64.喪失
敵陣の最深部に到達した選帝侯はそれぞれが散らばって戦闘を開始する。戦場に解き放たれた彼らはその武力を最大限に生かし、敵を討ち続ける。ブランデンブルク選帝侯は扱いにくい槍を投げる。串団子のように投擲された槍は3人の敵兵を貫いた。
ロングソードを抜いて敵を切り裂いていく。もうすぐサラとバランタインが来る。ブランデンブルク選帝侯は馬を走らせる。速度を上げた剣は腕の力に頼らずとも敵を切り伏せることが出来る。頼んだぞ、ハイド。
遠くに国王が見える。一度でも剣を振ればで何人もの敵兵が肉塊となる。俺の息子はあんなのと友達になったのか。すごいな俺の息子は。頼もしい男だ。
「調子はどう?」
戦争の最前線で俺に話しかけるのはソナ・ペル。ザクセン選帝侯だ。相変わらず緊張感のない男だ。
「あまり気持ちのいいものではないな」
敵に剣を指しながら返答する。ただの作業だ。そこに騎士としての誇りも、手に汗握る命の駆け引きもない。
「同感」
ザクセン選帝侯は答えて、また作業へと戻っていった。
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「サラ、大丈夫か?」
敵の剣を拾いつつサラに話しかける。俺の剣は血を浴びすぎて切れなくなっている。
「ええ、バランタイン様は?」
「俺も、もう大丈夫だ」
バランタインは敵の剣を構えて正面の敵の上半身と下半身を分離させた。左にある丘を見る。丘に逃げ込んだ敵兵は待ち構えているブランデンブルク軍に返り討ちにされている。恐らく母の作戦だろう。この狂気にのまれず策略を考える母の胆力には脱帽するばかりだ。
「行きましょう」
サラが前を見る。遠くの方で敵兵が宙を舞っている。選帝侯だ。ゴールが見えた。
俺は頷き、また進んだ。
「バランタイン、早かったな」
俺が戦闘にたどり着くと、そこに敵兵はほとんどいなかった。
「父上もご無事でよかったです」
俺は父と握手を交わした。
「バランタイン!」
国王も俺に気づき、駆け寄ってきた。
「人殺しになった気分は?」
国王は尋ねた。茶化しているように思われたが、その目は真剣だ。
「何も感じなかった。いや、感じないようにした」
俺は答えた。
「そっか。うん、まあそれがいいと思う」
短い会話を終える。そして俺たちは突撃した道を戻っていく。乾燥していた大地は鮮血によってぬかるんでいる。金属か血か、刺激臭が鼻につく。
怒号で鈍感になった聴覚が戻っていく。耳を澄ませると敵の断末魔が聞こえる。そしてその声は味方の歩兵が一つ一つ消していく。
「サラ」
彼女の名前を呼び、手を握った。彼女は驚いたがすぐに微笑みを向けてくれた。
「よく耐えましたね、バランタイン様」
彼女は優しい声で囁いた。
「うん__うん」
俺は頷いた。なぜかは分からない。俺は泣いていた。恐怖、罪悪感、そんな負の感情が渦巻く。
もう戻れない。以前のようには。
神聖帝国はその後も聖都に向けて進軍を勧めた。敵の民族の都市を襲い、暴虐の限りを尽くした。宝石や貴金属は強奪され、男兵士は蛮族などと口では罵りながらも逃げる女性を弄び、用事が済んだら殺す。都市戦にはアマレットは連れてこなかった。流血以上にグロテスクなものがここには渦巻いている。
帝国の諸侯らの中には聖都まで進まず、その場でラテン国家として建国をする者もいた。トリポリ、エデッサなどだ。母はこんな状況でもチャンスを逃さない人物だ。
聖都占領後に多く訪れるであろう帝国やフランク王国からの巡礼者の保護を行うため、母は”テンプル騎士団”の設立をマインツ選帝侯に打診した。巡礼者の保護や巡礼に伴う金貸しを行うことが主な任務であるこの騎士団は、流行に乗じたこの上ないビジネスチャンスとなる。
マインツ選帝侯は教会側の選帝侯で最も力のある人物だ。選帝侯という制度が出来た当初から重要なポストを務めており、帝国会合の司会などが良い例だ。
マインツ選帝侯は悩んだ。聖地巡礼はどちらかと言えば聖界側の職務である。しかし、金貸しは宗教上問題があるため、教会関係者が表立って行うことは難しい。
俺は都市戦の惨状に疲弊しながら帰還した。教皇と個人的につながりのある俺を見て、マインツ選帝侯は、テンプル騎士団の業務をブランデンブルクに委託することを決心した。マージンの3割を教会側に渡すことでブランデンブルクは東方での商業圏と教会に容認された騎士団という軍事力を得たわけだ。
常備軍の設置に右往左往していたことが懐かしく思う。
帝国軍はなおも進軍し、とうとう聖都に到達した。民衆らは熱狂の渦だ。もう、疲れた。血を見るのももううんざりだ。自陣に戻って家族と話す時間が俺にとって唯一の救いだ。
聖都では攻城戦となったが、すでに何度も敵国の都市を陥落させている我々にとっては、もはや選帝侯の力を使わずとも包囲戦を効率的に行うことが可能となっていた。素早く攻城櫓を作り、城壁を突破する。案外抵抗を受け、味方にも死者が出たが間もなく突破された。
聖都においてもアクア教の軍は虐殺を止めなかった。敵の宗教のみならず、同じ肌の色でも皆殺しだった。何より驚いたのは聖都にいたアクア教徒までもが餌食となったことだ。宗派の違いはあれど同じ神を信仰する者にも、我々の刃は向かった。
もう、宗教上のイデオロギーなどどこにもないな。俺は苦笑いして、この地獄の一旦の終焉に心から安堵した。
アクア教は聖都を取り戻した。




