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76.陥穽

 予想通り、敵は多くの物量をこちらにぶつけてきた。原生生物も大きい鳥や、犬までも引き連れてきた。相変わらず原生生物に先陣を切らせる戦法は変えないらしい。実際、並みの軍ならそれで十分なのだろうが。



「兄貴。ブランデンブルク軍はおいらが率いますので、兄貴は自由に動いてください」

 トロイエが俺に告げる。

「いいのか?」

 軍というのは規範を遵守する。騎士が騎士道に従うように、兵士は命令に従う。だからこそ規律が取れるのだが、逆に言えば軍の指揮官は軍に縛られるという訳だ。


「任せてください」

 彼はニッと笑った。

「お前ら!ブランデンブルクのために死んでもここを守るぞ!」


 トロイエが手を上げ、叫ぶ。軍はそれに対し叫び返す。愛郷心か彼への信頼か。軍の士気は敵の軍勢を前にしても高まるばかりだった。


「領主が子息!兄貴__じゃなくて、バランタイン・ラムファード様に忠義を果たせ!」

「おおおおーー!!」


 すさまじい歓声が上がる。何か言わなければな。


「今トロイエが言った通り、我らは家族、友人を守るためにここにいる。誇りをもって戦おう。君たちはトロイエに従え!」


 言い終え、敵に向き直る。敵の鳥が真っすぐこちらに向かってくるが、相手にもならない。俺は真っすぐ待ち構え、剣を縦に振る。鳥はきれいに二つに分かれた。


 後方の軍から歓声が上がる。よし。領主一族としてのメンツは保たれた。


「全軍、迎撃せよ!」

 トロイエの指示で軍は前進する。犬の原生生物はトロイエを標的にしたようだ。重装備を身に付けたブランデンブルク軍と、軽装備だが軽やかな森の民の軍が衝突する。


 俺は敵の前線を跳び越える。囲まれるが、極力無視する。俺の目的はあの怪物だ。あれを何とかするのが俺の仕事だ。そうしなければこの戦いは勝てない。


 進行を遮る敵を薙ぎ払いつつ、俺は敵陣を進む。後衛に行けば行くほど手練れは増えてくるが、それでもサラやキャスには遠く及ばない。切り伏せ、進む。


 奥の方からかなりの魔力を感じる。いる___向こうも俺に気づいているはずだ。来い。目の前の敵を切るのに面倒になってきた俺は、もう一度跳び、魔力を感じる場所へ一気に近づいた。


 いた___魔力の主だ。だが、見た目が違う。赤ん坊ではなく普通の大人だが、腕だけ異様に長く、関節が肘に加えてもう一つある。両手には青龍刀のようなものが握られている。


 予想外ではあったものの、敵は敵だ。俺は着地し、敵のリーチの外から足を狙って切りかかる。しかし、魔力を持つ者同士、動きは読まれ防がれる。まずい__。


 俺は急いで距離を取ろうとした。しかし地面から離れる時間は無防備となるため、大きくは離れられずリーチの外には出られない。敵は俺の剣を防いだ反対の腕で剣を斜めに振り下ろす。俺はそれをしゃがんで躱すが、関節のもう一つは曲げたままだ。敵は、もう一つの関節によって振り下ろした剣を切り返した。

 俺は後ろにのけ反り、躱した。首の皮膚が切れ血が出てくる。危なかった。だが気分はとても穏やかだった。


 すうっと息を吸う。関節が一つ多い。頭で考えても処理は追いつかない。真面目に相手してもしょうがない。俺は敵との駆け引きをやめた。ただ剣を避け、近づいていくだけだ。この敵は腕の発達こそ凄まじいものの、足の筋力はないようで、腕を振り回すだけの存在だ。


 俯瞰で自分を見ているようだった。剣がどのようにやってくるのか、手に取るように分かった。体力も、剣の技術もいらない。ただ歩くだけで剣は俺を避けていく。


 気が付くと、俺は腕を伸ばせば敵に触れられる程度にまで接近していた。敵の顔にはべたつきそうな脂汗がぎっしりと張り付いていた。俺は慈愛に近い感情を持った。殺しに対する罪悪感ではない。もっと冷酷な感情から来るものだった。絶対に勝てない自分と戦うことへの慈悲だ。怖い思いをさせてごめん。


 心臓に潜り込む剣。恐怖に歪んだ表情のまま、敵は絶命した。



 俺は怪物にでもなってしまったのだろうか。自分ではまともだと思っていたが、それは外見だけで、中身はこいつやあの赤ん坊と同じ___いやそれ以上に醜いのではないか。



 あれ?

 俺は周りを見渡す。あの赤ん坊もとい肉塊がいない。感じた魔力はこの手長男だけだ。まさか。

 先ほどは一切感じなかった恐怖が、体の内側で痙攣する。身体を芯から冷やす。朝日が照っている。


 俺は進んできた道を戻る。敵兵なんて今はどうでもいい。戻らなければ。やられた。


「トロイエ!」

 俺は自陣に戻り、犬の原生生物から剣を抜いてるトロイエに叫んだ。

「あ、兄貴。どうしたんすか?」


「あの赤ん坊の化け物はこっちにいないか?」

「いや、見てないっすね。敵陣はどうでした?」


 ぞっと背筋が凍る。思考が働かない。


「兄貴?」


 トロイエの声で我に返る。

「敵陣には、手の長い奴しかいなかった」

 俺は何とか答えた。言葉が空回りしているように感じる。


「マジすか!あいつには手を焼いていたんすよね。他には?」

「___それだけだ」


 言うと、トロイエの表情が一気に硬くなる。彼も悟ったようだ。


「やられた。敵は大した戦力をこっちに割いていない。俺が敵を引き付けたんじゃない。俺が敵に釣りだされたんだ」

 口に出すのは怖かったが、黙っていても仕方がない。このブランデンブルクで現状、最も権力を持つのは俺なのだ。


「兄貴。ここはおいらが引き受けます。キャス様、そしてサラさんを」

 彼は拳を突き出した。


「すまない。ありがとう」

 俺は拳を突き返す。本来、領主一族に対してはかなり無礼なジェスチャーなのだが、今はトロイエが頼もしく見えてしょうがない。




 俺は疾風を置き土産に、キャスとサラを追いかけた。





 

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