい悲しまないと。
「う、うう、うぁぁぁ……っ!」
サラは声を上げて泣いた。彼女は騎士ではなく、一人の少女として悲しみを解放した。彼女は俺を強く抱きしめる。
だが一方で、俺は彼女の悲しみの一切を、共感することができなかった。
彼女は泣き止み、俺にお礼を言う。すっきりしたと言う彼女を見て、良かったとは思う。
だけど、どうしてか、悲しみの感情は湧いてこない。
いつかの悲鳴が俺の脳裏で響く。これは__聖戦の時のか?いやもっと最近だ。
あれ。俺はあの時どうしたんだっけ。サラを助けた後、俺は何をした?急に気持ちが悪くなり、吐き気がしてくる。息が出来ない。息を深くしても浅くなってしまう。何か、何かを俺はしてしまったんだ。
「バランタイン様?バランタイン様!?」
誰かが何かを叫んでいる。思い出した。絶叫する女、裂ける腹。そこから出てくる人間になる前の何か。大量の魔力を含んでいた。
ごめんなさい__ごめんなさい__
思い出した。俺は__化け物だ。何かが欠落した、人のような何かだ。じゃなきゃあんなこと、出来るわけない。
目の前に俺を憐れむような表情があった。激情が、俺に渦巻く。
「近寄るな!」
俺はサラを突き飛ばした。怪我人が痛々しく床に転がる。その光景を見て俺は正気を取り戻す。
「__ってくれ」
「バランタイン様__私は」
サラはただ事ではないと言った雰囲気で俺に再度近づく。
「出てってくれ!」
俺は叫んだ。サラはうなだれ、部屋から出て行った。ひどいことを言ってしまったという罪悪感が俺を苦しめる。だがそれでもこの方がいいと自分に言い聞かせた。俺はもう、人間じゃない。罪を重ねすぎた。こんな人間をあんな純粋な少女のそばにおいてはいけない。
ごめんな、サラ。俺は変わってしまった。君の好きな俺はもういないんだ。俺は頭を掻きむしる。
俺は窓から外へ飛び出す。外は夜だった。冷たい風が頭を冷やす。俺は地面に座り、色々なことを考えた。俺の両親はこれを知ってて俺を生んだのか?なぜアマレットにはこの力がない?
だが、思考がまとまらない。俺の犯した罪が、あの光景がフラッシュバックする。
後ろから誰かの足音がする。こんな感情の中でも俺は常に戦闘が出来る状態を保っているのだ。本当に、どうしてこうなってしまったのだろう。
だがその足音に殺意は感じられない。きっとサラだ。俺を追いかけてくれたんだ。
「あれ?兄貴?」
足音の主はトロイエだった。




