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78.理屈じゃない

「逃げなさい」

 右手をはじめとした体の大きな部分を欠損しながらも、キャス様はいつもの変わらぬ口調で言った。歯形に沿って彼女の身体が抉れている。


 後悔__私の心にそれがじんわりと広がる。私のせいだ__。そんな私を見て、彼女は笑う。

「私が選んだこと。私の責任よ」


 彼女の顔がだんだんと白くなっていく。


 赤ん坊は人間の肉を咀嚼する。すると、傷がすっと消えていく。私が切り落とした腕が再生していたのは、こういう理由だったのか。


「今のうちに、早く!」

 キャス様の犠牲を無駄にしてはならない。理屈では分かっている。だが___。


 キャス様の背後に、赤ん坊の影。まだ食欲は満たされていないらしい。私は無意識に地面を蹴り、キャス様が突き刺したレイピアの柄を思い切り蹴り上げた。傷は消えても剣は抜けていなかった。赤ん坊は痛がり、腕を振り払う。私は何とか後ろに飛びそれを避けたが、満身創痍の身体では着地が出来ない。


 空腹か、傷を治すためか。赤ん坊は再度キャス様を食べようとする。何とかしなければ。視界の隅に剣が見えた。バランタイン様がくれた私の剣だ。私はもう一度立ち上がり、剣を握る。


 騎士としては情けないが__。私は渾身の力で剣を投げた。精一杯、力の限り。剣は自分でも驚くほど真っすぐ敵へ向かい、頸椎あたりに刺さった。だが、それでも死なない。


「くっ、うああああ!」

 どこから出ているか分からない声を出して私は飛び、突き刺さった剣に体当たりをする。しっかりと研いでいた剣は肉を抉り切った。


 赤ん坊の首は首の皮一枚だけ繋がり、倒れた。絶命。


 私はその場で力を失う。

「逃げろと言ったのに」


 隣にキャス様が倒れている。

「嫌__だったんです。こんな化け物にキャス様が食べられるなんて。それにキャス様も__私を__助けたでしょう?」


 最期の会話。私はそう確信した。


「騎士としては___失格ね。あなたも__私も」

 死を目前にしても彼女は厳しい。

「理屈だけじゃ__騎士は務まりませんから」


 私の目には涙が止めどなく流れていた。


「いつも__厳しくして____ごめんね。あなたは__私の誇りよ」

 キャス様が残った左手で私の頭を撫でる。初めての感触に嗚咽する。しかし、肺がつぶれており、声にならない。


「あなたは__ここでは死なない。あの方が__来てくれる」

 誰を指しているのか、言わずとも分かる。私は頷く。

「幸せに__なりな___さい」


 キャスター・ウィンストンは目を閉じた。



  彼女を看取ったサラは、何とか身体を動かそうとする。意外だった。母のように私を扱ってくれた人物が死んだというのに、頭は冷静だった。目的達成のためなら情を捨てると言った彼女の教育が、ここでも活きたのかと言われれば、そうではない。

 彼女は私に生きろと言った。私がここで死んだら、彼女の死は無に帰す。私を突き動かすものは、騎士としての責務やキャス様の教えではない、彼女の自己犠牲__愛への返答だ


 私はそれを杖に身体を起こそうとする。しかし、体重を預けると、その剣は半分に折れる。


 バランタイン様にもらった剣が__私はまた倒れてしまった。





 太陽は雲に隠れ、木漏れ日すら届かないこの森で私は後悔に打ちのめされた。私のせいだ。私が弱かったから。この剣に執着したから。

 私の立ち上がる意思は剣とともに折れてしまった。私の情緒は剣によって支えられていたのだと実感する。




 森の民の増援がやってくる。彼らは横たわる赤ん坊と私を交互に見る。戦士の一人が棒で私をつつく。ちょうど骨折したところだったので、私はうめき声を上げてしまった。私が生きていることを確認すると、彼らは私を取り囲み、敵の本拠地へと私を運ぶ。抵抗しようとするが、体が動かない。死ぬなら、せめて、キャス様と__。


 私は族長の前に置かれた。顔には黄色の下地に黒で模様が描かれている。私に触り、側近の男を呼ぶ。その男は右手と左手が逆だった。赤ん坊ほどの脅威は感じなかったものの、同種の存在なのだろうと感じた。

 側近の男は私を抱きかかえる。折れた骨が肉に食い込み、鈍く痛む。絞め殺されると思ったが、身体の痛みがすっと消えていった。男は雑に私を床に落とす。痛みこそなくなったものの、傷は治っていないようだ。


「外の血」

 族長は一言、そう言った。族長が目配せすると、森の民の戦士らは私の腕や足を拘束した。大の男数人に身体を押さえつけられては、どうしようもできない。


「おとなしくしていろ」

 族長は私の身体を舐めまわすように見て、顔に触れる。気持ち悪い__悪寒が全身を伝う。私は族長の顔に唾を吐いた。


 族長は私の顔を殴り、自身の服を脱いだ。見たくもない男の裸が目に入る。族長はゆっくり楽しむ気分ではなくなったらしく、物を扱うように私の装備を外していく。


くそ野郎(マザー・ファッカー)なだけあってお粗末ね」

 私は嘲笑する。族長は激昂し再度殴り、猿轡を噛ませる。これで舌をかみ切ることは出来なくなった。だが、それでいい。これは罰だ。キャス様を死なせた私への。


 隙を見て、こいつを殺してやる。まだ任務は終わっていない。



 ああ、昨日のバランタイン様のお誘い、断らなければよかったな。


 ごめんなさいバランタイン様。私は目を閉じた。




 すると、私を押さえつける力がなくなった。周りを見ると、森の民の戦士たちが倒れている。


「なにしてるんだよ。お前ら」

 凍えつくような冷たい怒りを孕んだ声が私の耳に入った。


 族長は裸のまま慌てふためき、震える声で側近の男を呼び、他の兵士にも呼び掛ける。



 私は目を開ける。そして彼を確認すると、私はまどろむ。声の主は私を優しく抱きしめた。

「ごめん。遅くなった」




 バランタイン様の腕の中で、私は意識を手放した。

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